「ここにいるよ。」

新宿駅西口にて、 子どもの貧困対策センター 公益財団法人あすのばの街頭募金に出会いました。

あすのば入学・新生活応援給付金の募金活動『ここにいるよプロジェクト(ここプロ)』のために全国各地からたくさんの高校生・大学生が集まり、街ゆく人に呼びかけていました。

「ここにいるよ」2017は、2018年4月に新生活を迎える子どもや若者を対象に、「あなたのことを想っている人々が『ここにいるよ。』」という多くのメッセージとともに3万円から5万円の給付金を届ける事業。若者が中心となって始めたプロジェクトです。

返済の必要がなく、成績も問わない、さらに使い道も自由だそう。多くの奨学金制度は使途が制限され、社会人になってからの返済に行き詰る場合もある中、対象者に限りなく寄り添った事業と言えます。

毎日の生活に精一杯、またはそれせもままならない家庭にとって、借金をせざるをえず将来の負担や学業に集中できないという現状があります。

さらに社会からの孤立も。

仮に必要なものがやっと手に入っても、「贅沢だ」と逆に周りから冷たい目で見られることもあるという。

理解者がいない環境に身を置くことの生きづらさは計り知れません。

「あすのば給付金」は、いくら集まったか、ではなく、何人の人が寄付してくれたか、を大切にしているといいます。

社会には見守ってくれている人が沢山いる、と実感できるようにするためです。

「一人で頑張らなくていいよ」

「あなたのことを思う人がここにいるよ」

という気持ちを全国から沢山集めてしんどい思いをしている子に届けたい、

そんなあすのばの力に少しでもなりたいと心から思いました。

実際に給付を受けてもう直ぐ社会人になるYさんは、

  「一人ぼっちで諦めることばかり続くと誰だって頑張るエネルギーを失う。

  でも今は、困っていることは変えていこうと思うし、相談できる人もいる。

  自分の経験から、子どもたちの困りごとに寄り添える大人になりたい。

  応援してくれる人や仲間に出会えたことを子どもたちにつないでいきたい」と。

あすのばの給付金に応募しようとしても、「生活保護を受けているのだから申し込む必要はない」と役所の担当者にはねつけられたという人の手記を読みました。

せっかく目の前の子どもに寄り添う事業なのに、たまたま窓口の無理解な大人のせいで利用できないこともある。

心ある人、困窮する人に寄り添おうとする人たちの思いに敬意を払い、きちんと生かすために、

個人レベルでの人権感覚の啓蒙も必要なんだ、ということ、ここでも改めて感じました。

「ここプロ」の活動を前に、若い力に改めて感動。

大人は若者が生きよう伸びようとする真摯さに向き合うこと。そして、

子ども、若者は未来の国を作っていってくれる人たちだという敬意を持って、そして宝物として接していかなくてはなりません。

あすのばの活動に賛同し協力する人、そして子どもたちを温かく見守る大人が一人でも増えますように!

 子どもの貧困対策センター公益財団法人あすのば  ホームページ

あすのばFacebook (募金活動の風景はこちらより使用許可いだだきました)

〜子ども食堂〜

子ども食堂支援のために品川区が「子供食堂MAP」を作成、配布を始めたという新聞記事(11/21東京新聞朝刊)を読みました。

子どもの7人に1人が貧困、栄養源はもっぱら学校給食に頼る家庭も多いという。

そんな現状をなんとかしようと、全国で「子ども食堂」が展開されています。

飲食店主、NPO法人、宗教団体などがボランティアで運営、食材もフードバンクなどNPOによる支援やその他寄付でほとんどが賄われているといいます。

市民の力でこの動きが全国展開していることはとても素晴らしく、子どもは未来を創っていく宝、地域で支えなくては、という意識が形になっています。

しかし、市民活動としてこれほど盛り上がる背景は何でしょうか。

本来、国民を飢えさせない、というのは国の仕事のはず。

これほど子どもの貧困が広がっていて、それに対して民間が問題解決に奔走している。子ども食堂が草の根の対症療法とするなら、国は貧困問題に対して体質改善をすべき立場です。

国がやらないなら自分たちで、と国民がそこまで政治に期待しなくなった表れかもしれません。

そんな中、東京都品川区は食堂の広報や啓発活動の部分を引き受けている、ということでしょう。

ここで、国は子どもの貧困にどう向き合っているのかを知りたくて、

平成26年8月29日に閣議決定された

「子供の貧困対策に関する大綱」

を読んでみました。

~ 全ての子供たちが夢と希望を持って 成長していける社会の実現を目指して ~ 

とのスローガンのもと、

子供の将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、 また、貧困が世代を超えて連鎖することのないよう、必要な環境整備と教育の機会均等を図る子供の貧困対策は極めて重要である。 そうした子供の貧困対策の意義を踏まえ、全ての子供たちが夢と希望を持 って成長していける社会の実現を目指し・・・。

理念と9つの方針が明文化されていますが、具体策や国としての姿勢、予算については、偏りや曖昧さがあるようです。

教育面の予算はある程度ついた?生活そのものを支える制度やサービスに対する予算は?

