〜アドボカシー制度〜

アドボカシー制度とは

前回綴った「子どもの意見表明権」

を保障するためのもので

その役割をするのがアドボケイト(代弁者)。

秘密厳守の約束をした上で

子どもの意見に徹底的に耳を傾け

何を望んでいるのか

関係機関に伝えるというものです。

そもそもアドボケイトとは

様々な理由によって自身の意思を表明するのが難しい

高齢者や障害者、子どもらが自身の思いを示せるよう支援し

その権利を代わりに主張するというもの。

今回ここで言うアドボカシー制度とは

虐待を受けてSOSを発している子どもが見過ごされないように

弱い立場の子どもの思いや希望をくみ取り、

対応を誤らないためのものです。

子どものアドボケイトは英国やカナダなどで公的な制度として導入されています。

アドボカシー制度に詳しい熊本学園大学の堀正嗣教授によると

「女性や障害者の権利は当事者が声をあげて認められることも多いが、子どもは事実上無権利状態」

「アドボケイトは完全に子どもの側に立って、むしろ子どもの後ろに立って、子どもの声を応援するような立場」

と言います。

参考:東京新聞記事「アドボカシー制度」日本でも動き

前回綴ったように

日本では支配・被支配の関係を親や教師から強いられがちで

「大人が保護し子どもは従う」という文化は根強い。

今年1月に千葉県野田市で起こった小学4年生の女児の虐待死事件は印象に強く残ります。

女児は親から暴力を受けている事実を学校に伝え助けを求めたが

学校も教育委員会も児童相談所も女児の訴えを軽んじ、

彼女は自宅へ戻され殺されてしまったという経緯。

女児は勇気を持って声を上げたのに、

大人の事情にその声はかき消されてしまった。

なんとも理不尽で

同じ大人として女児に謝りたい気持ちになります。

この事件が

アドボカシー制度の導入へと大きく国を動かしました。

三重県など試験的に制度を導入したところもあります。

この動きが活発になり、

大人の論理で物事が動く社会の中で、

大人が弱い子どもの立場を理解し

子どもが意思を表出できるように。

大人が弱者に対し、

知識や地位、親権などを振りかざすことのないように。

今後、子どもの権利が

最大限守られ

子ども自らが行使できるように

変わっていきますように。

自分の意見を尊重されて育った子どもは、

相手の意見を尊重するし

大人になったら子どもの意見を尊重するようになる。

長い目で見て良い循環ができます。

日本では児童虐待相談対応件数が年々増え、

2017年度は13万件を超えたといいます。

アドボカシーの必要性は喫緊!

〜子どもの意見表明権〜

「子どもの権利条約」に

日本は1994年4月に批准した。

その中に「子どもの意見表明権」というのがある。

→子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません。(UNICEFホームページ「子どもの権利条約」より)

この権利がなかなか浸透していないために

不幸な事件が絶えないことから

アドボカシー制度を普及していこうという動きがあるが

どこまで進んでいるか

別途、改めて調べてみたい。

アドボカシー制度=英国やカナダで制度化されている子どもの権利擁護活動

まず、

日本の子どもは「意見表明権」の存在と

そして自分がそれを行使できることを理解しているか?

