〜合理的配慮〜

「インクルージブ教育」が

全ての子どもにとって大切であると常々感じており

度々綴っています。

インクルージョンを実現させるためには

「合理的配慮」が欠かせません。

平成28年4月に

障害者差別解消法」が施行されました。

内閣府のリーフレットによると、

「この法律は、障害のある人もない人も、

互いにその人らしさを認め合いながら、

共に生きる社会をつくる事を目指しています」

とあります。

正式な定義は

「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」

で、その内容は

・障害を理由とする差別等の権利侵害行為の禁止

・社会的障壁の除去を怠ることによる権利侵害の防止

このうち、

社会的障壁の除去を実施するために必要なのが

「合理的配慮」です。

8月13日投稿「インクルージブ教育

でも触れた

文部科学省による

共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築のための特別支援教育の推進(報告)概要」

の中にも「合理的配慮」

が謳われています。

「インクルージブ教育」とは、

「障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」で、

まさに先に述べた

障害者差別解消法

の理念そのものです。

この法律と合わせるように

インクルージブ教育の内容は、

1 障害のある者が「general education system」から排除されないこと

2 自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること

3 個人に必要な「合理的配慮」が提供されること

とあります。

1と2を実現させるためにも3の

「合理的配慮」が根底になければならないと考えます。

「合理的配慮」とは一般的に

個々の特性や場面に応じて発生する

障害・困難さを取り除くための、

一人ひとりに合わせた調整や変更のこと。

いわば、

「障害のある人と障害のない人が平等にいられるために作られた仕組み」

のことです。

インクルージョンを進めようとする時

欠かせないないのが「合理的配慮」

ということになります。

しかし

これらも含めて

これまで健常者(この表現は毎度しっくりこないが敢えて)

が障害者の施策を決めていたと考えると

改めて

船後氏と木村氏の当選によって

改革への実行性とスピードが

当事者の力によるものだということを

実感ました。

そう、

当事者でなければ当事者のことはわからない。

これから様々なシステムが変わり

強制的と言っていいほど

バリアフリーが進んでいく予感です。

強制的に!

誰がなんと言おうと!

*****

身近で実現した

合理的配慮を思い浮かべてみます。

院内学級にいた時に受け持った生徒の一人は

心臓の機能が弱くて

階段を登って教室に行くことが困難でした。

家族の訴えにより

通っていた学校に

エレベータが設置されたと聞きました。

時はまだ

障害者差別解消法ができる前のことです。

法律という味方もない中

貫き通した訴えが現場を変えた!

当事者にしかわからない

当事者だからこその説得力がある

本気の改革がありました。

*****

困りごとはどこにでも転がっている

そんな視点で周囲を見渡せば

途轍もない不条理と

人知れず闘っている人たちがいます。

健常者(?)が当事者意識を持ち

他人事とせず

困難とともに生きる人から学ぼうという

姿勢や土壌ができたらいいな、と思います。

草の根の訴えが

社会を変えていけるような。

インクルージブ教育

新参院議員の木村英子氏が提唱する

インクルージブ教育。

施設と特別支援学校で長い時間を過ごし

社会と断絶させられてきたという経験から、

障害者と健常者が同じ学校で学ぶ重要性を訴えています。

改めてインクルージブ教育について調べてみました。

まず

文部科学省ホームページ

共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築

によれば「インクルージブ教育」とは、

「障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」で、

その目的は、

人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加すること

とあります。

そのためには、

・障害のある者が「general education system」から排除されないこと

・自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること

・個人に必要な「合理的配慮」が提供される

がなされるべきであるとしています。

そのために、

・同じ場で共に学ぶことを追求

・個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備

・小・中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある「多様な学びの場」を用意

が必要と述べられています。

いささか・・

内容が明確に伝わってこない理解しにくい文章だなという印象、

そして

当事者が蚊帳の外で物事が決められていく

そんなイメージを持ちました。

いっぽう、

インクルーシブ教育という言葉が広まり始めたのは、

1994年にスペインのサラマンカでUNESCOによって開かれた

「特別なニーズ教育に関する世界会議」

が開かれたのが契機になっています(サラマンカ宣言)。

「可能な限りすべての子どもの能力や困難に応じた教育を行っていく」

という新しい方向性が打ち出されました。

障害の有無によって学ぶ場所が分けられるのではなく、

誰もが望めば自分に合った配慮を受けながら、

地域の通常学級で学べる

というもの。

いわば、

子どもの立場に立った全ての子どものための教育です。

誰もが望めば・・・・というくだりに見られるように

主体が限りなく当事者であるという印象です。

この後に日本にインクルージブ教育の理念は導入されたものの

文部科学省によってその方向性が明示されたのは2010年。

長い時間を経て打ち出されたものが

当事者が受け身であり

支援される立場

として示されているというところが気になります。

当事者が蚊帳の外で

良かれ・・

というスタンスで物事が決められていく・・・。

そんな現状にメスを入れるのは

外でもない

新しく参院で議員活動を始めた

当事者の二氏だということがはっきり言えます。

インクルージブ教育の推進とあわせ、

当事者による当事者のための施策作りの実現

を二氏がリードしていくことでしょう。

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さて、本物のインクルージブ教育が広まるためには

やみくもに同じ場で共に学ぶことばかりを追求するあまり

一人ひとりに丁寧に寄り添うことを怠ることのないように、

そして

個人に必要な合理的配慮が第一に考慮されるように、

全ての子どものための教育が

実現されるよう強く望みます。

参考:障害児教育におけるインクルーシブ教育への変遷と課題