SHJアーティスト個展~とりともり~

病棟でのクラフトワークショップが人気のアーティスト、三輪ゆうこさんの個展にお邪魔しました。

コンセプトは、

「手を動かして、手でかんがえる制作を続けています。酉年のお日さまのいちばん短い時期に明かりと陶器と絵の個展です。アートについて思索すること、制作することをこれからも続けていきたい」

下町情緒溢れる根津に佇むギャラリーKingyoは、住宅街にひっそりとありました。

ギャラリーKingyo

扉の無い一階のオープンなスペースでは、あかりのインスタレーション。

新聞紙で作った「とり」。そして「もり」はやはり新聞紙を細く長く丸めて棒状にしたものをからませ、組み合わせて制作したもの。

三輪さんが手でかんがえながら制作した「鳥と森」が広々としたギャラリーを埋め尽くすさまは、まるで宇宙の様相。

空間の中での質量と重さのなか、ライトアップを受け、「鳥と森」がそこに作られた影と遊んでいるようです。

二階は陶器と絵の、名付けてMIWA空間。すべての作品に遊び心がほどよく隠れていて、お茶目な演出を見つけ出すのも面白い。

この世界観がスマイリングホスピタルジャパンの活動で子どもたちが夢中になる所以かもしれません。

所狭しと展示された陶器の数々からお気に入りを発見。

手頃なサイズの花器は、草花の欠かせない生活にぴったり。美と実用を兼ね備えています。よく見るとここにもいろんな可愛いモチーフが隠れていて楽しい。

~三輪ゆうこ個展~とりともり ギャラリーKingyoにて12/3まで

三輪ゆうこ アトリエ蓮根庵ホームページ 

おまけ・・

根津の街、もう少し歩いてみたい。

~アートで生活にリズム!~

生まれてからずっと病院にいるというEちゃんはもうすぐ2歳。

ベッドの柵の中から満面の笑顔で迎えてくれるEちゃんには毎回励まされています。

そのベッド周りにはスマイリングホスピタルジャパンのアーティストによる似顔絵や一緒に作った作品、

そして2ヶ月に1度の「SHJ病棟の写真屋さん」で撮影、プレゼントした写真がたくさん飾られていて、Eちゃんご家族にも励みになっているのかな、と嬉しくなります。

患者さんも家族も、そして病棟スタッフも毎週月曜日はスマイリングの日と言って楽しみにしてくださっていること、久しぶりに2週連続アシストをして実感しました。

週替わりのアートプログラムがワクワクをもたらすことはもちろん、「定期活動」が、とかく単調になる入院生活にリズムをつけていると保育士さん。

「今日はスマイリングの日だから〇〇は~時からね」とスタッフ同士の打ち合わせにSHJが参加していること、そしてそれが医療者の緊張の連続の中にもリズムと癒しをもたらしていると。

Eちゃんのお母様がお子さんの成長をブログに綴っています。そして毎週月曜日のSHJの活動のことを紹介くださっています。

ご家族のEちゃんへの深い愛情を感じずにはいられないあったかいブログです。

短腸症候群の息子の記録~小児病棟に笑顔を~

 