というところに疑問がわくが、

それ以前に、

日本に子どもが意見を自由に述べる土壌があるのか、

が問題だ。

「権利があります」

と謳われ明文化されたものの

この権利

絵に描いた餅と化していないか。

さらに意見を聞く耳を

大人は持っているか。

そもそも

日本では「子どもの権利を守る」という文化が育っておらず、

「大人が保護し子どもは従う」

という関係を今日も子どもに強いていると感じる。

日本では小学校から高校まで

学校が一方的に決めた校則(ブラック校則なんてもってのほか!)を

児童・生徒に強い

子どもたちはそれを無条件に守らなければならない。

学校と対等に交渉などできる環境にない。

しぜん、自分の権利を主張することにも慣れていないので

民主主義というスタンスが育たない。

とても民主的とは言えない教育環境に置かれながら、

「自分の意見を表明しなさい」

「自分の考えを言っていいのですよ」

と言われても、子どもにとっては難しい。

支配・被支配の関係を親や教師から強いられがちな日本の子どもが、

「本音を言おう」としてまず脳裏をよぎるのは

怒られるのでは

罰せられるのでは

という不安だ。

「災いのもと」とばかりに口をつぐむ。

意見を言ったり発表したりする場が少ないから

自分の考えを持つこと

まとめること

間違っていると思うことを間違っているという勇気(本当は勇気などいらないはずだが・・)も

育たない。

伝わるように伝える能力がそもそも

養われず

意見を言うことに自信がないように思える。

そこに未熟だと決めつけ子どもの言うことに耳を傾けず

価値を置かない大人がいる。

ますます子どもはダンマリだ。

悪循環が固定化しているように思えてならない。

いったい義務教育で、

子どもの権利を教え、

「子どもの権利条約で謳われている子どもの権利」を行使する空気を

醸成することは可能なのだろうか。

大人が子どもの意見にまっすぐに向き合う土壌を作ることができるのだろうか。

批准から25年も経ったというのに、

どれだけ子どもの権利が関心を持たれず放置されてきたかを

物語るのが

今年1月に千葉県野田市で起こった

小学4年生の女児の虐待死事件だ。

女児は親から暴力を受けている事実を学校に

しっかりと表明していた。

それなのに

学校も教育委員会も児童相談所も女児の訴えを軽んじ、

彼女は自宅へ戻され殺されてしまった。

ちゃんと自分のことを言い助けを求め

「意見を表明する権利」を行使したのに

その訴えは踏みにじられた。

これが現実。

子どもが大切にされない社会。

この例はたまたまだ、

と言う人もいるかもしれない。

しかし、

日本には

子どもが支配・被支配の関係を

親や教師から強いられがちな空気があること。

いじめを受けていても

集団が苦手で学校に行けない辛さがあっても

学校が子どもの話を軽んじ問題視しない。

そのために苦しむ子どもが一番多い季節がまさに今。

大人は認識してほしいと思う。

子どもの権利を守ろう。

子どもに

本音を言ってもらえないなんて

悲しいではないか。

学校でなくても・・・

早くも新学期が始まった学校もある。

夏休み明けのこの季節、気がかりなことを

9月1日問題として綴ったことがある。

→ 2017/8/31投稿「9月1日問題

2016年に成立した「教育機会確保法」は

子どもたちの休養の必要性を認め、学校外での学習の機会が得られるよう、子どもやその親に必要な情報を提供することを国や地方自治体に求めている(8/23東京新聞社説)。

としている。

この法律について以前綴ったことがあるので参考までに。

→2019/6/14投稿「不登校の子どもを守る!

社説にあるこの法律概要を掘り下げる。

・子どもたちの休養の必要性を認め

    →学校は疲弊するところだから?

・学校外での学習の機会が得られるよう、

    →学校の存在理由が音を立てて↘️?

・子どもやその親に必要な情報を提供すること

  →大人はともかく、子どもにその情報が伝わるような仕組みがある?

*****

まず大人は

学校に行けない子もこんな法律で守られているんだよ。

と子どもに伝えているか。

✔︎心の声に耳を澄まし、見守ろう

✔︎学校以外の居場所を作ろう

✔︎居場所の選択肢を増やそう

✔︎学校が怖かったら「行かなくていいんだよ」と子どもに伝えよう

・・・・・

言うのはなんと簡単なことだろう。

大切なのは

子どもに情報を伝える大人はいるのか、

ということ。

親はなるべくなら学校に行って欲しい

だから余計な情報を子どもに与えたら本当に行かなくなってしまう・・

と危惧するはずだ。

本心では我が子の苦しみに寄り添いたいと思っても

家族やおじいちゃん、おばあちゃんの手前。。

そして世間体・・。

そんな板挟みになるのはいつも母親だ。

「子どもの意見表明権」など眼中にも置かない社会

からどうしたら我が子を守れる?

