〜なんのためにやってるの?〜

研修会を振り返って~2~

「なんのためにやってるの?」

登録アーティストがある日

小学生に投げかけられた質問です。

ある学校の芸術鑑賞教室に呼ばれてパーフォマンスをしたときのこと。

鑑賞が終わると

子どもたちから感想や質問、そして

お礼のことば

と続くのが鑑賞会のお決まりの流れ。

この日も子どもたちから手が挙がりましたが、

そのうち

「なんのために踊ってるんですか」

という質問にアーティストは面食らった

といいます。

💃 💃 💃 💃 💃 💃

これは子どもたちにまず目標を設定させる

という学校教育を象徴しています。

全て目標を決めさせることが

経験の幅を狭めてしまう弊害をもたらす

という発想を持たない教育は危険とさえ感じます。

楽しいから

好きだから

人生がそれだけで豊かになる

得意なことをしているときは気持ちがいい

人が喜んでくれる

・・・

行為の意味にはそんな内的効果があることは自明のことです。

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ある中学生。

部活の陸上部でトップを走る男子です。

顧問の先生に

「目標は?」

と聞かれ、

「特にないです。走るのが好きだから走っています」

と素晴らしい回答をした彼に対し教員は、

「目標なしでは何をやってもダメだぞ」

と返され、

この顧問のもとで活動をすることに限界を感じた彼は

部活を辞めたそうです。

いずれも、研修会のグループワークででたエピソードです。

病院や施設での活動の域を超えて

なぜアートをするのか

なぜ心が欲することをするのか

そんな深い議論にまで波及したことが

とても嬉しかったひと時でした。

「何のために?」

「目標は?」

そのこと自体を純粋に楽しみ、結果人生が豊かになる。

それでいいではないか。

と思うのです。

まして子どもの口から

「何のためですか?」

などという白けた質問が出ることに

危機感を感ぜざるを得ません。

全て大人の事情、大人の浅はかさ、大人の未熟さ

感性の欠如、思考停止の表れ。

子どもたちはその被害者です。

本来、いろいろな経験をして

いろいろな人に出会い、その生き方を知り

視野を広げてから

自分はこうなりたい

と夢を持つのが自然です。

きめろと言われて決めるものではなく、一人の人間として

当然自由に決めていいはずです。

以前、「目標に縛られ自由が利かなくなる」

と行った内容をブログに綴りました。

2018/5/31投稿~「目標」ってなんだろう?

強制されて決める目標は

限られた選択肢から妥協して選ぶこと。

自分探しも夢を描く時間も惜しんで

前へ前へと子どもたちは押されます。

目標に向かって!

威勢の良い聞こえの良いスローガンです。

しかし、そこには

関係ないと思ったことをそぎ落とすことや

余計な寄り道は極力避けようという姿勢を植えつけます。

もしかしたら

「無駄」と思えることに大きなヒントがあるかもしれないのに。

時間は限られている。

早く早く・・時間を無駄にしないように・・

何というもったいない殺伐とした生き方。

多様な世界を知らずに

安易に目標をたててしまうことの弊害は計り知れないと思うのです。

なぜ〇〇をするのか。

好きだから。

楽しいから。

幸せを感じるから。

これではダメですか。