〜お母さんて、優しくて美しい!〜

最近、アシスタント研修や新登録アーティストの申込書類(抗体検査結果 ワクチン接種証明 健康診断結果含め)提出のために、活動に同行することが多くなりました。

昨日はアンケートのお願いがあり、病棟をお邪魔しました。

そのたび思うのはお母さんの強さと包容力。

強さは愛情に裏付けられ、包容力はまさに母としての底力ゆえ。

お母さんはただそこにいるだけであったかい。

子どもが、入院中に自分なりの楽しみを見つけて笑っているとそれだけで、ああよかった、と思う。

子どもは、そんなお母さんの笑顔にホッとし、お母さんが笑っているとそれだけで安心する。自分はありのままでいいんだと。

お母さんは、子どもが病気や障がいと闘っている時、一緒に頑張るというより、むしろ子どもたちの生きる力から勇気をもらっているかのようです。

我が子を誇らしげに見守り付きそうお母さんたちの美しさに、今日も心洗われる思いで帰宅しました。

女の子は、時にはママをかけがえのない親友みたいに思っているみたい。

男の子は、ママを自分が守るべき大切な存在と思ってるんだろうな。

病室では他のお母さんとおしゃべりばかりして笑ってるけど、おうちに帰ったらママは泣いているかもしれない。

早く治ってママを慰め元気にしてあげなきゃ。

そんな思いも闘病を頑張るちからの源かもしれません。

子供がほんらい持つひたむきさや、正義感や思いやりが、痛みや我慢を重ねた闘病生活により、揺るぎのないものへとさらに成長していく、

そんな気がします。

  優しくて美しいお母さんと、

  まっすぐな眼差しでお母さんを見上げる子どもと・・。

早くおうちに帰れますように、と心から思います。

〜なぜ勉強するのか〜

自然界の事物が「あなたによって知られること」を待っている。

誰かの役にたつためとは限らない。自然界の物事があなたによって「知られること」、そしてそれらをあなたによって他の人に「知られるように」してくれるのを待っているのです。

「共感 育ち合う保育の中でー」

青山学院大学社会情報学部教授佐伯胖氏著

の中でまたまたストン!と腑に落ちるくだりがありました。

抜粋します。

あなたが勉強するのは、あなたが少しぐらい裕福になって、ラクな暮らしができるようになるためなんかじゃない。

世の中にはあなたの助けを待っている人たちがたくさんいるのです。

あなたが何かしてあげることで喜んでくれる人がいるのです。

そういう人たちに目を向けてください。そういう人たちに「何か」をしてあげてください。

そういう人たちはあなたの周囲にいます。

それはあなたに「勉強しろ」とせまる人とは違い、ただあなたが目を向けてくれるのを待っている人たちです。

それは、実は、世界中にいるのです。

私たちはそういう人たちに囲まれ、期待を寄せられ、じっと待たれているのです。

そういう人たちに「共感」することで、私たちは、「学び」に駆り立てられるのです。

れは、あなたが誰かの「役に立つ」ということを意味するとは限りません。

自然界の物事が、あなたによって「知られること」を待っているのです。

そういう世界は、あなたが心を寄せて、「いまだ知られていないこと」を「知られるように」してくれるのを待っているのです。

そういう「知られることを待っている」世界と、親密に対話することで、科学の探究がはじまり、文芸の世界が創出され、「美」が紡ぎ出されるのです。

そういう世界に、「共感」することから、私たちは「学ばないではいられない」衝動に駆り立てられるのです。

はしがき「今こそ、『共感』に目を向けよう」より

「知られることを待っている何か」と共感する・・

教科書に書かれた膨大な情報も、自然界の事象も・・私たちが目を向けるのを待っている・・。

学校でもこんな風に言われていたなら、もっともっと意欲が持てたかもしれない。

学習とは一方的なことではなく、知らないことと仲良くし、共同作業することで、文化や芸術を生み出すことにつながるのですね。

周りのすべてのものが語りかけてくるようです。

愛おしさに心が満たされたような気持ちになりました。

アースデイで行きつけのスポット「工房ぱれっと」

1970年4月22日にアースデイはアメリカで誕生しました。

日本では、1990年より、「地球のことを考える日」として、4/22に一番近い週末2日間、全国でイベントが展開されています。

代々木公園では2001年から毎年開催。

環境問題、人口問題、食糧問題・・あらゆる分野の社会活動が紹介され、楽しみながら問題意識を啓発するイベントになっています。

スマイリングホスピタルジャパンは2013年から毎年ブース出展しています。

スポンサー フィアットジャパンのCSVプロジェクト

”Share with FIAT”

の支援のもと、今年も大盛況でした。

そんな中、一昨年からブースをちょっと抜け出して探すのはNPO法人ぱれっとが出展する「工房ぱれっと」。

この団体は渋谷区恵比寿で、知的に障がいのある人たちを対象に、余暇活動支援(たまり場)や就労支援(クッキー製造販売・軽作業等)、生活支援(グループホーム、緊急一時保護事業、短期入所事業)、シェアハウス、国際交流活動を行なっています。

アースデイでは手作りクッキーを売るコーナー(お菓子屋ぱれっと)と、手作りぬいぐるみを売るコーナー(工房ぱれっと)を出展しています。

真心こもった商品のうち、何といっても惹きつけられるのは愛らしいマスコットの数々・・。

「工房ぱれっと」は、その人のペースに合わせた作業の提供を目的に2013年にスタートしました。就業日数、時間など個別に対応し、それぞれの個性やアイデアを生かしたぬいぐるみや雑貨を製作し販売しています。

