手術、ワンちゃんと一緒なら!🐕

「ワンちゃんと一緒だから手術も怖くないよ」。

手術を前に、小さな女の子が言います。

今、勤務犬!

が医療機関で患者の心を癒す活動をしています。

そんな記事をyahooニュースで見つけました。

→yahooニュース〜可愛い犬と一緒、手術も平気 「勤務犬」が病院で活躍

 犬が活動?

ハンドラーと呼ばれる看護師さんが育て

病院に連れてくるのだそうです。

高齢者施設や小児病院で犬と触れあう機会は増えていますが

衛生管理等が厳しく、

治療への成果が求められる医療機関では

なかなか導入は難しいようです。

そんななか、川崎市にある聖マリアンナ医科大学病院では

スタンダードプードル「モリス」が

緩和ケアチームの一員として勤務しています。

子どもだけでなく、成人の患者や

その家族の精神的安定と不安の解消、

治療意欲の向上に一役買っているといいます。

入院病棟の病室や談話室、

手術室や処置室まで、患者に同行します。

患者がリードを引いて病棟内を「散歩」することも。

聖マリアンナ医科大学の周産期病棟に勤務する娘によると、

妊婦の不安を和らげたり

新生児のところに行って

若いママを励ましたりもしているそう。

衛生管理や人畜感染症の問題が課題でしたが

犬に付着した細菌を調べると

多忙な研修医の白衣よりも清潔!であることがわかり

導入が決まったそうです。

もちろん、

アレルギーを持つ人や

犬が苦手な患者、

免疫力が低い場合などへの配慮

は欠かせません。

勤務犬「モリス」。

長く辛い入院生活を送りながら

不安を抱える患者の精神的な負担を軽減することが任務。

長年手術を拒否していた小児が

「ワンちゃんと一緒なら」と

歩いて手術室に入っていった・・・

抗がん剤治療による吐き気に苦しむ小児がんの子どもが

モリスと一緒の時に笑顔を見せた・・・

そんなエピソードも

記事の中で紹介されていました。

スマイリングホスピタルジャパンの

参加型アートやダイナミックなパーフォーマンスも

同様のミッションのもと活動していて、

手術を怖がっていた子どもがバルーンの剣をもらって笑顔になったり

笑うことのなかった子が入院して初めて笑ったりなど

その意義は現場でも折り紙つき。

しかし

手術室や処置室まで一緒に行くことは

さすがにできません。

ここで提案。

病棟で過ごす時は

スマイリングホスピタルジャパンのアート。

いざ手術の時は「勤務犬」と。

たまには犬の散歩もあり。

art & dog

そんなセットが当たり前になっている場面

想像しただけで

たくさんの子どもたちの笑顔が浮かびます。

さて、勤務犬の立場になってみると

嗅覚や聴覚が発達した犬にとって、

病院は決して快適な環境とは言えないし、

患者との接触によるストレスも大きいでしょう。

活動日を一週間のうち数日に絞り

休養の時間を十分とっているところ

「犬のきもち」を大切にしています。

体調によって、

ハンドラーの判断で活動を中断したり、

延期したりする場合もあるそうです。

動物

特に犬や猫が

無条件に私たちを癒してくれること

改めて納得です。

我が家は鳥などの小動物しか飼えない環境。

ヌマエビやメダカたちが優雅に泳ぐ姿を眺めたり

森が近くにあるせいか

窓の外に目をやれば野鳥を見てホッとします。

事故で大怪我をした時は愛犬ラッキーに癒されたものです

同じいきものだけど

無垢な存在には本当に心癒されます。

手術だって、ワンちゃんと一緒なら!

〜白杖ユーザーと歩く👣〜

視覚障害のあるアーティストが活動に向かうとき

最寄りの駅で待ち合わせして

ああだこうだとおしゃべりしながら歩きます。

白杖を持たない手を私の肘にかけながら

家であったこと

最近の朗読ライブのことなど

いつも話は尽きません。

彼女が歩きやすいようにと思っても

細かな失敗はいつものことで

反省することしきりです。

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活動病院までは公共交通機関を使いますが

帰りは16:30を過ぎで

そろそろラッシュ時に差し掛かる

とても人通りの多い時間になります。

渋谷駅を使うとき

大規模な工事現場の中を歩くのは

かなりの恐怖を誘います。

そして駅が大きければ大きいほど

歩行者の流れが色々で

ぶつかりそうになることは

一人で歩いていてもしばしばです。

そんなところを

視覚障害の方と歩く緊張感は

回を重ねるごとに

少しずつ和らいでいるとはいえ

集中力は必要です。

事故のないように細心の注意を

と心がけつつも

おしゃべりばかりして

つい相手が

”見えていないこと”