子どもの意見表明権→子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません。(UNICEFホームページ「子どもの権利条約」より)

学校に行かなくて良いよ。

代わりにこんなところもあよ。

と子どもを安心させてあげましょうと

人は言う。

しかし

教育の専門家が叫ぶだけでは何にもならない!

専門家が新聞で呼びかけたって

テレビやSNSで発信したって

届く先は誰?

その声、情報が

本人たちに届くようにすることこそ

抜本的な対策だ。

心ある人たちがフリースクールなど

学校に代わる施設を作って

子どもを守ろうとしているのはわかっている。

しかしその存在と

そこへどうしたら繋がるのかを

子どもたちに知らせ

自分の意見や希望を表明する権利を行使できるような

仕組みを作らなくては

その機能は果たせない。

しかし何より重要なのは

議論以前の問題である。

学校という場所から、

そして学校という制度から

子どもを守らなくてはならないような

社会の仕組みに目を向けメスを入れることだ。

〜合理的配慮〜

「インクルージブ教育」が

全ての子どもにとって大切であると常々感じており

度々綴っています。

インクルージョンを実現させるためには

「合理的配慮」が欠かせません。

平成28年4月に

障害者差別解消法」が施行されました。

内閣府のリーフレットによると、

「この法律は、障害のある人もない人も、

互いにその人らしさを認め合いながら、

共に生きる社会をつくる事を目指しています」

とあります。

正式な定義は

「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」

で、その内容は

・障害を理由とする差別等の権利侵害行為の禁止

・社会的障壁の除去を怠ることによる権利侵害の防止

このうち、

社会的障壁の除去を実施するために必要なのが

「合理的配慮」です。

8月13日投稿「インクルージブ教育

でも触れた

文部科学省による

共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築のための特別支援教育の推進(報告)概要」

の中にも「合理的配慮」

が謳われています。

「インクルージブ教育」とは、

「障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」で、

まさに先に述べた

障害者差別解消法

の理念そのものです。

この法律と合わせるように

インクルージブ教育の内容は、

1 障害のある者が「general education system」から排除されないこと

2 自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること

3 個人に必要な「合理的配慮」が提供されること

とあります。

1と2を実現させるためにも3の

「合理的配慮」が根底になければならないと考えます。

「合理的配慮」とは一般的に

個々の特性や場面に応じて発生する

障害・困難さを取り除くための、

一人ひとりに合わせた調整や変更のこと。

いわば、

「障害のある人と障害のない人が平等にいられるために作られた仕組み」

のことです。

インクルージョンを進めようとする時

欠かせないないのが「合理的配慮」

ということになります。

しかし

これらも含めて

これまで健常者(この表現は毎度しっくりこないが敢えて)

が障害者の施策を決めていたと考えると

改めて

船後氏と木村氏の当選によって

改革への実行性とスピードが

当事者の力によるものだということを

実感ました。

そう、

当事者でなければ当事者のことはわからない。

これから様々なシステムが変わり

強制的と言っていいほど

バリアフリーが進んでいく予感です。

強制的に!

誰がなんと言おうと!

*****

身近で実現した

合理的配慮を思い浮かべてみます。

院内学級にいた時に受け持った生徒の一人は

心臓の機能が弱くて

階段を登って教室に行くことが困難でした。

家族の訴えにより

通っていた学校に

エレベータが設置されたと聞きました。

時はまだ

障害者差別解消法ができる前のことです。

法律という味方もない中

貫き通した訴えが現場を変えた!

当事者にしかわからない

当事者だからこその説得力がある

本気の改革がありました。

*****

困りごとはどこにでも転がっている

そんな視点で周囲を見渡せば

途轍もない不条理と

人知れず闘っている人たちがいます。

健常者(?)が当事者意識を持ち

他人事とせず

困難とともに生きる人から学ぼうという

姿勢や土壌ができたらいいな、と思います。

草の根の訴えが

社会を変えていけるような。

インクルーシブ教育 2

前回に続きインクルーシブ教育について書きます。

理念先走りで定着できずにいる

日本のインクルージョンの実態を知りたい

と思ったのです。

それほど、ふつうに暮らしていると

見えてこないことって多いんだな、と感じます。

改めて当事者の視点が

国を暮らしやすく豊かにすることに

合点がいき、

新参院議員 木村氏の提唱の重みを感じます。

*****

平成19年4月、

教員になって3年目でしたが

東京都では

特別支援学校の生徒と近隣の普通校の生徒が

交流する趣旨の「副籍制度」というのができました。

これはまさにインクルージョンへの布石だったと言えるかもしれません。

→2017/10/3投稿「副籍制度、機能してる?

