〜大好きな人〜

これほど生きることを真剣に、だけどさりげなく伝える人がいるだろうか。

大好きな女優、樹木希林さんが亡くなった。

死生観を押し付けるわけでなく、すうっとそよ風のように身をもって演じた人。

それでいて圧倒的な存在感。

🌱 🌱 🌱 🌱 🌱 🌱 🌱

私が樹木希林さんのファンになったのは他でもない河瀬直美監督映画「あん」で。

渋谷アップリンクで視覚障害のある人も楽しめるよう配慮された音声ガイドつき上映(→2017/7/13投稿バリアフリー上映)。

ハンセン病の元患者の役だ。

暴行事件を起こし出所し、どら焼き屋の雇われ店長をしている男性との交流を描いた映画は、問題意識を決して押し付けることなく、流れるようにハンセン病の隔離政策について描いている。

ハンセン病療養所に暮らす女性が、卑屈にならず尊厳を持って生きる姿は誰の胸をも打つ。

内容もさることながら、樹木希林さんの魅力、人間力までもが爆発したような衝撃を受け、幕が下りてもしばらく席を立てなかった。

指先の曲がった手であんをこねる、そんな演技のために撮影の数週間前から手を縛って生活したと、何かで読んだ。

ものすごいプロ意識、女優魂だ。

それもそのはず、カンヌ映画祭で主演女優賞をとった。

表彰式ではいつまでも鳴り止まぬ拍手に、

「手が痛くなるでしょう」

と言ってさっさと舞台を降りた、というエピソードはいかにも樹木希林さんらしい。

相手の上っ面な態度も、虚栄も、見下げた態度も、全て見透かしていながら、

「あら、そう?」

なんておどけたような、ちょっとずれたような反応をする。

どこかすっとぼけているのだ。

本心バレたら困るでしょ。気づかないふりしてあげる。

そんな忖度が観る側の胸のつかえを取ってくれる。

続いて絶妙なカメラワーク。

相手のバツの悪そうな顔を写し、樹木希林さんの微妙なしたり顔に移る。

樹木希林さん独特の演技が生きる。

可愛らしい人だなあと思う。

「万引き家族」で、息子夫婦にさりげなく無心する様子、まさに希林さん独特の演技で、

うわべを繕ったり表面的にやり過ごそうとする醜さや虚しさを、突き付けているかのよう。

本質はこれよ!

とものすごい演技力で、時に目ぢからで観るものに訴える。

可愛らしさの中に、すべてを超越した、しかし押し付けのない迫力がある。

🍃 🍃 🍃 🍃 🍃 🍃 🍃 🍃

40年近くも前になるだろうか。

悠木千帆という芸名で郷ひろみさんと「林檎殺人事件」を歌っていた頃は、お茶目な女優さんだな、くらいしか思わなかったが、

そのお茶目さに、年齢を重ねるごとに人間としての深みや魅力が加わっていったのだろう、と今思う。

そんな生き方、年の取り方をしたい、としみじみと思う。

芸能人が亡くなって初めて泣いた。

今でも樹木希林さんの優しい笑顔が、生きるってこういうことよ、と教えてくれているみたい。

ボランティアって?~東京五輪に寄せて~

2020年の東京五輪・パラリンピックのボランティアの募集が9月末から始まることを受け、ボランティアってなんだろうと、改めて考えます。

学生の参加を期待する文科省とスポーツ庁は、全国の大学などに大会期間中の授業や試験日程について「適切に対応」することを求めていると知り、違和感を感じたから。

権威からの期待、これはある種の強制力を感じさせます。

ボランティア(volunteer) とは、

自由意志を表すラテン語「voluntas」が語源。

ボランタリー(voluntary) とは、

名詞で自発的行為、形容詞で  自由意思による、自発的な、という意味。

ボランティアとはそれを行う人や活動のことで、

「無償で自発的に社会活動に参加したり,技術や知識を提供したりする人、またはその活動。社会福祉、教育、環境保全、保健など、社会全般を対象とする。一般的にボランティアの理念として、自分から行動すること、ともに支え合い協力し合うこと、見返りを求めないこと、よりよい社会の実現を目指すこと,があげられる」(ブリタニカ国際大百科事典より)というのが一般的な定義です。

