自由な学校が増えつつも・・・

イエナプランをはじめとする

生徒の自主性を最優先する教育法を

実践する現場が増えつつあり

その傾向がさらに

幼児期の教育にも

波及するだろうことを

前回綴りました。

→2019/7/8投稿〜教室はリビングルーム!「イエナプラン教育」

自由な学校

個性を発揮できる学校

そんな学校も増えているような気がします。

しかし

依然として管理教育が幅を利かせている現状があります。

教育=子どもを管理すること

と勘違いしている大人はいませんか。

管理しなくては

子どもは悪い方へ流れる・・

といった性悪説が

根底にあるような気がしてなりません。

画一性や受験戦争で疲弊する子どもたちを救う手立てとして

個性尊重

多様性

という言葉が流行り言葉のようになった時代がありました。

個々を大切にすることで競争は減り

多様性を認めることで管理は緩和される

と期待したはずが結果は

個性を尊重するがゆえに競争も多様化激化

多様だからこそ管理強化

学校はもはや多様性に、個性に、

ついてゆけない・・

といった感じです。

だから

ブラック校則

という異様なルールが作られ

平気で

地毛を染めろ

さもなければ地毛証明を出せと

全く馬鹿げた管理に走り、

部活の強制加入で

週末も盆や正月も練習練習と

競争に追い立てる。

子どもの人権を無視して

一括管理せずには置けない組織。

それが学校であるならば

全く信じたくない事実です。

学校が

生徒の自由を奪えば

生徒は学校での自己実現を諦めるでしょう。

学校が

教師に校則ありきの指導を強要し

部活顧問等で教師の拘束時間を増やせば

教師は思考停止におちいり健康は奪われます。

理不尽な校則がまかり通り

子どもたちを締め付け人権を無視し

幸せを奪うような学校はいらない

直ちに改善されなければならない課題です。

主体性を重んじることで

そして

対話を大切にすることで

生徒と教師の関係も良くなり

管理など不要だから校則はほとんどなく

生徒が生き生きと生活するようになった・・。

そんな世田谷区桜丘中学校を

ぜひ手本にしてほしい。

→2019/5/9投稿〜正解のない学校

かつての荒れた学校が

生きた学校に生まれ変わった。

これは事実。

生徒も教師も輝く

居心地のいい学校を作ることは可能なのです。

教室はリビングルーム!『イエナプラン教育』

教室正面の黒板に向かって机を並べる

「一斉授業」のスタイルではない。

子供は机を向かい合わせて島をつくり、

一人ひとりが自分の課題に取り組んでいる。

これは

2019年4月、長野県佐久穂町の

大日向小学校が

日本で初めて取り入れた『イエナプラン教育』

という教育法の一場面。

まるで教室はリビングルーム。

図書室だって

机と椅子があって・・

というスタイルに加え

クッションやソファが置かれていて

おもいおもいの格好で読書ができるという。

姿勢を正しく!

本と目の間は30cm!

なんて先生の言葉が上から飛んでくることはない。

スローガンは、

「子供の主体性の尊重、異なる他者の受容、学校共同体」

目指すのは、

「対話を通して共に生きることを学ぶ学校」

✏️ 📕 ✏️ 📗 ✏️ 📘 ✏️

自立学習が中心。

基本それぞれの状況に応じた課題に個別に取り組み、

グループリーダーが数人集めて教えることもある。

話合いの時間もふんだん。

輪になって、全員がおたがいの顔を見られる状態に座るサークル対話。

話すだけではなく、ひとの発言を終わりまで聞く練習でもある。

全てが双方向のカリキュラムの印象だ。

これによって子どもたちは、

民主主義社会の基本となる対話と合意形成とは何かを学ぶという。

〜子どもたちの自主性が大切にされる学校〜。

これだけ子どもたちに自由を保障している学校では

ナビゲーターとしての

教員の力量が求められると想像する。

それもそのはず

基本のカリキュラムのもと、

各教員の裁量はとても大きい。

✏️ 📕 ✏️ 📗 ✏️ 📘 ✏️

このオランダ発「イエナプラン」は

まさに以前投稿した

「フィンランドの教育」

に趣旨を同じくするところが大きい。

2017/7/12投稿〜フィンランドの教育〜

また、中学校で言えば東京都世田谷区の桜丘中学校でも共通した価値観のもと学校教育が行われている。

→2019/5/9投稿〜正解のない学校〜

これらの基本は全て

愛読書「ティール組織」フレデリック・ラルー著(英治出版)