を忘れてしまうこともあり

注意、注意。

さて、

目的の駅に着いたとき

ホームに降りてから

改札に向かおうとするときに困難が生じます。

うっかり階段近くに降りてしまったとき

階段と線路の狭い空間は一人でも前進が困難。

帰宅ラッシュ時は疲れて家路を急ぐ人の波が

どどーっという状態。

このようななかに放り出されたら、

白杖を頼りに歩く人がどれほど不便で怖い思いをするか、計り知れません。

一緒にいるときはアシストするべき自分の存在が

かえって邪魔になっているもどかしささえ感じます。

いざ

エスカレーターがなく階段だけとわかったとき、

「ごめん!階段だ!」

たくさんの人がどーっと電車から降り

同じ方向にだんごになって押してくると

もう

エレベーターを探すこと

辿りつくことに

果てしない距離とバリアを感じてしまいます。

途方にくれている余裕などあるわけもなく

まごまごとして

周りに迷惑な顔をされるどころか

それこそが彼女にとって危険。

「ごめん。ごめん」の連続に

「大丈夫、大丈夫

いてくれるだけで安心だよ」

と慰められる始末。

視覚障害の生徒と廊下等歩くときの研修は

教員時代に受け、できる!つもりになっている自分。

アーティストともなんども歩いて慣れていると思っている自分。

しかし、歩く場所にはいろんな場面や場合があるということ

不自由がないと鈍感になってしまうことを痛感しました。

視覚障害の方の怖さや不安は計り知れないということが

今回、実感として伝わってきました。

改めて

視覚障害者と一緒に歩く方法

を勉強し直すことにしました。

こちらに参考になるサイトを貼ります。

「視覚障害者の誘導方法」

http://home.c00.itscom.net/t2oho4no/fukusitaiken/yuudou/yuudou.htm

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ホームの点字ブロック周囲の段差など

課題は満載の駅ホーム。

こんな無神経な段差はあちこちにあります(↓写真)。

このくらいの段差でも杖が引っかかり足がつまづく原因になります。 どの駅もホーム点検してほしい!

駅ホーム、

視覚障害の方にとって一番恐怖を感じるところだと

アーティストも話していました。

アシストする人がいることで安心できるというのですから

アシスト本人がまごついて

かえって危険を生じでしまわないよう

危険性の高い場所、エレベータの場所を

事前に把握しておく必要があると

反省しきり。

1日も早いホームドア完全普及ですが、

待っているだけではなく

一人一人が実際にできることがあります。

それは

白杖を持った方を見かけたら

声をかける

ということ。

いますぐ、誰にでもできる支援です。

いえ、支援するというより

普段見過ごしていることに気づかされるでしょう。

支援という言葉を使うならば

支援するということの意味やその方法を

教えられることの方が多いかもしれません。

分身ロボットカフェにいきました🤖

オリィ研究所開発の分身ロボットが接客する

「分身ロボットカフェ DAWN」

へ行ってきました(@大手門タワーJXビル1F)。

ロボットに内蔵されたカメラ映像を見て

障害者などが顎や目線でPCを操作。

自宅や病院にいながら

遠隔でロボットを操作します。

難病の参院議員 舩後靖彦さんも

国会で分身ロボットの使用を希望していて

このカフェを見学したそう。

重い障害があっても国会で働けることを示すことで

企業や当事者にもこのシステムが広がり

外出困難で就業できなかった人たちに

明るい希望が持てるようになりそうです。

申し込み期間が過ぎ残念に思っていたところ、

「エリー、カフェに来てよ」

と誘ってくれた人がいます。

「当日券が残ってるかもしれない」

と、SHJ在宅広報担当の白髭萌さん。

呼吸障害のため体調を崩すことが多く

一旦広報の仕事はお休み中です。

今も入院中。

思うに任せない中

希望を失いかけていた頃

このロボットに出会えて

生きる喜びが湧いた、と。

分身ロボットを操作する人を

OriHimeパイロットと言いますが

白髭さんはこれに2回目の応募。

→1回目は2019/6/21投稿〜SHJスタッフがOriHimeテストパイロットに!