東京都では副籍、埼玉県では支援籍、

また横浜市では副学籍と呼びますが

ここでは東京都について書きます。

〜〜〜〜〜〜〜

文科省サイトによると、

副籍制度の定義は、

「都立特別支援学校小・中学部在籍の児童生徒が、居住地域の小・中学校に副次的な籍をもち、直接交流(※1)や間接交流(※2)を通じて、居住地域とのつながりの維持・継続を図る制度」

※1:小・中学校の学校行事や地域行事等における交流、小・中学校の学習活動への参加等

※2:学校・学級便りの交換、作品・手紙の交換、地域情報の提供等

です。

その目的は、

✔︎障害のない子どもは、「心のバリアフリー」を育む。

✔︎障害のある子どもは、「社会で自立できる自信と力」を育む。特に特別支援学校に在籍する子どもは、地域との関係を深める。

と示されています。

特別支援学校(病弱)現職の頃、

その手続きに時間がかかること、

実際運用するのは双方の連携が煩雑でままならなかったこと

などを痛感した覚えがあります。

実施していても学校便りなどの交換など

「間接的な交流」があったくらいです。

地域学校での学習参加を行った小学生のケースがありましたが

継続には至りませんでした。

実態はどうなんだろうと、サイトを読み進めると

その実施率が載っていました。

  • 平成19年度 29.4%(小・中学部)
  • 平成20年度 39.9%(小・中学部)
  • 平成21年度 38.0%(小・中学部)

とても残念なことに

このサイトでは21年度までの統計しか見つかりませんでした。

→文部科学省ホームページ資料6

副籍、支援籍、副学籍について(東京都)

文科省ホームページ「副籍制度」

を見ても情報がアップデートされていない、

または情報がないのかな、という印象。

「交流事例&アイデア集」が載っているけれど、

これも平成27年度までに発行されたのが

紹介されているくらい。

副籍制度とは・・

というフライヤーのようなものを見つけましたが

発行元不明のPDF

限定された地域での調査結果や

個人のブログなどで制度への疑問を投げかけているものは

たくさんありました・・。

制度の形骸化を垣間見た気がします。

*****

1994年(平成6年)にサマランカで開かれた

「特別なニーズ教育に関する世界会議」で

障害の有無に関わらず、ともに学ぶ仕組み

「インクルージブ教育」

が打ち出され(サマランカ宣言)ました。

さらに

2006年(平成18年)には

国際連合において

「障害のある人たちの権利に関する条約」が提唱されました。

2007年度(19年度)実施の「副籍制度」は

これを受けてのものだというのは明らかです。

インクルージブへの繋ぎ、という印象です。

この制度の定着が見られないなか、

2010年(平成22年)に文科省により

「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」

が開かれ、インクルージブ教育理念の方向性が示されました。

そして

2012年(平成24年)には文科省の中央教育審議会で

「共生社会の形成に向けたインクルージブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」 

→前回投稿「インクルージブ教育」参照

が提唱されるに至りました。

この中で

💫環境整備

💫合理的配慮

💫学校間連携

というキーワードが光ります。

やっとインクルージョンの夜明けか!というタイミング。

さらに

2016年(平成28年)の

「障害者差別解消法・障害者差別禁止法」施行をみます。

キーワードに見られる理念の反面

停滞している理由は

巷の人権意識の壁でしょうか。

木村氏がリーダーとなり、改革していってほしい。

そして

意識改革には長い時間がかかるかもしれませんが

諦めずに

地道に個人レベルでも話題にしていく必要性を感じます。