奇跡が奇跡でなくなるとき

発語がなく体もほとんど動かない。

重度心身障がいの子どもを持つあるお母さん。

「大変ね」

と周囲に同情されることに耐えられずにいた。

就学先を決める時も、

「地域の学校が受け入れてくれるはずがない」と考えていた。

「普通校も考えてみませんか?」

そんな連絡があったのは学区の小学校の教諭から。

かわいそうな子として特別扱いされること、教材にされることを心配したが、同級生は掃除や給食当番も一緒に、という姿勢だったという。

そんなある日、発作を起こして緊急入院。好きな音を聞かせてあげたくて考えたのが「教室の音」。

授業や休み時間のいろいろな音を録音し、連日病院へ届けた。

ある日、学習発表会の練習曲「いつまでもともだち」を集中治療室で流してもらった。

すると、閉じたままのMさんの瞳から涙がこぼれたという。

意識を失ってから初めての反応。それからは一気に回復へと向かい、自発呼吸も可能に。

「奇跡ですね」

とは医師の言葉。

数ヶ月後に学校へ行くとクラスメートがワンワンと泣いたという。

お母さんは、

「言葉が話せないからともだちはできないと思っていた自分が恥ずかしい」

とそれまでを振り返りった。

東京新聞5/5朝刊「共生の実相 学びの場から」より記事を要約

子どもたちの素直さ、ともだちを思う真っ白な心。違いなんて当たり前にある包容力。

道徳の時間のテーマになりそうなことだが、実はそれを学ばねばならないのは大人のほう。

これらが大人からどれほど失われているか、ということに気づかせてくれたエピソードです。

・・・お母さんは友達はできないと思っていた。

・・・医師は回復を「奇跡」と言った。

・・・Mさんは友だちの声を聞いて回復していった。

これまでの体験や勉学による思い込みや先入観を洗い直すこと、

誤った認識をしているのではないかと自省すること、

感じようとすること・・・。

そんな癖が大人にあったら奇跡も奇跡ではなくなるかもしれない。