子どもはみんな小さな哲学者!~3~

フランスドキュメンタリー映画「ちいさな哲学者たち」に思うこと「その3」

先生:好きと愛しているはどう違う?

・・・好きはほっぺにキスする。

愛してる人は口と口でキスをするんだ。

・・・パパとママは愛し合ってるけど、喧嘩するとママは優しくない言葉を使う。

小さな子に哲学?

そんな野暮なことば、この期に及んで聞こえてきそうです。

哲学なんて硬いと思うかもしれないけど、子どもは考えるのが大好き。

集団で意見を交わし合う。小さなときからそんな習慣があったら

大きくなってからコミュニケーションの練習なんか敢えてしなくても良さそう。

自由って何だろう。の問いに、

「ひとりでいられること」

と話した子の瞳が印象に残ります。

6歳になる我が孫は、時々、気づくと寝室にこもっていたり、事務所のウォーキングクローゼットを閉め切ってひとりの時間を味わっていたりします。

家族でキャンプに行くと、気付くと彼だけいなくなっていることがあるそうです。そのうちひょっこり帰ってくるのだと聞きました。ちょっと危ない気もしますが、自然の中で一人を満喫することの魅力を早くも知った孫。頭の中でいろんなこと考えてるんだろうな。クマには注意して欲しいけれど・・。

👶👦👧子どもがひとりでいる時間👶👦👧

親は心配するけれど、

大事な時間。ひとりでいること、大切にしてあげて。

と伝えます。

まさに、4月に孫が入学した時に書いた

~友達100人できるかな?~ (4/12投稿)

に綴った思いにつながります。

さて、子どもと哲学。

哲学カフェ好きの高校生の息子が、小学校の時に読んだ本を紹介してくれました。

「哲学のおやつ」10代からの考えるレッスン

ブリジット・ラペ/ミシェル・ピュエシュ 西川葉澄 訳

・いいとわるい

・うつくしいとみにくい

・成功と失敗

・ヘンとふつう

・幸福と不幸

いろいろなテーマとテーマごとに短いストーリーが書かれていて、読むだけでも楽しいし、読んでから考える練習にはもってこい。

あと数年したら、ちいさな哲学者の孫とこの本を読んでみようと思います。

月に1~2度来る孫たち。

ちいさな哲学カフェが楽しみです・・。

子どもはみんな小さな哲学者!~2~

フランスドキュメンタリー映画「ちいさな哲学者たち」に思うこと「その2」

「自由って何?」

先生の問いかけに、

・・ひとりでいられること

・・呼吸をして優しくなれること

・・監獄から出ること

「死ぬのは怖い?」

という問いかけにも、一人ひとりが少し考えてから答えます。

・・人が死ぬのは、楽しくないな。

「なぜ、楽しくない?」

・・なぜって、一人になりたくないから。そうなったら迷子になっちゃうよ。

さらに先生はこんな質問も。

「魂ってなんだろう?」

・・目に見えなくて、青いもの

先生の持ち出すテーマそのものがスバリ本質に迫る「哲学」。

そんな問いに、子どもたちはひるむことなく思うことを口にします。

日本の学校では、タブーとでもされているのかと思うほど、話題にさえならないようです。

道徳がそれに近いけれど、心の奥深く「そもそも」の部分を議論するのには程遠い。

日本でも流行りの「哲学カフェ」。

高校生の息子が参加していることに、

背伸びしちゃって!

などと思ったこと反省しきり。

4歳、5歳の子どもが、

“昨日、砂場で友達と「愛」と「死」について考えたよ”

とごく自然に言葉にする場面があります。

さらに、

“恋人たちは「ごめんさい」を言えないとダメ。謝れないと愛はおしまい”