日本では、1995年の阪神大震災で全国から多くのボランティアが支援に駆けつけたことから,この年をボランティア元年とし、震災が発生した 1月17日を「防災とボランティアの日」としています。

これをきっかけに、市民が主体となって社会問題を解決しようというボランティア活動は、社会的な認知も高まり、個人で、また非営利活動法人(NPO法人)など団体として社会福祉などの分野で、日本でも活発になってきました。

行政の及ばない部分を補う、または充実させるというのが非営利組織の役割。

しかし、行政が公共サービスを行う上で市民の善意に甘えて丸投げしたり予算を削減したりするならば本末転倒です。

今回の五輪に向けたボランティア募集。ボランタリーな精神に委ねるというより、大学のノルマのようにならないことを願います。

自主性、主体性は課せられるものではない。

役に立ちたい、という自由意志から自発的に盛り上がるボランティア活動でなければならないと思います。

行政とボランティアの適切でバランスのとれた連携が必要で、コーディネートを専門とする役も必要かもしれません。

社会の役に立つことが幸せであり、生きる意味であること。欧米では多くの人が持つ一般的な価値観です。

ボランティア文化、寄付文化は、そんな人々の精神から発生するもの。

自分も大切だが他人も等しく大切な存在という人権意識にかかってくるのでしょう。

ここでも、そもそもの本質的なことに思いは向かいます。

生きる意味は?幸せとは?隣人愛とは?

人々の心に自然に芽生える”力になりたい”、そんな純粋な思いがボランティア活動につながっていく。

それは誰に強制されることではないはずです。

〜最近のお気に入り!〜

この夏、

以外にこれすごい!

と感動したことがあります。

絶対に入らないだろうなあ、入るなら嫌がる孫を引っ張って行くくらいかな、

と思っていた場所。

この夏は特に暑かった。

キャンプに行く前の日まで孫3人あずかり準備もままならない中、鬱陶しく伸びてしまった髪をかきあげては、

「切ってしまいたい!!

でも時間ない~!」

と叫んでみる。

旅で一番邪魔なのが長い髪。さらにいうことを聞かず、1本、また1本、ぴょんぴょん主張する白髪ちらほら・・。

そこへ、

「ばあば、どうしたの?」

と一年生の孫。

「あ、あ、聞こえちゃった?

あのね、ばあばの髪、ちょっと長すぎない?

切ったほうがいいよね。(^_^;)」

「ばあば、今の長さかわいいよ。

でも暑いなら切ったら?

どっちもかわいいよ」

まあ!

かわいいだなんて。

メガネをかければかわいい。

たまにスカート履くとかわいい。

かわいい、かわいいって言ってくれるのはこの子くらい。

「ばあばがかわいい?もうおばあさんだよ」

「え~、ばあばはおばあさんじゃなくておばさんだよ」

慰めてくれてるんだろうけど、

『おばさん』

の響きもあまり嬉しくないなあ。

贅沢か。

たまに、

「ばあばとママ、ソックリだよ」

と言ってくれるときが一番嬉しい。

私もかなりの親バカ。

娘と話してるあいだ、

美人だなぁー

と話は半分くらいしか聞いてないくらい。

👩 👵 👸 👩 👵 👸

話を戻します。

孫を送った帰り、時間はもう19:00を回っている。まだ髪を切るチャンスを伺っていた。諦めない。

1000円カット!

モールなどによくあります。

えいっと、ほんの少しの勇気と一緒に、順番を待つおじさんたちの後ろへ。

・・・なあに、15分くらいでちょちょっと切るだけだ。

1000円だし、失敗しても暑いよりいい・・・。

ぐらいに思っていたのに、これが意外や意外。

手際よくおしゃべりも控えめに、10分ほどでスッキリ切ってくれた。

そして先週、荻窪にある整形外科の通院後、ふと通りかかった〇〇カット、

消費税入れて1080円。

さらに短くショートボブに。

「後ろは少し短めにしますか?」

「え?いいんですか?」

なんてとんちんかんな返事。だって、1000円なのに、スタイル指定していいの?

