夏休みはおばあちゃんと!

科学技術館には見事に(思惑通り!)はまり、昨日はリピーターズチケットを使って2回目の科学体験。

リピーターズチケット。あと1回来れば2回目は無料

今回まず気を引いたのはエネルギーの部屋。

太陽光発電、風力発電、水力発電などの模型を自分で動かしてその仕組みを体験します。

原子力に代わる自然エネルギーがずらりと紹介されていて、我が意を得たりとニンマリするばあば。

今回は好きなところに時間をかけようと、前回はまった「イリュージョン」と「メカ」の部屋を思いっきり堪能。

ワークス(実験室)は、ばあばがちゃっかりその気にさせて誘った部屋。

午前中に「超低温」の実験、午後は「空気の実験」を。

もう少し大きかったら夏休み自由研究としてまとめても、と思ったけれど、まだ1年生。

まずはじっくり体験です。

「超低温の実験」では-196度の液体窒素にカーネーションやソフトボールを入れると沸騰した後凍ってしまう!?という不思議さにびっくり。

「空気実験」はテーブルの上に置いた下敷きがぴったりくっついて剥がれない!?そしてそれはなぜ?

え~?

不思議だ~!

わあ!!

という子どもたちの驚きと歓声の中、大人たちの表情も食い入るよう。

帰りは一番好きな「メカ」の部屋へ再び寄って、歯車、滑車など機械に欠かせない部品のしくみや働きを、体を使って味わいます。

重たい鉄の玉・・直径25cmほどでしょうか・・を機械に載せて運ぶというもの。

部品のしくみだけではなく、重力を感じながらものを動かすことを体感できます。

ここでは、一期一会の出会いの子どもたちが、

「ボール、行ったよ、よろしく!」

「オッケー」

と声を掛け合って力を合わせるところが、ばあばとしては気に入っているところ。

帰りはショップに寄って、パズルを買おうということになり。

ちょうど今凝っている知恵の輪ならぬ「はずる」という立体パズルが並べられていて、ちょっと無理して難易度4のを買い込んだのですが・・。

帰宅して悪戦苦闘の末、諦めておやすみなさい・・。

明日は外してみせる!

と意気込んだけど、ちょっと背伸びしたみたい。

いつかは成功するでしょう。

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夏休みはおばあちゃんち!

夏休み開始と同時に一年生になった我が孫もご多分に漏れず、ばあばの家に滞在しています。

さてどこに連れて行こうか、あれこれ考えたけど、絶対外せないのが、九段下にある科学技術館。公益財団法人日本科学技術振興財団が設立した施設で、昭和39年4月に開館しました。