昨日も入院先の病院にて

パイロットとして

堂々たる働きぶりでした。

いきいきとした声が

カフェ中に渡り

私も友人として誇らしい気持ちになりました。

10/6読売新聞でカフェに向けた練習に励む白髭さんが紹介されました。

これは画期的な開発。

しかし重度訪問介護を受ける人が

分身ロボットを使って働くことは

そう容易ではありません。

就業中は公費で介護費用の助成を受けられないという

現行の制度のためです。

→2019/8/5投稿〜重度訪問介護サービス見直しへ!

無償のボランティアで働くか

働く間は介護ヘルパーを頼まず

トイレや水分補給を我慢するか

または家族に介護してもらうか。

就業のチャンスが訪れても

この現行の制度が

自立や生きる希望を阻みます。

カフェで接客してくださった

筋ジストロフィーのKさん。

人工呼吸器をつけながらの

溌剌とした声が印象的でした。

「このカフェで人工呼吸器のイメージを変え

身体障害者の就労の可能性を拓きたい」

と。

工夫さえすれば寝たきりになったり

外出が困難になっても働けるということを

示し続けながら

就労を阻む様々な障壁を

崩していってほしい、と感じました。

今回のカフェ訪問で

テクノロジーの可能性

テクノロジーが困難にある人の

希望への架け橋になること

改めて強く感じました。

〜🌀場違いの効用〜

🌀病棟で大道芸

🌀病棟で着物

🌀病棟で科学実験

🌀病棟でラップ

🌀病棟で悪ふざけ

🌀病棟で天井まで届くはしごでジャグリング

🌀病棟でコール&レスポンス

・・・・・

・・・・・

挙げればきりがない

これがSHJの活動がウケるわけ。

もちろん、

安静が必要な子どものところでは

テンションを下げなくてはならないことは

百も承知のアーテイストです。

だから

「アーティストたち、

羽目を外したらどうしよう・・」

などという心配は無用です。

制作系の活動だったら

作品の中でアーティストたちは

子どもたちに負けないくらい発想豊かに

羽目を外しています。

⚗ 🔬 ⚖ 🧪 🥼 🗜

高度医療現場とは、普通に暮らしていたら

関わる機会のない、

敷板の高い遠い場所というイメージでしょうか。

小児病棟といったらその中でも最も遠い場所かもしれません。

緊張の連続にある医者や看護師たちは

1ミリのミスも許されないピンと張りつめたような知性の塊。

いっぽう、

リズムやウィットという

いっさいのマニュアルやトリセツのない

クリエイティビティ溢れるアーティストたちは

周りの感性をくすぐるユーモアの塊。

🤡 🤹‍♂️ 🃏 🤹‍♀️ 🤡

失礼とは承知の上で、その落差が時に滑稽でさえあります。

時にアシスタントとして

アシスタント研修のために同行すると

それぞれがそれぞれの立場で懸命に子どもと向き合います。

全く真っ当な立場と

常識で言えば場違いな立場。

スマイリングホスピタルジャパンの活動は

「突飛な発想から出発したありえない活動」

「思い切りの良い大胆な着眼」

とよく言われます。

”面会時の注意”として病院が掲げる注意点に、

「入院している人は病気を治すことが一番の仕事です。

患者が疲れないように、

面会時の会話は必要なことに限り、

長時間居座ることがないように気をつけましょう」

というのをよく見かけます。

とても一般的で患者さんに寄り添った極めて当たり前のことです。

でも、これを小児が入院中の立場で読んだら

がっかりするだろうな・・。

という反抗心がこの活動の原点でもあります。

医療現場の常識を覆した!

とは大げさですが

場違い、外しの効用は

全国の小児病棟で認められてきた!