5歳にしてどれほどの人間の営みを観察し、物事を深く感じる経験をしているのだろう。

小さな子どもとして括られる生活ではなく、一人の人間として尊重される暮らしがあるからなのだろうな、という印象です。

どんな境遇の子どもにも、一人を楽しむ時間が確保され、一人でじっくりと考える喜びが必要です。

そうすれば洞察力や思慮深さが養われるのだと感じました。

ある子どもの言葉が印象的です。

「自由って、ひとりでいられること」

子どもはみんな小さな哲学者!~1~

フランスのドキュメンタリー映画「ちいさな哲学者たち」のロケーションは、

パリ郊外の「哲学の時間」を取り入れている幼稚園。

園庭で元気いっぱい遊んだ後、部屋に入り先生がろうそくを灯すと

「哲学」の時間が始まります。

フランス語は全くわからないけれど、子どもたちの会話の中で、

la philosophie

の音を見つけ、

こんなに小さな子どもの口から「哲学」という単語が自然に出てくる場面でまず、

少なくともここでは子どもが未熟な人、として存在していないことに気づきます。

このドキュメンタリーでは、この園のあるクラスで「哲学の時間」が始まった頃から卒園間近の最終回までを追っています。

最初ははまだ皆ポカンとしていますが、回を重ねるごとに「考えること」が好きになっていく。「哲学」の時間が待ち遠しくなるほど。

ファシリテートしていた先生の出る幕も少しずつ減っていき、ほとんど子どもたちだけでの意見のやり取りになっていきました。

考える機会を作ることで子どもは真剣に物事に向き合い、突き詰めていく立派な哲学者になることを確信。

むしろ、子どもの純粋さ素直さから、私たち大人は学ぶべきことが多いと感じました。

もちろん、子どもは経験が少ないですが、少ないなりのピュアな感覚は、古ぼけた大人の感性に目の覚めるような示唆をくれるに違いありません。

先生:先生が質問するとみんなの中で何が起こってる?

子ども:脳みそ・・を使ってる

先生:それって?

子ども:考えている

先生:そして?

子ども:・・・口から物を出すようなジェスチャーをしながら言葉にできないでいる・・・

先生はすかさず、

先生:口から出す?

子ども:話す!

まず頭にイメージすることを言葉にする練習が、胸を打ちました。その後は、

愛について、自由について、結婚について、なんと離婚についてまで・・。

大人顔負けの意見を活発に交わします。

さすが、子どもたちは周りで起こっていること、大人の振る舞い、すべてを観察していろんなことを感じ、考えているんですね。

幼い子に哲学・・。

「哲学」という響きが子どもには硬すぎるのかもしれない。

「考える練習」

とでも名付けましょうか。

我が家でさっそく始めたい6歳と4歳の孫への「哲学の時間」に。

〜話を端的に伝えるコツとは?〜

人前で長々と話す代表の職業は教員と政治家だそうだ。

耳が痛い。

引退したとはいえ、教員時代を思い浮かべる。

確かに熱くなって生徒の前で話が長くなってしまったことは、、、ある。

でも基本、人前でスピーチすることに苦手意識があるので、その回数はあまり多くない気がする。

さて聴く方の立場として、会議や集まりの時に、長い話をBGMに、船をこいでしまう経験は誰でもあると思います。

または、あの人は自分の饒舌ぶりに満足し悦にいってしまっていて空気が読めなくなっていると、余計な分析をするか、時計をちらりちらりと見るか。

最近では国会演説で枝野氏の長さが話題になった(2時間43分!)。

世界に目を向けると、

昨年の中国共産党大会で、習近平氏は休憩を挟まず一気に3時間半。

もっと長いのがキューバのカストロ氏。1960年の国連総会で4時間29分だそうだ。同氏の7時間15分(1998年)という記録もある。

伝えたいことがあってその思いが強ければ強いほど、長くなりそう。

でも本当は印象に残るようなシンプルなキーワードを中心に数分で仕上げるのが効果的な気もします。

ところで私がつい熱く語ったのは他でもない、

日本語と英語の決定的な違い。

日本語の文法は最後まで文章を聞かないと結論がわからない。

doなのか、don’tなのか、はたまた問いかけているのか・・・。

という趣旨なのだが、結局、

丁寧に?くどくどと説明しすぎて、ダラダラしゃべることになり、「日本語は、何を言いたいのか。するのかしないのか。尋ねているのか。言い切るのか。いくら長くても最後まで聞かないとわからないよ」

という内容をダラダラと語っていた記憶がある。

「それ、先生のことじゃん?」

と聞こえてきたような・・。

相手がどう思っていようと構わないというより、ね、ね、ナットクでしょ。

と押し付けが多かった気がする。

ダラダラと話がつまらなくならないコツとは・・。

💫具体的で独自のエピソードを入れること。

💫うまく喋れなくても心を込めて一生懸命話すこと。

個人的にはやっぱり

💫💫笑顔で!

