〜少年院で成人式〜

「迷惑かけた分、人を幸せにできる大人になりたい」

「責任を自覚したい」

壇上に上がった新成人の誓いの言葉から。

少年法の適用年齢を18歳未満に引き下げる改正が検討されている中、

教官らは、

もう2度と被害者を生まないように

と少年たちの矯正教育のあり方を模索している、

そんな記事を見つけた。

少年法の引き下げが実施されたら、

19歳は成人と同じ扱い。

少年院のような教育を受けられなくなり、

自律性を養うという趣旨の矯正教育を受ける機会が減ってしまいます。

そもそも、

幼くして罪を犯すとは、善悪や良心を超え、

心の弱さゆえに、流され、誘惑に負けてしまうことが大きな原因ではないでしょうか。

もう2度と被害者を生まないように少年らを矯正する・・・

生育過程に恵まれなかった少年たちもある意味では被害者なのでは、

と思ったりします。

1度罪を犯し、刑務所で数年過ごし更生したとしても、

社会からの

”そういう目”

はついて回るのでしょうか。

少年でも成人でも

刑事裁判で有罪になれば前科がつきます。

たとえ人を傷つけたり他人や公のものを奪ったり壊したりという罪でなくても

履歴があれば社会で活動する機会を奪う様々な縛りが

行くところ行くところに立ちはだかり、

活躍を阻むといいます。

「迷惑をかけた分、人を幸せにできる活動を」

と願っても思うに任せないハードルが先々で邪魔をするようなら・・・

服役し、保護観察期を過ぎても、

汚点として一生ついて回るなら・・・

更生への意欲や再犯しない誓い

がしぼんでしまう。

罪びとの肩を持つ訳ではないけれど、

更生へ向けたプログラムが少年法の引き下げにより

名ばかりのものにならないようにと思います。

〜子どもの権利条約 2〜

子どもの権利条約が

国連で採択されたのが1989年。

発行は翌1990年。

 日本で批准したのが1994年です。

1/13投稿〜子どもの権利条約〜に続き、

その時代と自分の育ち、さらに子育ての頃に重ねてみます。

我が子2人、既に幼稚園と小学校に通っていた頃。

上の子の学校で

ちょうどNIE*が始まった頃と重なります。

NIE(Newspaper in Education=学校などで新聞を教材として活用すること

97年には、47都道府県全ての地域で行われるようになり、

娘の学校では「NIE実践指定校」として熱心に実践されていました。

活字を通して

いつか行動に移せるように、

まず”知ること”

”知ろうとすること”

”意見を持つこと、表現すること”

を大切にしていたように記憶しています。

条約に当てはめるとしたら、4つの基本原則の1つ、

✔︎子どもの意見の尊重

に当たります。

18歳未満の子どもを、

大人に守られるだけでなく

権利を持つ主体として位置付けている条約に合わせ、

NIE教育が進めらていったのかもしれません。

👶 🧒 👦 👧 👶 🧒 👦 👧

自分に重ねてみると、

各国で批准されたのは社会に出て結婚、出産の頃。

日本ではその4年後、まさに子育て奮闘期に突入する頃でした。

条約の必要性が出て、さらに深刻な人権問題への対応に追われる世界情勢

が激動の中で移り変わっていく過程は、

自分にとっては子育てを始め、

目の前のことに精一杯の時代だったと、

改めて感じます。

さらに遡ること幼い頃。

東京で育ったといえども

空き地や林など遊ぶ空間がたくさんあった時代です。

ランドセルを玄関に放り投げたまま

暗くなるまで帰らずにいたあの頃。

遊ぶ時間がたっぷりと保障され、

学校でもクラスにいろんな子がいて

多様性の中でのびのびと動き回っていた。

遊び=外で身体を動かすこと

そんな時代。

まだ子どもの権利条約など

一粒の種もなかったなんて。

あの頃の方が子どもたちは

のびのびしていたように思います。

👶 🧒 👦 👧 👶 🧒 👦 👧

子どもの権利条約が生まれた今から30年前に、

子どもを取り巻く環境がこれほどまでに変化するとは誰も予想しなかったのではないでしょうか。

時代は変わっていっても、

条約の基本原則、

✔︎差別の禁止

✔︎子どもの最善の利益

✔︎生存・発達の権利

✔︎子どもの意見の尊重

は普遍です。

いつもここに立ち返り、

大人は自分たちの行動を省みること、

社会の宝である子どもたちが

いつ、何時も

大切にされることを願わずにはいられません。

子どもの権利条約全文(日本ユニセフ協会サイト)