今日のプログラムはギタリスト 平原謙吾&ボーカル 久末冴子(オトイロクレヨン)の音楽&お話会。

画家でもある冴子さん作、紙芝居形式の二人の自己紹介は好きな食べ物や乗り物などポップなイラストで。

オリジナルの紙芝居に、深く透る歌声とギターの音色をバックにしたワクワクのお話にみんな夢中。

紙芝居舞台の前でお話しながら歌いながら、自然に身体が揺れる二人を見ていると子どもたちも誘われて心地よく身体がリズムをとります。

オリジナル曲『しあわせ』は一転リラックスできる美しい調べ。

Eちゃんはベッドサイドでお母さんのお膝の上でニッコニコ。

「パパ、お月様とって」のお話を満喫していました。

お客さんが好きなのでしょうか。今日もEちゃん!といってベッドに近づくアーティストとアシスタントを見つけると溢れるほどの笑顔で歓迎してくれました。

個室、ベッドサイド訪問は家族だけのアート時間。

今日は深く柔らかな声で歌とお話。そして耳に優しいギターの音色と。

来週はクラフトワークです。どんな作品ができるかな。

久末冴子ブログ

平原謙吾 Official HP

Smiling Hospital Japan Official Website

SHJヒストリー27〜アーティストの力〜

2012年5月、コメディアン、ピアノ&ボーカルアーティスト、そしてフォークジャスピアニスト&シンガーソングライターの3名とナンチャッテなアーティストの松本含め、4名のアーティスト⁉︎で始まったスマイリングホスピタルジャパン。


松本はイケイケの人、というもっぱらの評判とはうらはらに、内心自分の見切り発車ぶりにハラハラドキドキ、というのが正直なところ。しかし、今更おじ気づいては示しがつかない、と踏ん張る‼︎

2カ月の間、4名のアーティスト⁉︎が順番に病棟を訪問。いい加減に偽アーティスト松本は引っ込まなくては、と焦る‼︎
そんな私の心理を察してくれるのが、創造力だけじゃない、想像力豊かなアーティストたち。アーティスト一人ひとりがネットワークを持っていることも初めて知り驚きました。テーマを持っていると仲間は集まる、よし、これだ‼︎‼︎
一人が音楽療法士を紹介してくれると、その知り合いの声楽家を。
一方では別の知り合いがスマイリングの宣伝をするやいなや、あっというまにイラストレーター、歌のお姉さん、ダンサーに大道芸人・・たくさんのアーティストがスマイリングの趣旨に共感して、子どもたちの力になりたい!と集まってくれました。
アーティストと病棟に行くたび、誇らしげ、そして内心得意な気持ちで、
どうだ!スマイリングはプロ集団だぞ‼︎
まだまだ市民権を得ていないにもかかわらず、
おのずと頰が緩むのをこらえるのに苦労するほど。
人のふんどしで相撲をとるとはこのことか、と自分に対して苦笑するも、
アーティストへの感謝は忘れたことはありません。
こうしてマツモト、チームワークが苦手という殻を破り始め、スマイリングとともに成長?を始めたのでありました。

続く・・。

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〜子ども食堂〜

子ども食堂支援のために品川区が「子供食堂MAP」を作成、配布を始めたという新聞記事(11/21東京新聞朝刊)を読みました。

子どもの7人に1人が貧困、栄養源はもっぱら学校給食に頼る家庭も多いという。

そんな現状をなんとかしようと、全国で「子ども食堂」が展開されています。

飲食店主、NPO法人、宗教団体などがボランティアで運営、食材もフードバンクなどNPOによる支援やその他寄付でほとんどが賄われているといいます。

市民の力でこの動きが全国展開していることはとても素晴らしく、子どもは未来を創っていく宝、地域で支えなくては、という意識が形になっています。

しかし、市民活動としてこれほど盛り上がる背景は何でしょうか。

本来、国民を飢えさせない、というのは国の仕事のはず。

これほど子どもの貧困が広がっていて、それに対して民間が問題解決に奔走している。子ども食堂が草の根の対症療法とするなら、国は貧困問題に対して体質改善をすべき立場です。

国がやらないなら自分たちで、と国民がそこまで政治に期待しなくなった表れかもしれません。

そんな中、東京都品川区は食堂の広報や啓発活動の部分を引き受けている、ということでしょう。

ここで、国は子どもの貧困にどう向き合っているのかを知りたくて、

平成26年8月29日に閣議決定された

「子供の貧困対策に関する大綱」

を読んでみました。

~ 全ての子供たちが夢と希望を持って 成長していける社会の実現を目指して ~ 

とのスローガンのもと、

子供の将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、 また、貧困が世代を超えて連鎖することのないよう、必要な環境整備と教育の機会均等を図る子供の貧困対策は極めて重要である。 そうした子供の貧困対策の意義を踏まえ、全ての子供たちが夢と希望を持 って成長していける社会の実現を目指し・・・。

理念と9つの方針が明文化されていますが、具体策や国としての姿勢、予算については、偏りや曖昧さがあるようです。

教育面の予算はある程度ついた?生活そのものを支える制度やサービスに対する予算は?