そんな風に感じています。

スタッフの間でもクスッと笑える共感を生み

医療者間の

そして医療者&患者間の

コミュニケーションを深める

きっかけになったらもっと嬉しい。

Smiling Hospital Japan Official Website

「ねむの木」村へいきました🌳

静岡県掛川市にある

「ねむの木学園」

を訪ねました。

女優 宮城まり子さんが

1973年に設立した肢体不自由児施設です。

様々な施設が作る一帯を「ねむの木村」と言って

広大な敷地に様々なコンセプトの建物が点在しています。

小さい頃、身体の不自由な人を見て

「かわいそう」

と言った我が子に

「かわいそう、ではないのよ。

みんな一生懸命に生きてるの」

と言ったお母さんの言葉が原点。

しかしお母さんは宮城まり子さんが12歳の時に

結核で亡くなってしまい

その言葉がいっそう心に刻まれたと。

女優を始めたのが15歳の頃。

華奢な身体のため

役は決まって子どもだったそうです。

ある作品で

脳性まひの子どもの役をすることになり

役づくりのために

脳性まひについて知ろうと

懸命に勉強したそうです。

母親が勉強していたマリア=モンテッソリーの感覚教育を

勉強しはじめたのもその頃だとか。

彼らの社会的な立場を知ることになり、

とくに当時は肢体不自由の子どもの中に

学校にさえ行っていない子がたくさんいることに心を痛めたといいます。

というのも

宮城さんが学校に行っていない子どもたちの存在に衝撃を受け、

なんとかしなければ

という使命感を強くした背景には

その頃、障がいの程度により

学校に行かなくてよいしくみ(就学猶予)があったのです。

また、家庭にめぐまれない身体障害のこどもには

学校教育と生活の場が与えられておらず、

法律も制度もないことを知り

「どのようなこどもにも、学ぶ権利があり義務がある」

という強い思いを抱き

施設を建てることを決心しました。

障害児教育の歴史を振り返ると、

1947 年に、教育基本法・学級教育法が決定され、

盲学校・聾学校への就学は義務化されましたが

肢体不自由養護学校の義務化は

遅れること30数年後の

1979年。

宮城まり子さんが

ねむの木学園を作ったのが1973年ですから

彼女の動きがこの義務化に

大きな力となったことは容易に想像がつきます。

設立を決めたあとは

資金調達に向けて

女優業の傍ら

チャリティで公演を重ねていきました。

このことは以前綴っています。

→2018/5/14投稿~ファンドレイズ・スーパースター列伝

「ねむの木」村には

ねむの木学園、

特別支援学校ねむの木と入所施設、

そして卒業生の生活する施設のほか、

子どもたちの作品が並ぶ

「ねむの木こども美術館」があります。

学校だからといって

教える

のではなく

限りなく子どもたちの湧き出る感性を大切にしている

学園の方針そのままに

自由に思うままに製作した数々の素晴らしい作品が並びます。

子どもの絵をもとにした木彫りのマスコット雪だるま(奥)とちびこ(手前)奥は美術館で買った作品の絵葉書

宮城まり子さん自身の作品や

こどもたちとふれあう写真等が混ざり合うように展示され

館内に「ねむの木のこどもたち」という

学園のこどもたちによる美しいコーラスのコンサートCDが流れていたりします。

宮城まり子さんが

いかに愛溢れるみんなのお母さんに徹しているか

それが彼女の生い立ちから自然体の生き方であり無私の心であること

何より、どんな子もたくさんの可能性を秘めているという信念

職員さんたちの彼女への敬いが根っこにあること

そんな空気が

ねむの木村全体に行き渡っているようでした。

余韻は持ち帰り、心を温めてくれています。

村にはさらに

あかしあ通りこどものお店という可愛らしい建物も点在しています。

こどものお店は

🌀雑貨屋さん

🌀毛糸屋さん

🌀お花屋さん

の3店。

ねむの木学園雑貨屋さん
ねむの木学園毛糸屋さん
ねむの木学園お花屋さん

時間によって子どもたちが店番をします。

🌸 🌸 🌸 🌸 🌸

どこもここも愛に溢れていて

とても清らかな気持ちになりました。

全ては子どもたちのために

そしてそのためならどんな苦労も厭わない

そんな大きな働きの上でこのような素晴らしい

施設ができたのだということ。

瑣末なことは置いておいて

自分の決めた道をまっすぐに歩いて行っていいのだと

改めて背中を押してもらった

「ねむの木」村訪問でした。

   やさしくね やさしくね

   やさしいことはつよいのよ

       ー 宮城まり子 ー

次回は学校の様子

製作や音楽の様子を見にいきます。