〜「みんな同じ」の苦痛〜

食の細かった小学校低学年時代。

給食の時間が嫌いでした。

特に嫌だったのは、時代を思いっきり反映する

脱脂粉乳。

小学2年生ぐらいまで飲まされていた!!覚えがあります。

いや1年生の時だけだったかな、あまりの苦痛にその期間が長く感じられます。

アルミの丸いやかんにたっぷり入っていて、給食当番がアルマイトのカップに均等に!注ぎます。

少しにして・・・

と懇願するも、「みんな同じ」量じゃなキャダメだよ。

とあしらわれ・・。

確か、クラスに1人はいる健康優良児然とした体格のいい子は、

何食わぬ感じでごくごく飲んでいました。

お代わりまでして眩しすぎる!

味覚を疑う余地なしのたくましさ!

しかし尊敬の眼差しというには程遠く、

ショッキングな光景に、幼心にあっけにとられた💧。

その時の気持ちはっきりと覚えています。

ネットサーフの結果、

牛乳給食に移行し始めたのは1958年、完全牛乳給食になったのは1963年

とありますが、杉並区は遅れていたのでしょうか。

私が在学したT小学校は、少なくとも1960年代後半までは脱脂粉乳のミルクだったこと間違いありません。

これほどの負の思い出、忘れたくても忘れられませんから。

これを飲まずに済むにはどうしたらいいか、そればかり。

勉強どころではありません。

だから週末はのびのびしたものでした。

さて、給食は健康優良児だろうが、小柄な子だろうが、

基本は「みんな同じ」量。

基本の量が足りない子はお代わりできます。

それなら基本の量が多すぎる子だっているはず。

そんな子は脱脂粉乳を減らしてと懇願した私の心境と同じで、

少なく盛り付けて欲しいと頼んだところで、

「みんな同じ」と一蹴されるかまたは先生に言いつけられ、食べ終わるまでマークされるか。ここでも平等の名の下に同じを強制されるんですね。

最近では完食を指導されたことがきっかけで不登校や体調不良になった、

というケースがすごい勢いで増えていると新聞で読みました。

担任にわかってもらえない不信感や強要される恐怖などからでしょうか、対人恐怖症になる場合もあるとか。

牛乳を無理やり(怖い!)飲まされたことでPTSDになったり。

転校せざるを得なかったケースも。

さらに完食指導が訴訟に発展した例もあるそうです。

背景には食品ロス削減の考え方が。

しかし、身体や心に傷を負うほどまでにここにこだわる?

何が大切かに思いを巡らす余裕なく、近視眼的になり血眼で「食べろ!」と迫る怖い先生の顔。

不登校にならないほうがおかしいでしょう。

新聞の記事では、

「給食は本来、楽しく食べて、食事の大切さを学ぶ場。強制は絶対にやめて」

との支援団体の訴えを紹介しています。

食べることは生きることの基本。

健康のために偏食をなるべく治す必要はありますが、

それは楽しく美味しく食べながらしか実現しません。

国が進める食育とは・・・

食育は、生きる上での基本であって、知育・徳育・体育の基礎となるものであり、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実現することができる人間を育てることです。食育基本法:農林水産省

この基本法の中に「完食」の言葉は1つも見つかりませんでした。

「健全な食生活」を実現するために、無理やり完食を迫り、身も心も傷を負わせてはシャレですみませんよ!

食育の推進=完食

との勘違い多発!