ここは孫の母親である娘が小学生の頃、友達と一緒によく連れて行ったところ。

教員時代にも校外学習で生徒たちを引率した、思い出深い場所です。

文系の私はなぜか自然科学が好きで、自然現象や科学の不思議な事象に心うきうきとします。

自然観察や虫とり、実験・・およそ、自分の専門とはかけ離れていることが楽しくて仕方ない。

だから孫が理解出来る年になったら絶対に連れて行きたかった場所がここでした。

やっと小学校に上がり、手を繋げば、遠くても電車に乗っていけるようになり、いろいろなことに興味を持ち、集中して観察できるようになりました。

そんなわけでこの夏、

おばあちゃんと科学の世界にデビュー!。

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まず辿りつくまでの道中が面白い。

江戸時代に江戸城北の丸があった跡が北の丸公園ですが、そこを歩きながら入るというコースがスリリングで楽しいです。

清水門をくぐる手前の堀に古い橋がかかっていますが、そこから見る水面には一面に蓮が生い茂っていて所々、ピンクの蓮の花が咲いていました。

清水門をくぐり、そのさきにある崩れたまま残る石段をせっせと数段上がります。一段一段が、高いこと。

身長120cmの孫にとっては結構ハードな一段。

汗かきかきでも、気は急いてワクワク感が増してくる。おばあちゃんの私も、早く孫に科学の世界を楽しんでもらいたくてうきうきです。

北の丸公園の鬱蒼とした木々をぬっていくと、昭和の香りただよう建物(上野の国立科学博物館とは段違い)が忽然と現れます。それが目的地。

いいなあ、この雰囲気。

科学技術の響き、敷居が高そうでいて、ここの佇まいが気取ってないところ、まず好感が持てます。

館長はあの、ノーベル化学賞を受賞した野依 良治氏。

そこに落差を感じる素朴な建物ですが、かえって入る前に自然と気持ちが引き締まります。

さて孫のお気に入りだったのは、「イリュージョン」という錯覚の部屋。

それと「ワークス」という実験室。

「メカ」と名付けられた部屋では、基本的な機械要素(歯車、バネ、ネジ等)を体を使って体験します。

その日に初めて出会った子どもたちが一緒に大きな玉を運ぶ、という+αの素晴らしいコンセプトある部屋。

食べることも忘れて夢中になる、孫と私の目下一番のお気に入りの場所です。

なんども来たくてもらったリピーターズチケット

〜教科書が絵本!?〜

特別支援学校とは特別な支援が必要な子どもたちのための学校。

12年ほど前までは養護学校と呼ばれていて、ちょうど私が最初に赴任した都立北特別支援学校の院内学級にいた2006年に、養護学校から特別支援学校と呼び名が変わりました。

それまでの養護学校の歴史を振り返ってみます。

「学校教育法等の一部を改正する法律」

・・障害種別による学校の区分をなくして、学習障害や自閉症等の発達障害も含めた特別な教育的支援を必要とする児童生徒に、適切な教育指導と必要な支援を行う・・

が成立し、翌2007(平成19)年4月に施行されるに伴う、ネーミングの変更でした。

特殊教育学校(盲学校・聾学校・養護学校「知的障害、肢体不自由、病弱」)のうち該当する学校への就学は、1947年の教育基本法・学校教育法の公布が機となり義務化に至りました。

盲と聾の児童については、すでに大正時代にそのための学校の設置が義務付けられていたことから、そのまま就学は義務となりました。

しかし、重度の障害の子どもに対しては就学免除・就学猶予の措置が執られ、ほとんどの場合就学が許可されなかったといいます。

その後30年も経った1978年に就学猶予、就学免除が原則として廃止されたのを受け、翌年1979年に養護学校の義務化が図られ、入学を許可されなかった子どもも入学できるようになりました。

知的障害、肢体不自由、病弱等のための養護学校の義務制の実施が遅れたのは、盲と聾の学校と違い、実績がなかったことと、敗戦後の混乱と財政的窮乏の中で、一般の小学校、中学校の義務教育をまず優先させたからだとわかりました。

その後、障害の種類に応じた学校が設置されるという形はできたものの、障害児への教育の目指すものが何であるのかがはっきりしないまま学校が次々に作られていったようです。

なるほど、その時点で、

・障害とひと言で言っても千差万別で、「個別の対応が必要」であるという認識自体が欠けていた。

・個々に応じた特別な支援のもと、普通校での教育とは違った、障害に応じたカリキュラムの検討が不十分だった。

と想像します。

特殊教育学校が設置され就学が義務づけられた段階で、実績がなかったために教育方法が検討されないまま学校が次々に作られた、という経緯を考えると、「通学ありき」のような気がしてなりません。

もちろん、十分な数の学校設置は家庭にとっては悲願であったには違いありません。

しかし、教員時代から疑問に思っていた、

「重度の子どもたちの多くが身体が重度、すなわち見かけが重度というだけで教科書が『絵本』であること」

活動を始めてからも、

「重度の子どもや成人に近い方のベッドサイドに行くと、依然、枕元に『絵本』が置いてあったりする」

過小評価の甚だしさ怒りがこみ上げます。

「特別支援の子ども達のための教科書」に星本というのがあります。小学校でこくご、さんすう、おんがくの星1つから星3つまであって学年にとらわれず習熟度別に選べるのです。中学は星4つで3教科。そのほかは一般図書という名の「絵本」なのです。