注文は5cm切ってください、くらいかと。

やっぱり遠慮がある。

でもそう言ってくれるんなら、

「はい。お願いします」

一度は試してみたかった前下がりボブ。1000円カットのお店で憧れのヘアースタイルをお願いするとは・。

遠慮とは実のところ、程遠い。

カットはとっても気に入りました。

いつもの美容師さん、ごめんなさい。心変わりを許して~。

最後はバキュームみたいなもので肩や髪に残った毛を吸い取ってはい、終わり。

支払いも、立ち食いそば屋みたいに最初にチケットを買って渡してあるからクールに立ち去るだけ。

次回もここに来よう!

と決めました。

早い!うまい!安い!簡単!ついでに予約不要。(ファストフードみたい)

おすすめ!

1000円カット!

立ち止まって考えること~critical thinking~

・・・腎臓移植を待ちながら週3回4時間ずつの人工透析を受け、苦しい副作用に耐えながらドナー(臓器提供者)があわられるのを待つ患者の姿がテレビ画面に映し出された。

圧倒的にドナーの数が足りないことで全国には数十万という患者が人工透析を余儀なくされていること、脳死などによる提供の待機期間は平均15年であることに対し、ある行動に出た医師がいた。

修復腎移植。

修復腎移植とは、ドナーから摘出した、がんなどを発症した腎臓を修復し、臓器受容者に移植するというもの。

実際に移植を受け、術後の経過も良くピンピンしています!

男性がにこやかに語る様子が続く・・・

🌿 🌿 🌿 🌿 🌿 🌿 🌿 🌿

修復腎移植をテーマにしたドキュメンタリーである。

海外の学会で称賛されているこの修復腎移植は、

日本ではしかし、たくさんの患者が修復腎の移植を受け透析から解放されてきたという実績は無視され、批判の嵐の中、この医師は臓器売買をしているなどのバッシングを受け続けた。

日本移植学会など移植関連学会も猛烈に反対し、厚生労働省も禁止の通達を出すに至った。これが2005年のことだ。

多くの患者の移植機会を奪い、腎移植待機中になくなる人が後を絶たない中、患者家族や支援団体は修復腎移植の適用を求めて運動をつづけた。

12年の年月を経て、厚生労働省が条件付きで修復腎移植を先進医療として認めたのが2017年。

海外では当たり前に行われていることが、科学的な根拠もないままなぜこれほどの反対を受け、世論に押され否定され、多くの患者が苦しんできたのか。

もっと早く修復腎が活用されていたならどれほど多くの命が救われたか・・。

国内では約32万人の腎臓病患者が透析治療を受けており、そのうち約1万2000人が腎移植を希望しているという。

条件付き・・ではなく正式に適用されることを願ってやまない。

しかし、なぜ?

一つの意見や批判が広がりそれに同調する人が増えれば増えるほど、まるで真実のようにまかり通る。

ちょっと待てよ。

と立ち止まって考えること、批判的精神というものは葬られ、デマはさらに広がる。

今回は、マスコミや世論の波に、専門家集団までもが飲まれ、結果命が粗末にされることになった。

「日本という国は、わーっと一つの方向に向かうと立ち止まって考えるということができない国なんです。どうしようもない」

当時反対した医師は唇を噛みながら取材に応じていた。

認められるまで長くかかったのは、

医学が遅れていた、とか、

倫理的に認められなかった、とか、

そういう次元の話でない。

こんなに情けないことがあるだろうか。

考えてみればいろんなところで同じようなことが起こっている気がする。

教育のグローバリゼーション!