ここでも文科省と厚労省の間にある垣根のようなものが存在しているばかりでなく、そのために支援に取り組んでいる個人、団体がなかなか協働しにくく、一枚岩ではいかない現状も垣間見られます。 

子供の貧困対策に関する基本的な方針の中に、

・貧困の世代間連鎖の解消と積極的な人材育成

・教育費負担の軽減 

・生活の支援

・保護者の就労支援

・官公民の連携

などがありますが、今回の品川区のケースは、官公民の連携(国、地方公共団体、民間の企業・ 団体等が連携・協働して取り組むとともに、積極的な広報・啓発活動等によ って国民の幅広い理解と協力を得ることにより、国民運動として展開してい く必要がある)

を受けたものでしょう。

子供の貧困対策に関する大綱について(一部) 内閣府HPより

理念は大事、しかし貧困対策には制度面での見直しなど時間がかかる・・!!??

それならズバリ!

目の前の子どもたちのために、国が食材の調達を!

障がいを持つ家庭の現状についての投稿(10/18)に続き、

市民の善意に甘えていないか・・再び!

「子供の貧困対策に関する大綱」(平成26年8月29日閣議決定)内閣府ホームページより

~学びの秋~

学園祭の秋。

都立特別支援学校の学習発表会に行きました。

毎年見学していますが、SHJを始めてから重心の子どもたちへの関わり方に団体としての課題が高まっているせいか、

子どもの実態に則した教員の動きが自然と見学のポイントになりました。

印象に残ったのが、

「方法を工夫さえすれば全ての人が学びを深め、自分の世界を広げていける」

という理念を教員同士が共有しながら困難さに寄り添う関わりを徹底しているグループの発表です。

このグループは最重度と言われる重症心身障がいの高校生のクラスです。

生徒自ら学べる環境を作るため、教員は本人とやりとりしながら一人ひとりをよく観察します。そして身体のどの場所が意図的に動かせるのかを見極めます。

その自発的な動きで最大限意思を表出できるよう、音声出力補助装置VOCA*や、一つのスイッチのオンオフでパソコンを操作できるよう工夫した支援機器、

働きかけながら目と手の協応を引き出す教材教具、

そして始点と終点がはっきりしていて自分の手の動きに対して明確なフィードバックがある教材

を作成し使用している日頃の授業の様子を発表していました。

とかく見た目で「わからないだろう」と思われがちの重心の方たち。

正直なところ、SHJの活動でも、アーティストたちは、

「見えているのかな」

「聞こえているのかな」

「言葉を理解しているのかな」

・・・・・・

とわからないことだらけでした。

院内学級にいた私も、特別支援学校の教員でありながら教科指導をしていたこともあり、重症心身障がいの子どもたちとの関わり方にいつも戸惑っていました。

特別支援学校教員免許を取った時に勉強したはずなのに、その内容は何一つ活かせない。

目の前の子どもの力を引き出せない非力さ・・申し訳ない気持ちを教員を辞めるまで引きずりました。

ところがこのグループの実践は環境さえ整えばできないことは何もない、という考え方のもと、生徒たちに寄り添います。

そうだったのか。これまでの自分の無能さにハンマーで頭を叩かれたくらいの衝撃と、安堵が。

今年の3月のSHJ全国研修・交流会にて講演を依頼したのが、この方法を実践している特別支援学校の教員でした。

その内容が、ベッドサイドでの活動に活かせる!と、反響が多かったことから冊子にまとめました。

今ではSHJのアーティスト、アシスタントが、活動場所までの道中ヒントを再確認している、ハンディでいつでも手にとれて便利、と活用しています。

重症心身障がい児者と関わる現場や普段の生活の中で触れ合う機会に大変役立つヒント満載で、全国から送って欲しいという依頼が続いています。

ご希望、お問い合わせは事務局まで。

毎年、とても勉強になる学習発表会。

学びの秋。生徒たちの学びへの意欲が爽やかな気持ちにさせてくれます。

来年も楽しみです。

VOCA = Voice Output Communication Aid 「音声を出力するコミュニケーション機器」ビッグマックなど声を録音してスイッチで再生できる機械や、トーキングエイドなど発話機能がある機器を指す。

Smiling Hospital Japan 事務局アドレス info@smilinghpj.org

Smiling Hospital Japan Official website

~優劣のかなたで学びひたる~

 

大村はまさんをご存知だろうか。

中等国語教育の実践・研究者(1906~2005)として、書くことを通して学習者の考える力・自分で学習する力の育成をはかってきた国語教師。

戦後は机も椅子も、教科書も黒板もない教室で、新聞・雑誌をせっせと切り抜き、学習材料にしたそうだ。

私は大村さんの著書「灯し続けることば」を読むと、ふとまた教員に戻りたい、と思ったりします。

この中でとても印象に残ったくだりを抜粋して紹介します。

「伸びようという気持ちを持たない人は、子どもとは無縁の人です」

子どもは、高いものにあこがれ、自分をそこまで成長させよう、前進させようとひたむきに願っています。身の程を忘れてと言いたいほど、伸びよう、伸びたいと思っています。その切ないほど伸びたい気持ちと、研究や研修を通してこそ、私たちは共感していけるのです。学ぶことの苦しみ、そして少しの喜びを、子どもと同じように感じられるのです。そういう魂を持っていれば、世代を超えていつまでも子どもと共にある、と言えるのではないでしょうか。