また、障害のある子たちにも普通校の生徒と同じ経験を、ということで特別支援学校でも、運動会、文化祭、修学旅行などの行事が行われます。

その教育的意義について深く検討されることもなく実施される。

本当はもっと個別の対応が必要なのにと思うと一斉行事をたくさん行うことが乱暴に思えてなりません。

この状況は先に述べた、特別支援学校の歴史と大きな関係がありそうだということを改めて感じます。

重度の子どもたちへの教育がとても難しいことから、教師養成自体が成熟しないまま重度の子どもの数が増え、それに伴い学校の数が増えていった、という背景も忘れてはなりません。

教育を行う側の一方的な考えや基準の枠にとらわれたものになれば、 児童生徒の自信や意欲を奪ってしまうことになりかねません。

そんな中、現場では問題意識を持ちながら熱意と努力と工夫により踏ん張る教師もいる。決められたカリキュラムの中で時間やエネルギーを捻出し、子どもたち個々の本来持つ力を引き出そうとする教師がいるのも事実です。

人としてよく成長し、よく生きる権利は誰もが持っています。 

そこに憲法第25条に定める「国民の生存権、国の保障義務」の意味があり、

憲法第26条に定める「教育を受ける権利、受けさせる義務」 が生きます。

特別支援教育が、その難しさに甘んじることなく、子どもたちがよりよく生きる権利を全うするための手法を見出し一般化されることを、願ってやみません。

参考:障害児教育の歴史

教科書目録(平成31年度使用) 平成30年4月文部科学省

スヌーズレンで癒されたい!

今年の夏の暑さは尋常ではありません。行動への意欲も減りそれがまたストレスになってしまう人も多いのではないでしょうか。

日常のストレスを発散するために私たちが行うことといえば、音楽を聴く、運動をする、美術鑑賞をする、自然の中に身を委ねる、ペットと戯れる、買い物をするなど、人それぞれです。

子どもだったら多少暑くたって、外に飛び出して思いっきり体を動かしたりできます。

しかし、重い障がいのある人にとってはストレスを癒すために、自らが好きなところへ自由に出向いたり体を動かしたり、ということ自体ができない場合が多いのです。

ますますストレスがたまってしまうでしょう。

それに対応できるのがスヌーズレン。

ひと言で言えば「「癒しの空間」といったところでしょうか。

自らの環境を自ら作り出せない人たちのために、周囲の人たちの援助によって人工的に作られた部屋のことをいいます。

1970年代にオランダで始まったこのシステムは今では世界各国に広まり、日本でも少しずつ病院や施設で取り入れられています。

4年前に活動を開始した、こどものホスピス「淀川キリスト教病院」ではスヌーズレンの部屋が設置されているばかりか、廊下や玄関などふとしたところに空間があり、本で読んだり写真を見たりしてイメージしていただけだったものを実際に目にしたものです。

廊下に施されたスヌーズレンコーナー ぶくぶくの泡をいつまでも見ていたい・・・
映写スヌーズレン 投影が回転するようになっていて色や模様がいろいろに変化する光のリラクゼーション

ではスヌーズレンとはどんなところなのでしょうか。

「人間の持つすべての基本感覚を刺激し、統合させ、機能させるための環境設定法」

「人間が生まれ持つ基本的な能力(視覚、聴覚、嗅覚、味覚)とともに携わる運動感覚や認知感覚を鋭敏にするために、いろいろな方法によって設定した環境で適度の刺激を与える空間」

「受ける側はそれらひとつひとつを楽しみながら感知し、体感し、学習し、自分のペースで自分にあった刺激を自発的に選択して受け入れ、自然な形で感覚を磨いていく空間」

河本佳子著 スウエーデンのスヌーズレン より

大自然を見立てて人工的に作った環境ですが、いろいろな仕掛けがあり、様々な疑似体験ができる、さらに気持ちの良いゆったりした癒しの雰囲気を感じることができるのです。 

具体的には・・

穏やかな雰囲気が作られ、気持ちを落ち着かせられる空間

環境音楽が流れてリラックスできる部屋

ワクワク遊びごころがそそられる場所

感覚刺激に身を委ね気持ちよくなる部屋

などなど・・

・水槽の水の流れや魚の動き回るようすを、いつまでもうっとり見ている小さな子ども

・砂時計の砂がゆっくりと落ちていくさまを無心に見つめ、飽きることなく何度も繰り返しひっくり返して見ている子ども

彼らは自らがスヌーズレンの環境を作っている、と言えるかもしれません。

スヌーズレンとは感覚のバリアフリー

SHJの芸術活動がダイナミックな高揚感をもたらすものとしたら、スヌーズレンで過ごす時間は穏やかな水の流れに身をまかせるようなリラックスタイム。

特に重度重複障害を持つ子どもにとっては、心地よい最高の空間ではないでしょうか。思いのままに動けない身体で、魅惑的ものを見つめ、皮膚で感じ、振動を体感し、珍しい音を聞く。じっとしていても、周囲の変化を感じることができます。