でも紹介されている

「ティール学校」の考え方に拠る印象だ。

→ 2019/5/13投稿 ティール組織-3-〜学校版〜

長野、広島・・・

日本でもこの教育法が広まりつつある。

この流れが

就学前の教育にも影響が及ぶと確信する。

その例として

日本では幼児教育として存在している

「モンテッソーリ教育」。

主体性を重んじることをはじめとした観点で

イエナプラン教育へはスムーズに移行できそうだ。

モンテッソーリ小学校も増えるかもしれない。

シュタイナー教育への理解も進むだろう。

それによって

フリースクールの立ち位置も明確になり、

その存在意義と価値も

見直されていくような気がする。

こうして教育の選択肢が増えていく・・。

子どもの輝く瞳が増えそうだ。

参考:2019/6/14投稿ブログ〜不登校の子どもを守る!〜にて教育の選択肢を作ることの必要性を「教育機会確保法」を紹介しながら述べました。

〜幼児教育に望むこと〜

幼児期から文字や数字の概念を

自然事象の中で

また

感覚教具などを使って

身につけることは

大事なことだ。

幼稚園や小学校受験のための予備校!から

英語プリスクールに至るまで

就学前の早期教育はずいぶんと

定着した。

体験的な活動を通した

自然との触れ合い

コミュニケーションの養成

など全人教育を目指すところも

少なくない。

ここに加えてほしい分野?がある。

障害理解教育。

ある調査によれば

幼稚園や保育園で

障害理解教育をしていないところは65%にのぼる。

その理由は

✔︎やり方がわからない

✔︎人手が、足りない

✔︎必要がない

✔︎時間がない

大きく改善してほしいと

切に願う。

では

障害理解教育を、少なくとも

幼児教室と呼ばれる施設で

積極的に取り入れてはどうか。

数字や文字を習得する前に

自分が生きているこの世界は広いこと、

ぼく、わたしはそのほんのひとつぶに過ぎないこと、

でも一人ひとりがかけがえのない存在として

世の中はできていることを

知ってほしい。

そんな共生社会の成り立ちを

肌で感じられる機会をたくさん作ってほしい。

スポンジのように素直に吸収する

純粋な時期に

目の前のことに駆り立て

自分の能力!を高めること

ひいては幼い頃から

競争意識を持たせるような教育はいらない。

   みんな違ってみんないい

という金子みすずさんの

あまりにも有名な詩が浮かぶ

人は一人ひとり違う。

生きていればどんな人だって

いろんな困難に出会う。

まず自分でやってみてそれでも解決しないときに

助けを求めるちからをつけることで

ひとと協力し合うことの素晴らしさを学ぶ。

いろんな状態の人と一緒に生活することが

当たり前と考える。

ここが大前提にあれば

他人の痛みに気づき

何ができるか一緒に考え、

人が困っているときは自然に

手を差し伸べる人に成長するのではないか。

障害とは?

障害者とは?

などという教育はいらない。

誰にでも困難はあって

困難にもいろいろあって・。

その中に

例えば

車椅子で生活する人

目が見えない人

自分で思うように身体を動かせない人

思うことがうまく表現できない人

がいることを

肌で感じるような時間をたっぷりとる。

人形遊びを通して

絵本の読み聞かせを通して

という方法が一般的だが、

障害者はできない人

お世話が必要な存在

と思わせることで

自分が優位に立ち

分断した立場という認識を

持たせる危険かあるように思えてならない。

自分にもできないことがたくさんある

お世話してもらいながら生きている

とにかく

お互いに助け合おうよ

という心根が育つような

幼児教育を望みます。

もちろん、

幼児教室だけではなく

幼稚園や保育園で

そして家庭で。

新出生前診断 拡大見送りに安堵👶

命の選別につながるといった議論が絶えない

出生前診断。

産婦人科学会が実施できる施設を増やす指針を打ち立てたが

これが当面見送られることになった。

この診断の存在自体が

かつての優生保護法を彷彿とさせる。

そう思う私にとって

ホッとした、というのが正直なところ。

 →2018/2/8投稿「出生前診断」と「旧優生保護法への批判」の矛盾

出生前診断とは、

広義の意味では

妊娠の有無を調べることから

胎児の位置や環境、生育状況と健康度を診るためのもの。

そのうち

昨今議論を賑わせているのが

胎児の遺伝子検査。

胎児の遺伝子に異常が認められないか出生前に診断を行うものだ。

 母体血清マーカー検査が急速に広まった1990代では

遺伝子疾患の専門家の不足や

医療環境の体制が整っていなかったという理由で

その実施は積極的ではなかった。

しかし

医学の発達とともに、検査の精度が高まり

胎児異常を見つけるケースが増えたという。

母体を守るため、という目的であれば

その必要性は十分にある。

しかし、検査の目的を知りたくて調べてみても

「生まれてくる子どものことを知る」

「その後の生活への心構え」

などといった内容ばかり。

心構えを持たされるということは

覚悟させられ

情報の海に溺れ

産むことへの重大な決断を迫られ・・

その結果、

産むか産まないかの迷い

産まない選択をしたがゆえの悩み

次の妊娠はどうする?

といった苦悩を産む。

子を産み育てることへ

高いハードルを作ることになる。

子育ては知識でするものではない。

生まれてきた子どもを育て育てられるのが育児。

かたや

妊娠を告げられ無上の喜びに浸る間も無く

検査自体

受けるべきか

受けるのをやめようか

という選択を突きつけられ

相当悩む人のケースが

昨日のハートネットTV

で紹介されていた。

「幸せのはずの妊娠が

苦しくて悶々としています」

という生の声を聞き

なんのための診断なんだ!