「種を蒔くほうが大切です」

子どもはほめることが大切です。でも、いいことがあったらほめようというのではなく、ほめることが出てくるように、ほめる種をまいていくことを考えたいと思います。

「子どもほど、マンネリが嫌いな人はありません」

子どもは新鮮さに感動します。私自身が、新しいものへの小さな不安と期待を持ちつつ、子どもに向けてその教材を提供している、それが子どもを動かすのです。

「優劣のかなたで、学びひたる体験をさせたいのです」

誰より優れているとか劣っているとか考えるのは、一種のゆるみです。そんな優劣を超えた、いわば優劣のかなたで自分の学習にひたることが大切なのです。優劣など頭に浮かぶひまのない世界にまで、教師は子どもを連れて行かなくてはいけないのだと思います。

「年が小さいから、教え子として、ここに座っているにすぎません」

この子たちは自分をはるかに乗り越えて、未来の国をつくってくれる人なんだ、そういう敬意をもって、子どもという宝物に接していかなくてはならないと思います。

「教師は渡し守のようなものでしょう」

子どもが卒業していったら、私のことは全部忘れて、新しい学校、新しい友達に慣れて、新しい自分の世界を開いていってほしいと思います。教師は渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡した子どもたちにはさっさと歩いていってほしいのです。「どうぞ新しい世界で、新しい友人と、新しい先生について、自分の道を開拓していって」と思いつつ、子どもを見送っています。

                  大村はま著「灯し続けることば」より抜粋

「教師は渡し守」のくだりは、私にちょっぴり反省を促します。

どうしても退院して元の学校に戻った子、卒業していった子のその後が心配になったものです。

転出していった子が外来のたびに職員室に遊びに来て慕ってくれるのが嬉しかったものです。

今どうしてるとか、将来は○○しようと考えてるとか話してくれるのが楽しくて。

渡し守、確かにその通りだ、と120%納得するけれど、やっぱりこれだけは私には無理だな、と思ったりもします。

教職を離れた今も大村はまさんの考え方はいろいろな場面で指針となっています。

〜いじめ件数、前年度の3倍!〜

実態調査による2016年度の都内公立校のいじめの認知件数と、その増加傾向についての新聞記事を読んだ。都教育庁は、増加原因はいじめの捉え方を広げたことが考えられる、としている。

どこか現実に向き合っていない狡さを感じる。

専門家のコメントが続く。「学校が小さな兆候を見逃さないようにしなければならない。いじめの芽を摘み取るために学校ができる具体的ノウハウを示す必要がある…」と。

いじめ防止対策として、「初期段階から対応して芽を摘む」というのは、随分前からよく耳にする表面的表現。その先にある具体策は?

これまで学校がいじめに向き合ってこなかったとしたなら今後、どう向き合うつもりなのか。

文部科学省HP「学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント」の中に、

●全ての児童生徒への適切な教育指導として

 1「いじめは人間として絶対に許されない」という意識を一人一人の児童生徒に徹底させなければならない。いじめをはやし立てたり、傍観したりする行為もいじめる行為と同様に許されないという認識、また、いじめを大人に伝えることは正しい行為であるという認識を、児童生徒に持たせること。

2 いじめられる児童生徒や、いじめを告げたことによっていじめられるおそれがあると考えている児童生徒を徹底して守り通すということを、教職員が、言葉と態度で示すこと。

●いじめの早期発見・早期対応として

 教師が児童生徒の悩みを受け取るためには、まず何よりも、全人格的な接し方を心がけ、日頃から児童生徒との心のチャンネルを形成するなど深い信頼関係を築くことが不可欠であること。

とある。

生徒に向き合うよりも、事務仕事に追われて長時間労働を強いられ、過労が蔓延する現場に、子どもたちと深い信頼関係を築く時間的、精神的余裕はない。

家庭に地毛証明を出させる学校が多いというのが最近話題になった。

それに対応するため他府県で色の明るい地毛の生徒に染毛を迫る教員が現れた。

決まりありきで教師自身に想像力のない思考停止が起こる事態。

情けないかな、現実のことである。

人権を平気で侵害する学校が全人格的な接し方ができるのか。

文科省の掲げるいじめ対策が絵に描いた餅にならないことを願う。

大勢の中の一人として数値で評価する教育システムを必要な限りなくし、一人ひとりがその子らしくいていい社会。違いがあって当たり前、違いを評価し合える学校。競争が好きな人、できる人はすればいい。体力の違いや、身体の不自由も人それぞれ。自分なりの幸せのかたちを自由に模索、確立できる社会になれば、意地悪な気持ちや相手を蹴落とそうとする歪んだ競争心も生まれないだろう。いけないことはいけないと声を大にして言える、そして本来人間が持っている正義感をのびのびと発揮できるだろう。

いじめ・・学校の中だけの問題ではない。

社会が変わらなくては・・。

参考資料:文部科学省HP「学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント」