アーティストのちから~懇親会編~

会場にピアノをそっと置きました。

研修会で講義に集中したあとは、毎年フリードリンク付きのブッフェスタイルでの懇親会で解放感を味わいます。

酔いが進むほど、さすがアーティストたち。

こっそり⁉ 懐に隠し持ってきた楽器をいつのまにか取り出し、あちこちでミニパーフォマンスが発生。

そんな今までの傾向⁉ を思い浮かべると、そこにピアノがあったらなら・・。

ピアニストにもエンターテイメントを披露してもらえるんじゃないかという思惑がありました。

これが大当たりの演出で、我ながらビール片手にしめた!と心の中でニッコリ。

こっちで大道芸、あっちでダンス・・BGMはもちろんアーティストによるピアノ演奏。

そしてピアノを囲んで始まったライブはアーティストが入れ替わり立ち代わりで、ボサノバ、ジャズ、ラテンと続き、そのリズムがカーニバルのように発展。

会場が一つになりました。

研修会では講習と各地区紹介、地区ごとのミーティングと、日ごろの活動をいかにさらに充実させるかということに全体が一つにまとまり真剣そのものでした。

そのあとも、やはり一つにまとまってアートを分かち合い楽しむ。

これぞSHJのスタッフ集会のかたちです。

年に一度の研修会を機会に、初めて出会うアーティストもいます。一人がピアノを弾くと別の人がさっとマイクを握ってボーカルを。

バルーンアーティストから私に青いバラをプレゼントされた次の瞬間、2人のピアニストとフルートプレイヤーが”Rose”を演奏すると、ジャズボーカリストが熱唱。

さすがプロの技です。初対面、しかも打ち合わせなしで完璧なセッションができる。

本番(=病棟や施設での普段の活動)でも同じ。

その場の状況を読んで、たくさんの引き出しからぴったりのアートを取り出して子どもたちと楽しむアーティストたち。

頼もしさ、そして尊敬の気持ちを新たにしました。

私は残念ながらアーティストではないけど、彼らといると大好きなアートの世界に浸れて幸せひとしおです。

この場を借りて、アーティストの皆さん、ありがとう!

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SHJヒストリー34〜そして沖縄へ!〜

2012年5月に神奈川ではじまり、その後、東京、宮城、京都、大阪で。

さらに北海道、静岡、愛知、広島、兵庫、福岡へと広がったSHJ。

今年は茨城、そしてついに国内最南端の沖縄地区が宮古島で設立となりました。

宮古新報による沖縄地区設立紹介の記事 アーティストのコメントが最高です。中央は地区コーディネータの神原夫妻。

活動する病院、施設の数は現在合わせて44。登録方法、活動の形態や報告の仕方はそれぞれがちがっていて、各地区のコーディネータが工夫して運営しています。雰囲気や患者さんたちへの向き合い方もそれぞれで、戸惑いながらも勉強になります。

病棟に入ることができるのは基本保護者のみだから、病院と団体がいかに信頼関係を築くかというのも大きな鍵。

個人でボランティアをさせてください、と言ってもなかなか入れないのはそのためで、「まずはスマイリングホスピタルジャパンに登録してください」と案内してくれる病院もあったり。

そんなこんなで、現在活動しているアーティストは130を超えました。

たった6年弱でどうやってここまで広げたの?

とよく聞かれるけれど、はじめた張本人としても、

自然と・・。

としか言いようがないくらい、無理してアーティストを誘ったわけでも病院に営業したわけでもない。

この団体を設立に駆り立てた何かが、いざ活動が始まると勢いを増した、という感じ。それもやっぱりごく自然と。

趣旨に賛同する人が後を絶たない草の根の支えが基本にあります。

そして支援してくれる団体や企業も。

そんな方達に見守られ続けることで継続発展がある。

実際の活動は、地区をまとめるコーディネータのちから、そしてアシスタントの存在がなくては全く無理。

その上で、アーティストがアーティストを呼び、アーティスト一人ひとりの素晴らしいプログラムが実績となり活動場所が増えました。

もちろん紆余曲折はありました。

残念ながら撤退した病院や地区もあり、わずかながらアーティストやコーディネータを辞めた人も。苦い思い出も悔しい無理解も屈辱も、そして理不尽な思いもすべて糧にできたかな、と今だから言える。

困難と向き合う子どもたちに教えてもらったたくさんのことは、かけがえのない宝もの。

それさえあれば、転んでも転んでも前を向いていけそうな気がします。

これから出会う子どもたちやお母さんたちからも、心ふるえるような感動や気づきをいただきながら、今後スマイリングホスピタルジャパンがどんな風に成長していくのか、ワクワクします。