日々製作したものを店舗で販売していますが、アースディにも毎年参加。

偶然見つけてからというもの、立ち寄らずにはいられないお気に入りのお店です。

「去年も来てくださいましたね!」

「覚えてくださってるんですか!あんまり可愛くて店舗を探し、プレゼントを探していた知人に都庁店を紹介しました。

私は3体目。コレクターです!」

と会話が弾んだのもつかの間、後ろ髪を引かれながらブースに戻りました。

撤収後もお邪魔したくらいのお気に入り&おすすめスポットです。

ぱれっとの利用者さんが生き生きと接客している姿も素敵でした。

NPO法人ぱれっと Website

〜耳で聴かない音楽会〜

「音」を「振動」に変えて身体で聴くコンサート

耳で聴かない音楽会へスタッフと一緒に行ってきました。

これはまさに音楽のバリアフリー!

落合陽一氏&日本フィルによるプロジェクトVol.1は東京国際フォーラムにて。

ITを使った聴覚支援機器の数々・・。

テクノロジーは障がいのある方たちのためにこそある!と主張している私ですが、この音楽会は自然な形でインクルージョンを実現していました。

聴覚障害のある無しにかかわらず、誰でも一緒に楽しめる取り組みです。

触覚、視覚、聴覚・・多感覚が誘われる感じ。耳だけで聴いていた音楽にさらなる奥行きとワクワクがプラスされていて、思わず、スタッフと大はしゃぎでした。

🎵ORCHESTRA JACKET

体を包み込むようにして全身で音楽を楽しませてくれるジャケット。燕尾服のデザインで、まるで指揮者になったような気分も味わえてgood!

オーケストラジャケットに身を包み、初めての感覚に驚きはしゃぐのは会計スタッフ 望月聡子さん。

🎵SOUND HUG

両手で抱きかかえて音楽を振動として体全体で感じることができます。

また、赤から青のグラデーションに光が変化します。

低い音は赤、高い音は青。

その間をいったりきたりする発光の様子で視覚的にも楽しむことができます。

サウンドハグというネーミングもぴったり。心地よい抱き心地です。

🎵Ontenna

振動と光によって髪の毛で音を感じることができるヘアピン。リズムやパターン、大きさを知覚することができます。髪の毛だけでなく、人によっては襟などにつけて首のあたりで音を感じることが心地よいという場合もあり、装着する場所は自由です。

オンテナ・・身につける音のアンテナです。

進行は、手話通訳とパソコン通訳の情報保障がされていて、同じ障がいでも当事者が求める「方法」に丁寧に対応しているところに愛を感じた豊かな時間でした。

落合陽一氏&日本フィルによるプロジェクトVol.2は8月に開催が決定。

さらにダイナミックな実験が繰り広げられる予感です。

ドキドキ!

耳で聴かない音楽会

 〜学ぶということの意味〜

「子どもと教育 学ぶということの意味」(青山学院大学社会情報学部教授 佐伯胖氏著)を読みました。

もともと、佐伯氏は著書「わかり方への根源」の中で、

人は生まれたときから、己をとりまく文化になじみ、その文化の発展と新しい文化的価値の創造へ参加しようとしている。

と伝えています。

このことを裏付けるような氏の体験が「学ぶということの意味」に書かれていて、読んだ瞬間、

そうか!

という感動とともにすとん!と腑におちる感覚を覚え、身震いするほどでした。

その体験は、知人のお葬式に参列しているときに実感したこととして綴られています。そのくだりを要約すると、

「その人は母親の友人で若いときに重い病気にかかり、何度も手術を受けたが回復せず、そのうち親類や夫からも見放され30年間を病院のベッドで過ごした。遠方に住む母親に頼まれてその人をたまに見舞う程度。その時は大変な喜びようで、いろいろな話をしてくれた。頼まれたラジオを持って行くと他の患者さんに迷惑をかけないようにと、いつも耳の近くにおいて小さな音に絞って聞き入っていた。

葬儀は病院内の小さな教会で、医師、看護師と少数の知人が参列、それは静かなミサだった。

何も遺さず、ひっそりと苦しみながらひとりこの世を去られた。

『この人の人生は結局何だったのだろう』

参列しながらそう考えていたその時、

『すべての人は、生まれたときから、最期の瞬間まで文化的な営みに参加している』

という自らの公理を確信した」

と綴っています。

本を読み音楽を聴き他人を理解する。

それはまさに私たちと共にある仲間だということ。

その人が「わかる」とき、それはただその人の心の中の出来事ではなく、わかり合うこの世界の文化の営みに参加しているということ。

わかるという、最も文化的な実践に参加していた、ということを確信したと言っています。

「人は文化の営みの中でappreciation(感謝)を持ってappreciate(わかり)合うことで生き、生活している」という氏の表現は絶妙です。

文化とは、

つくる人

つかう人

わかる人

で出来上がります。

ただ、作り出し消費するだけの世の中ならそれは文化とは程遠い殺伐としたものとなるでしょう。

氏が参列中に感じた、

この人の人生とは?

の答えは、

「わかること」を通して、最も文化的な実践に参加していた。

ということになります。

ここで一つ思います。スマイリングのこと。

ー受け身でなく参加型活動ー

という方針を掲げていますが、それは必ずしも動的なこと

~楽器を持つ、 一緒に声を出して歌う、など~

だけでなくてappreciate〜わかり味わう〜という形の参加もあるのだ、

ということ。

ただ受け入れて味わうことappreciation。

活動へのなんとも創造的な参加形態なのだと確信しました。