と、釈然としない気持ちに拍車がかかる。

ある東京の高校で

出生前診断の疑似体験授業が行われた。

結果9割の生徒が受けることを選択したという。

海外ではどうだろう。

英国では全ての妊婦が受け、

米国ではとても積極的に行われているという。

*****

義母の体験談。

第2子を高齢出産する義母に医師は聞いた。

マーカー検査、どうしますか?

「受けません。自分の子どもですから」

母親の心根の強さを

医学の進歩が

情報という力で

潰して欲しくない、と思う。

ー 関連の投稿 ー

2018/2/8投稿「出生前診断」と「旧優生保護法への批判」の矛盾

2018/3/7投稿 ~新出生前診断、一般診療に!?

〜 医療と安全〜

最近、病棟で活動するにあたり

ボランティアが入棟する際に必要とされる

検査項目が増える傾向がある。

現在行っているものは

✔︎風疹 麻疹 おたふく 水ぼうそうの抗体検査

✔︎基準値以下の感染症のワクチン接種

これにより

主な感染症の抗体保持が確認でき

結果

子どもたちに移さない

移されない

ことが担保され

病棟は安心してボランティアを迎え

ボランティアは念願の活動ができる。

これらの結果全て

□各ボランティアごとに医療機関発行の証明書を提出する病院

□団体として全ボランティアが検査、接種済みであることを書面にて誓約する病院

□書面による自己申告のみの病院

□申告だけで良い病院

など、病院によって抗体の確認方法は

さまざまだ。

さらに

一年以内に受けた健康診断の結果や

胸部レントゲンの結果

を揃えて提出、

という病院も多い。

最近の傾向として

すでに活動している病院からも含めて

B型肝炎の抗体証明を求めらることが

ぽつりぽつりと出てきた。

小児病棟でのボランティア活動へのハードルが高いのは

こういったことにも理由がある。

もっとも、

外部からドヤドヤと人が

押し寄せることが適切な場所ではないことは

言うまでもないが。

ボランティア活動とひとことで言っても

ボランティア精神だけでは叶わない。

その代表がまさしく病院での活動かもしれない。

歓迎されていないのでは

とこの期に及んで悲観してしまうことも

実はなくはない。

だが病院がボランティア活動に対し厳しい目をもつことに

恨みを抱くというのは

全くの見当違いだ。

感染に対して厳しいリスク回避を行うことは

至極当然のことである。

病院とは

何はさておき

安全第一

が全ての根底になければならないのだから。

その上で

患者の生活の質

人権

生きる喜び

尊厳

といった部分に出来る限り寄り添うことが

医療現場のあるべき姿だと思っている。

*****

最近、我が子に降りかかった医療過誤

という過酷な体験から

医療の安全を目指して立ち上がった母親の物語を読んだ。

「ジョージィの物語 」ソレル・キング著 英治出版

長く続く壮絶な苦しみの日々は

病院への怒り

あの時ああしておけば・・という自責

社会の無神経さ

悲嘆と苦悩しかなかった。

しかし

我が子が母親に何を望んでいるか、

医療現場を良くするために自分の声が生かされるのでは

という自問自答ののち

動き始める。

我が子と家族の苦しみを無駄にすることなく

病院との対立を越えて

医療過誤を無くすための基金

「ジョージィ・キング財団」

を立ち上げたのだ。

彼女の声が反響を呼び

全米の病院や大学などで

体験を通した精力的な講演活動で

医療は変えられることを

新しい視点で提言し続けている。

*****

闘病する子どもたちの成長や生活そのものに

寄り添うことが

スマイリングホスピタルジャパンの活動だ。

しかし

それは

安全

が確保されて初めて実行できること。

医療過誤防止含めた

医療現場の安心安全は医療従事者が、

そして

抗体の厳重な確認は

ボランティア含め小児病棟に入る立場が、

それぞれ

患者を守り

医療現場が安全な場所であるために

常に肝に銘じていなければならない。

この両方の立場の連携の崩れが

院内感染という結果を引き起こしてしまうことは

絶対に避けなくてはならない。

この本を読み、

全国の病院でボランティア活動する

責任を改めて強く感じた。

同時に

医療従事者の安全を巡る葛藤

という視点でも現場を理解することが

少しできたような気がする。

*****

「ジョージィの物語」

この本も英治出版の担当プロデューサーが

訳者の方を紹介してくださりつつ

是非と勧めてくれた。

病院におけるテーマと

それを巡る

社会課題に気づかせてくれたこと、

そして

社会変革に取り組む素敵なひと

良い書物

との出会いに感謝したい。

ジョージィの物語 英治出版

ソレル・キング氏スピーチ 2002年 米国

ソレル・キング ビデオレクチャー @医療安全全国レクチャー