さらに高め合える人がもっと増えたら未来はさらに輝くにちがいない。

スマイリングをもっと盛り上げながら自らも成長したいと思う人、こんなやり方どう?とアドバイスしてくれる人をどんどん巻き込みたい。

全国に広がった今、改めて関わってくださる方達へ感謝し、草の根の活動を大切に、そして開かれたNPOでありたいと思います。

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宮古で出会ったアーティスト

三線、沖縄民謡、そしてSatokoのボサノバ・・到着するなりアーティストの素晴らしいパーフォーマンスを堪能している宮古訪問。

滞在先のゲストハウス「黄色い家」へ到着と同時に目に飛び込んできた光景はこれまたアート一色。

オーナーと親しい画家の絵がリビングルームの壁一面に展示してあります。

砂川さんの画集とSatokoのCD。オーナーはSatokoさんの大ファンでもあります。
ここのリビングルームは時に砂川さんの絵をバックにSatokoさんのライブ会場に早変わり。

画家の砂川泰彦さんは、小さい頃から絵を描くのが好きで、相手の喜ぶ顔を見たさに似顔絵を描きプレゼントしてきました。

そんな砂川さんが多系統萎縮症と診断されたのは41歳の時。

治療に専念する日々を送るようになりましたが、思うように動かない辛さを乗り越え、リハビリを兼ねて筆をふたたび握るようになりました。手を動かしにくい時は、画用紙を手の動く方向にずらしながら作品を仕上げていくそうです。モチーフは自分をこれまで育ててくれた島の風景。

「病気のことで時には落ち込むこともあるが、絵を描くことで前向きな考え方ができる」

と生きがいにつなげているとのこと。

今日、沖縄県立宮古病院での活動が決まりました。インフルエンザ流行期を過ぎたら開始です。

アートで病を克服した砂川さんのような画家にも、似顔絵や一緒に絵を描くワークで子どもたちに楽しみを届けて欲しい、病と闘う子どもを応援して欲しいと心から思いました。

宮古に繋げてくれたSatokoさん。自ら作詞作曲した「宮古の風」を歌い続けることで病を跳ね返した体験は、いかにアートが活力増進剤の役目をするかを教えてくれます。

今回ここで出会った砂川さんも「絵を描くこと」で前向きに病に立ち向かっています。病院、施設の子どもたちにアートを届けることの意義を改めて確認した、宮古訪問でした。

〜専門家ってなんだ?〜

~闘病中の子どもたちに本物のアートを!~

=スマイリングホスピタルジャパンはプロのアーティストによる本格的なアートを病院、施設の子どもたちに届けます=

とキャッチフレーズを掲げながらも、駆け出しの頃は登録アーティストが足りなくて松本が趣味の手芸やクラフトを持って行き、

「今日はなんちゃってアーティストマツモトです。ごめんね~」

などと言いながらプレイルームの椅子にドカンと座って子どもたちとワイワイがやがややっていたものです。

じきにアーティストがたくさん応募、登録してくれて今では全国で150名超え!

なんちゃってアーティストマツモトは全くの出番なし。

本物のアートを届ける団体なのであなたは引っ込んでいて・・

と自分に言い聞かせる。

「そもそもプロって、専門家って?」

と、問い合わせも何度かありました。

「ある特定の学問・事柄を専門に研究して、それに精通している人」

辞書を引くとそんな定義が出てきます。

類義語としては、玄人・技術者・スペシャリスト・名人・達人・エキスパート・テクニシャン・など。

「有資格者=プロ」と言い張る人もいる。

しかし資格のない分野だってある。

「専門で生計を立てている」のが本当のところのプロの定義という見方もあるけど、ちょっと無機質な感じがする。

そこへもってくると、「マニア」や「オタク」などもその道のプロの別名?!こっちは人間ぽくていいなあ。

いずれにしても、どこからが専門家なのか、明確な定義がないのが確か。

問い合わせには必ず、

それを自分のライフワークにしている人。

それによって生計を立てているかいないかは関係なく、自分にはこれがある!と胸を張って言える人。

と答えます。

希望を言えば、あらゆる人が私にはこれがある!という「何か」を持ち、それを活かせる世の中になるといいなと思います。

専門性を磨き続けながら自分を高め、喜びを感じ、そして人を幸せにする人。

それって、

まさにスマイリングホスピタルジャパンのアーティストたちのこと。

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