「みんな同じ」量を食べることに何の意味もありません。

食べることを楽しむこと。

心豊かに暮らす本当の幸せにつがなる気がします。

〜お母さんからのメッセージは宝物〜

5歳のKくんのお母さんから嬉しいお便りをいただきました。

肺炎になりやすく入退院を繰り返していて、

今回の入院ではもうすぐ3週間になるそう。

「一時は状態が悪くなり、本人も家族もすっかり沈み込んでいました。

親としてあれが悪かったのか、これが悪かったのかな、と悶々とする日が続きました。

状態が落ち着いてからも歌ってあげるなど、気づいてあげる余裕は全くありませんでした。

病棟ではモニターのアラーム音が静寂の中響いていて、

病院はそういうもの

日常空間とは違うもの

が当たり前になっていました。

そんな中、SHJのアーティストの訪問により、

明るい歌声や優しい語り口、楽しい雰囲気に包まれたとき、

息子の動きが活発になり、笑顔も出てきてとても嬉しくなりました」

・・病棟とは機械的な音が始終鳴り響いている無機質な場所・・

・・そしてそれは何の疑問もなく当たり前であること・・

白くて硬くて機械的で無機質で・・・

そんな病院のイメージが誰の中にもすり込まれています。

いっぽう、病気を治すための機器や薬品や白衣の存在が、高度な技術のもと専門的な治療が集中的に受けられる安心感に繋がることは確かです。

しかしそれと引き換えに、

「楽しむこと」

「創造的な活動」

「人とのふれあい」

「ワクワクすること」

を諦める必要はないのです。

このお母さんのお便りから、

病院はもっと変わらなくちゃ、と思いました。

闘病中だからこそエンターテイメント、参加型ワークがなくてはならない。

そんな医療環境をもっともっと広めていく決意です。

Kくんが入院する病院では毎週活動をしています。

SHJの活動があるのがもはや前提。

生活のリズム作りに・・

参加型活動が子どもたちの自発性や高揚感を引き出す・・

そんな存在になっています。

このようなSHJの取り組みが広く必要とされ、当たり前になるといい。

各病院とSHJとの連携で、

「楽しい時間があるから治療に前向きになれる」

そんな安心感を、入院を余儀なくされる子どもと家族にプレゼントしたい。

さらに、お母さんは綴ります。

「退院しても、在宅療養中は児童発達支援施設などになかなか通えていなかったので、親子共々、とても楽しい時間となりました」

と。

医療的ケアなどを必要とするために在宅を強いられる子どもたちとの活動や支援はまだ始まったばかり。

今後の大きな課題です。

Kくんのお母さんからのメッセージは大きな励みになるとともに、

子供が安心して成長するための課題を改めて胸に刻むことができました。

〜ツッコミどころを作る〜

子どもが心から楽しい時。

  好きなことをいつまでもやっていていい時。

  できなかったことができるようになった時。

  ちょっと難しいことを頑張って褒められた時。

  お手伝いしてお母さんが嬉しそうにしている時。

  お友達と仲直りした時。

  欲しかったオモチャをゲットした時。

  自分の家でやると怒られることをばあばの家で思いっきりできる時。

  いたずらが成功した時。

  おやつがいつもより多い時。

それからそれから・・。

孫が来ると一番嬉しそうなのが、じいじがヘンテコなことを真顔で言う時。

それと、

じいじの間違いを発見した時。

つまり、子どもはダイの大人にツッコミを入れる時が一番幸せなのです。

「あれ?そうかあ、じいじ、間違えちゃった」

「えっと、なんだっけ・・」

と困った顔のじいじに、

「あのね・・」

と正解を教えてあげる時のなんとも言えない得意げな顔。

知らないなんてしょうがないなあ、

という顔で。

さらに得意顔がちょっと威張った顔になり、

「ま、わからない時はなんでも聞いてよ」

と締めくくる。

その時の自信に満ちた顔がまた愛おしい。

院内学級にいた頃に教員の重箱の隅をつつくのが仕事みたいな子がいて、

大人のタジタジぶりを楽しませてもらったのを思い出します。

2017/9/19投稿~SHJヒストリー9 Mくんとの再会

で触れています。

SHJの活動でも同じような場面があります。

これはもう病棟が笑いの渦です。

8/23投稿お医者さんがボケ役に?

にも綴った、大道芸人のさすが!の演出です。

パーフォーマーがボケ役に選ぶのは、

爆笑している看護師さん、

  「え?私?」

子どもに付き添うちょっと難しい顔をしたお父さん、

  「ちょっと待ってくださいよ~」

そして後ろの方で腕を組み感心しながらみんなの様子を見ているお医者さん。

  (おっと、しまった!という表情)

それでもみんな子どもの期待!?に応えなきゃ、という思いはあったかく、

頭を掻きながらも前に出てきてくれます。

この場面ですでに子どもたちの顔はみるみる笑顔と期待感でいっぱい。

パーフォーマーのさりげないファシリテーションが生き、

ツッコミ役の子どもたちは堂々たるもの。

その存在感はとっても大きい。

大人がしくじればしくじるほど・・。

大人の失敗は子どもにとって蜜の味。

SHJの生み出す人間ぽくってほんわか温かなコミュニケーションのひと時です。

家庭でも、学校でもやってみて!

子どもにバカにされたら困る、なんて思わないで。

案外、生きる力に結びつくかもしれません。

大人にとってもね (^_−)−☆