グローバル社会と言われて久しい。

たしかに開発援助がすすみ、産業は国をこえて規制緩和。大国による援助の名の下で行われる目に見えない小国の支配はインフラを中心にめまぐるしい。

だけど、それぞれの国の特有な文化や習慣、考え方まではグローバル化できないところに、大きな落とし穴があるような気がします。

文明、技術、物質の普及を「豊かになった」と喜んでいると、気づかないうちに本当の幸せを見失っていた、そんな例は、皮肉にも、

いよいよローカルの時代~ヘレナさんの「幸せの経済学」 by ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ+辻信一

を読み、さらにドキュメンタリー「幸せの経済学」を観たあと、ブログで感想を綴っています(→7/10投稿「幸せの経済学」)。

さて、日本でグローバル化どころか、世界の流れに逆行する現象が起こっているのが教育。

学校ではフィールドワークだ、アクティブラーニングだと流行語虚しく、授業数を増やし、子どもを教室に閉じこめる時間の延長。夏休みの短縮が起こっています。

知識の量や数値で人を評価するような、無駄な競争社会作りに邁進しているようにしか見えません。

世界の教育事情について北欧を例に書いたことがあります(→2017/7/12投稿「フィンランドの教育」)。チームで協力する姿勢を学んだり、失敗から学んだり、何度でもやり直したりできる。全国統一テストもなく、あえて落ちこぼれを作るような無駄な競争はない。自分の好きなことを見つけて伸ばしたり、コミュニケーションの力をつける機会がふんだんにある、と。

授業数も日本より少なく、学校の外でのフィールドワークがたっぷりあることも特徴です。

AI(人工知能)の研究が進み実用化が進んでいる今、AIには及ばない部分こそ、学校教育での活動に必要なことなのではないでしょうか。

     AIとは・・人間の知能そのものをもつ機械

        ・・人間が知能を使ってすることを代わって行う機械  

人工知能学会HPより

学校教育での活動に必要なこと、それは、

・・・クリエイティブな思考

・・・社会を良くしようとするコミュニケーション力や行動力

・・・情報をどうやって集め、いかに取捨選択し活用するか  

などを練習すること。

これこそグローバルスタンダードではないかと考えます。

これらの力をつけ、AIとうまく共存することで、

グローバル社会のなかで、

違った民族と自由に意見しあい、

他国と良好で安定した関係を築き、

国民一人ひとりが幸福になるということが、

グローバル化の今こそ、一つ一つの国が追求すべきこと。

それこそが豊かな国力となるのではないでしょうか。

こんなデータがあります。

「高校生の国際比較意識調査」

🌀自分は優秀だと思う

米国・・・88%

中国・・・67%

韓国・・・47%

日本・・・15%

🌀自分は価値のある人間だと思う

米国・・・89%

中国・・・88%

韓国・・・75%

日本・・・36%

日本は謙虚さが美徳とされる国だからの結果でもあるでしょう。

しかし、この数字を見る限り、悲しいかな、若者が幸せになろうと希望する姿が見えてこない。

もっとも、中国や韓国はものすごい競争社会で受験熱が日本以上だと聞きます。

それでもこのデータが物語る理由についてはまた調べてみたいと思います。

日本の教育現場、動きながら課題を見つけ、解決の方法を考え試し自分なりの策を見極め、集団の中で意見を言い仲間と一緒に問題を解決していく。そんな生き生きとした学びの場が少なすぎるのではないでしょうか。

⭕️知識が豊富な人=優秀な人

⭕️一流の大学を出て一流企業に勤めている=価値ある人間

って勘違いしてない? 

それこそが国際基準に激しく逆行です。

国境を越え、人と人が手を携えよりよい地球を作っていく人材を作ることが、教育のグローバリゼーションだと考えます。

優秀になって序列を上げたい」より、

「貧困問題を解決するという志を果たすために勉強して優秀になりたい!」

と若者が言えば、聞いている方だって幸せな気持ちになります。

さあ、何時間も教科書や黒板とにらめっこして知識を溜め込むのはやめ、本当に幸せになるための学びへ向かって教育のグローバリゼーションに目覚めよ、日本!

AIの役目を、私たち人間が躍起になっているなんて、

人間であることがもったいなくなるよ。