ここでも文科省と厚労省の間にある垣根のようなものが存在しているばかりでなく、そのために支援に取り組んでいる個人、団体がなかなか協働しにくく、一枚岩ではいかない現状も垣間見られます。 

子供の貧困対策に関する基本的な方針の中に、

・貧困の世代間連鎖の解消と積極的な人材育成

・教育費負担の軽減 

・生活の支援

・保護者の就労支援

・官公民の連携

などがありますが、今回の品川区のケースは、官公民の連携(国、地方公共団体、民間の企業・ 団体等が連携・協働して取り組むとともに、積極的な広報・啓発活動等によ って国民の幅広い理解と協力を得ることにより、国民運動として展開してい く必要がある)

を受けたものでしょう。

子供の貧困対策に関する大綱について(一部) 内閣府HPより

理念は大事、しかし貧困対策には制度面での見直しなど時間がかかる・・!!??

それならズバリ!

目の前の子どもたちのために、国が食材の調達を!

障がいを持つ家庭の現状についての投稿(10/18)に続き、

市民の善意に甘えていないか・・再び!

「子供の貧困対策に関する大綱」(平成26年8月29日閣議決定)内閣府ホームページより

〜私の先生たち〜

障がいとひと言で言っても、先天性か中途障がいかで、本人、家庭の受け止め方は違う。

教員時代。最後に受け持った児童は、交通事故で負った脳挫傷のために、脳の損傷が著しく、意識が戻ったときには自立呼吸はできるものの、身体の硬直がひどく、光への反応がわずか、という最重度の障がいを負った女の子だった。

それまで当たり前に元気に走り回っていた我が子を突然襲った不運。

家族はこの突然の苦難をどう受け止めたのか。

まだ現実を受け入れられないでいる家族に、

バギーのサイズは? 

入浴の時間は?・・・

と現実はいつも土足で踏み込んでくる。

退院後の生活は?バリアフリーの住居探しを始めなくては。学校は?

病室に常に詰めている家族とケースワーカーとの面談。そしてその中での授業。

彼女のために、家族のために、何ができるか・・。

家族、医療者の次に近くにいる教員としての私。

それまで何度もいろんなケースにぶつかりその都度大切なことを教えて貰ったつもりだった。

でも一人ひとり違った困難に対して自分にできることをもがき模索する日々は続いた。

子どもたちというたくさんの先生に教えられ、鍛えられてきたのに、自分はちゃんとそれに応えて成長できているだろうか。

毎日が試される思いだった。

そして退職を決めた後に受け持ったこの女の子のことはやはり今でも気になる。

しばらくして、元の職場に行く用事があった。すでに退職しているから病棟へは入れない。子どもたちに会いたい気持ちを抑えながら廊下をいそいそと歩く。が、ふと見ると笑顔のお母さんが女の子に何か話しかけながらバギーを押している姿があった。あの頃とは違う、二人の表情は穏やかそのもの、窓から差し込む日差しの中、対話を楽しむ姿にどれほど安堵しただろう。

「あ、先生。いろいろお世話になりました。そろそろ退院です。元気にしています」

表には出さない苦労がある。でも表に出すにはあまりあるほどの眩しさを感じたのは確かだった。

今年は中学生になっている頃だ。たくさん学んで自分の世界を広げているといい。

父母は我が子に学び、兄弟は他人の痛みに寄り添える思いやりを育み、互いに支え合って暮らしていることだろう。

生徒たちのこと、お母さんたちのこと、今どうしているかな、といつも思う。