〜夏休みを短縮しないで!〜

「過去42年間の統計で、1位が9月1日に計131人、続いて4月11日の99人」

何の数字でしょうか。

それぞれ時期は新学期のスタート時です。

「子どもの自殺」。

あってはならないこと、文字にすること自体恐ろしいことですが、これは現実のこと。

去年の今頃、「9月1日問題」と題したブログを書きました。

自分の経験も含め、考えうる理由も述べています。

夏休み中は自殺者数が少し下がるという統計があります。明らかに理由が学校生活の再開に関連していることがわかります。

👦 👧 👶

子どもにとって、学校に行くことが多大なプレッシャーになっている理由は、いじめであったり、担任との不和であったり、また、集団になじめない、皆と同じでなければならないというような重圧を感じていたりです。

👨 👩 👴

一方、親としては、子どもが『学校に行きたくない』と訴えた瞬間に、社会のレールから我が子が外れていると感じるもの。

親の不安を一番に察知するのは子ども。親を裏切ることはしたくない、と自分にプレッシャーをかけてしまいます。

仮に、もしそのまま不登校になったとしても、親は色々な道や生き方があるということを考え方の1つにして欲しいと思います。

🏫 🏫 🏫

では社会は?

小~高校まで画一的な教育システムに乗っていることが当たり前で、それ以外は落ちこぼれである。

そのような空気が蔓延している社会が変わらないと、学校が理由による子どもの自殺は減らないと、断言できます。

子どもの幸福度世界2位のフィンランドなどを例に挙げて、外国の教育方法を時々紹介しています(→2017/7/12投稿フィンランドの教育)が、幼くして自ら命を絶つようなことが多発している国と違い、多様なタイプの学校があり、学校というものが画一的なもの、という常識そのものがありません。

学校に行かないことで苦しさがなくなるなら、別な学校や教育方法を探してもいいという考え方、選択肢を社会が保障しているといいます。

日本でも以前にくらべると、親は、行きたくなければ行かなくていい、という意識にちょっとずつ変わってきていると言います。

しかし、その受け皿が十分になければ、苦しむことになるのに変わりはありません。

さらに、最近の学校で気になることといえば、夏休みの短縮。

「脱ゆとり教育」を目指して2011年度から小学校で、12年度から中学校で実施された学習指導要領では、主要教科で1割ほど授業が増えました。

授業数を増やすため、2学期を8月最終週から始める小中学校が東京都で全体の半数近くになっているのはそのためです。

20年度から実施される学習指導要領では、小学校高学年では英語科の授業が始まることで、さらに年間35時間増加することになります。

教員たちの疲弊もますます悪化するでしょう。

子どもの学ぶ場は学校の授業だけではない。まとまった長期休暇で自然に親しむ体験や自由な時間も必要。

いえ、フィールドワークやアクティブラーニングという観点からも、机に向かって鉛筆を動かす時間の数倍の価値があります。

子どもの体験不足が指摘される昨今、行政がそこに思いが及ばないのが不思議でたまりません。

ホッとできる時間、のびのびと身体を動かす時間、自然と一体となる時間、ワクワクする時間が減れば、「9月1日問題」が助長されることは想像に難くない。

OECD加盟国の中で学力テストの順位が下がっていることを受け、体罰のように机に縛り付けるのは全くの逆効果。

対症療法より体質改善。

子どもは動きながら学びます。

生きるための基本的な技能や知識を体得していきます。

生きる喜びを見つけます。

「9月1日問題」対策にも効果大だと断言できます。

教育行政に改善を求めます。