私たちも、早い時間の流れや過多な情報にとかく流される日常。

ちょっとスローダウンして自分のスヌーズレンを探してみるのもいいかもしれません。

時には障害のある子どもとスヌーズレンで戯れてみるのも。

こんな時、思いもよらなかった気づきを彼らが与えてくれるかもしれません。

もっともっと広がれ、スヌーズレン!

参考:河本佳子著 スウエーデンのスヌーズレン 

SHJアーティストライブへ!

SHJには素晴らしいアーティストがたくさん。個展やライブには都合が合う限り足を運びます。私が行くと必ず団体のこと、活動のこと、その素晴らしさや関わることの意義を、お客さんたちに語ってくれ、そして代表のことを紹介してくれます。

一昨日は、福岡や沖縄までSHJを広げてくれたボサノバシンガーSatokoのライブが吉祥寺Stringsでありました。

シンガーえびはらなおみさんの歌とSatokoさんのピアノ伴奏による「にほんの唄」コンサート。

普段ギターを携えて日本津々浦々へライブに飛び回るSatokoさん。ピアノは持って歩けないからとギター弾き語りがライブの中心です。もちろん、今回のコンサートでオリジナル曲の数々も披露されました。

「ピアノは久しぶりに弾いた」

というものの、素晴らしい即興アレンジで、その迫力に圧倒されました。

Satokoさんは正真正銘の天才に違いない。

こんな人がSHJに参加して各地で活動、宣伝、そして活動を広めることに一生懸命になってくれていること、何より幸せに感じます。

かたや、えびはらさんは日頃はジャズやボサノバを英語、ポルトガル語で歌っていますが、今回の企画は日本の唱歌をアレンジしたものが主なプログラムでした。

仕事で知り合ったブラジルのヘナート・ブラスというシンガーが、

「ブラジルでは日本の唱歌を学校で学ぶ。その中でも”ふるさと”は大変美しくて人気だ」

遠く海の向こうで子どもたちが学校で歌っているという。

外国でこれほどに日本の歌が愛されていることが嬉しくて、もっと自国の歌を大切に歌おう、と思ったと、今回の企画の経緯を語っていました。

また、えびはらさんのお母様が昔よく歌ってくれたという「びわ」という唱歌、今回はSatokoさんのピアノアレンジに乗せて聴かせてくれました。

「びわ」

びわはやさしい 木の実だから

だっこしあって うれている

うすい虹ある ロバさんの

お耳みたいな 葉のかげに

びわは静かな 木の実だから

お日に温(ぬる)んで うれている

ママといただく やぎさんの

お乳よりも まだ甘く

作詞:まどみちお  作曲:磯部俶

何とも優しくてあたたかな詩。

母国の童謡を歌うことにインスパイアされた「にほんの唄」コンサート。

そういえばと思い出します。

小学校6年の時、

サイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」に衝撃を受け、それからというもの、洋楽にのめり込んだあの頃。

それはそれでいい思い出です。英語教員になるという夢を叶えたのも、あの頃の夢中が形になったのだから。

それにしても、足元に素晴らしいものがたくさんあるのに、遠くを夢見て、すぐ近くにある魅力的なものや大事なことに気づかない、ってこと、まだまだあるんだろうなあ。

”灯台下暗し”

もうちょっとスローダウンしたら、見ているつもりでも見ていないものが近くにあるのかもしれない、と教えてくれたえびはらさん。

基礎や本質からぶれないでいると、とっさのときでも最大限の力を発揮できることを教えてくれたSatokoさん。

奥の深いライブに酔いしれた土曜日でした。