子どもが大切にされる平和な社会へ

〜「目標」ってなんだろう?〜

「あなたの人生の目標は?」

「1学期の目標をきめましょう」

「一年の計は元旦にあり」

折に触れ答えを迫られるのが

「目標」。

目標を決めると行動に移りやすい。

とは言っても目標を決めるってなかなか難しいもの。 

本来、いろいろな経験をしながら方向性を見いだしていくものだと思います。

私自身、目標を掲げて達成した!と自慢できることが1つもありません。

現在、NPOを作って軌道に乗せることができたのも、多くの人に出会ってたくさんの気づきがあった結果に過ぎません。

「目標を立てる」という行為そのものに縛られて身動きがとれなくなる、ということも考えられます。

昨今、アクティブラーニング(能動的学習)という言葉が学校教育の場で使われるようになりました。

何を学ぶかという目的を見つけるためのアクティブラーニングか、

定めた目標に向かって行うアクティブラーニングか。

まず目標を決めて、となるとアクティブラーニングという考えかた自体に無理が生じるように思います。

学校では節目節目に目標を決めることを生徒に求めます。

忙しい学校現場で、国が定めた学習指導要領(指導内容)をこなすために目の前の課題に追われれば、子どもたちを追い立てることになります。

そんな中、締め切りまでに目標を決めなさいと言われても、子どもたちは、目標を決める行為自体に「追い立てられ」ることにならないでしょうか。

締め切りに間に合うように決めさせられた、という思いが残り、失敗したときに誰かのせいにすることになるかもしれません。

以前フィンランドの教育について書きました。

7/12投稿 フィンランドの教育

何を学ぶかは、様々なフィールドワークを経て興味や関心を通して自分で決めます。

教師は国が定めるコアカリキュラムの中で自由に授業をデザインできます。

子どもは、失敗を決して恥ずかしいことと捉えずにそこから学んだり、何度でもやり直したりできる。全国統一テストもなく、あえて落ちこぼれを作るような無駄な競争はない。だから子どもの幸福度世界2位というのもうなずけます。

主体性を持って成長すれば、決まったカリキュラムなどない社会へ出たときに失敗も糧にしながら試行錯誤して目標を決めることができる。主体的に決めるから責任感や自信に裏付けられ、成熟した人間に成長できる気がします。

目標を決めないと動けないということになると、目標設定そのものが、まず動いてみることの弊害になるともいえそうです。

自由で伸びやかに成長する中で出会う「こんな大人になりたい」という湧き出るような憧れ。

それが主体性の源となり、目標に向かって行動するようになれば一番ナチュラルだと思います。

子ども時代に信頼され、自由を保障され、ゆっくりと「なりたい自分」を探すことができたら、

ああ、幸せだ!

と心から思う人になれる気がします。

自分らしく幸せに生きる大人が子どもたちの憧れとなり、「目標」となるのではないでしょうか。