宮古で出会ったアーティスト

三線、沖縄民謡、そしてSatokoのボサノバ・・到着するなりアーティストの素晴らしいパーフォーマンスを堪能している宮古訪問。

滞在先のゲストハウス「黄色い家」へ到着と同時に目に飛び込んできた光景はこれまたアート一色。

オーナーと親しい画家の絵がリビングルームの壁一面に展示してあります。

砂川さんの画集とSatokoのCD。オーナーはSatokoさんの大ファンでもあります。
ここのリビングルームは時に砂川さんの絵をバックにSatokoさんのライブ会場に早変わり。

画家の砂川泰彦さんは、小さい頃から絵を描くのが好きで、相手の喜ぶ顔を見たさに似顔絵を描きプレゼントしてきました。

そんな砂川さんが多系統萎縮症と診断されたのは41歳の時。

治療に専念する日々を送るようになりましたが、思うように動かない辛さを乗り越え、リハビリを兼ねて筆をふたたび握るようになりました。手を動かしにくい時は、画用紙を手の動く方向にずらしながら作品を仕上げていくそうです。モチーフは自分をこれまで育ててくれた島の風景。

「病気のことで時には落ち込むこともあるが、絵を描くことで前向きな考え方ができる」

と生きがいにつなげているとのこと。

今日、沖縄県立宮古病院での活動が決まりました。インフルエンザ流行期を過ぎたら開始です。

アートで病を克服した砂川さんのような画家にも、似顔絵や一緒に絵を描くワークで子どもたちに楽しみを届けて欲しい、病と闘う子どもを応援して欲しいと心から思いました。

宮古に繋げてくれたSatokoさん。自ら作詞作曲した「宮古の風」を歌い続けることで病を跳ね返した体験は、いかにアートが活力増進剤の役目をするかを教えてくれます。

今回ここで出会った砂川さんも「絵を描くこと」で前向きに病に立ち向かっています。病院、施設の子どもたちにアートを届けることの意義を改めて確認した、宮古訪問でした。

〜宮古島ランディング〜

宮古の青い空と海。

降り立つなり迎えてくれたのはムッとする湿気と島ならではの強い風、そしてSatokoさんの笑顔。

南国に来たんだな、いよいよ沖縄でスタートできる期待を胸に、まずは伊良部島の海岸へ。

関西出身のSatokoさんが宮古にたどり着き愛し、第二の故郷と呼んでいるわけに耳を傾けながら、私もこれから出会う土地の人たちからその魅力をうんと教えてもらうことになりそうな予感。

チャリティコンサート会場は何度か寄付をいただいている

「ボランティアサークル結」で。

Satokoさんのコンサートは全てオリジナルのボサノバ。

「宮古の風」はいつ聴いても心を動かされます。

続くは子どもたちによる沖縄民謡。

子どもたちの習い事としてとても人気がある三線。

沖縄は伝統芸能がしっかりと受け継がれる土壌があること、ここにも琉球の底力を感じました。

生き生きとした彼女たちの笑顔に、土地の伝統、習慣を大切にする心意気を感じ、合理化、画一化された社会の中で、とても貴重な生き方を見せつけられた気がしました。

沖縄地区のコーディネータとこの会場で会うことができました。

初めて会ったとは思えずはやくも意気投合、新しい地でのこれからがますます楽しみになりました。

最後はもちろん、全員カチャーシーで決まり!

〜寛容さとは?〜

3月は卒園、卒業の季節。

そして4月に始まる新しい生活に胸躍らせたり、不安になったり。

特に、小学校に上がる子どもたちは楽しみ半分、不安半分。

幼稚園、保育園では入学準備、近所からは「もうすぐ1年生だね」と声をかけられる。先の見えない怖さを煽る大人の一言は、幼心に辛いものかもしれません。

私が幼稚園や小学校に入った頃は、何も考えずに大人の言うように、自然に当たり前のように身の置き場を変えていく、という感じでした。特に不安にも疑問にも思わずに。誰もがそうだったような気がします。

それだけ社会にどんな子も包み込んでくれる安心感があったのかもしれません。

いろんな子がいました。それ自体がお互いに学び合いだったような気がします。

でも今の子どもたちを取り巻く環境は、大人が決めた規格通りに行動すること、振る舞うこと、成長することを、これまで以上に求めているような気がしてなりません。

その結果、子どもたちは、幼な心に「こうしなきゃ」と自分を押さえつけて大人の顔色を見ながら「いい子」になる、「いい子」を振る舞うようになってきた気がします。

だから「その一言・・もうすぐ1年生だね」が、ちゃんとしなきゃ・・というプレッシャーになり、耳に辛い子がいるのは確かです。

考え込んで先を想像して不安になったり心配したり。

昔はみんなボーッとしてるうちに入学したもの。

今の子は早熟だなあと。

成長の過程や速さは十人十色。伸びやかなありのままの屈託のない子どもをそのまま受け入れ、温かく見守る社会でなくなったゆえの気がします。

この春小学校に上がる孫は、保育園が少し遠く、知っている子が一人もいない小学校に入学します。

昨年の秋から、「みんなと違う学校になんか行きたくない」

「字を書いてもぐちゃぐちゃになっちゃうから勉強もしない」

と時々シクシクと泣くことがあります。

え~、友達なんかすぐにできるよ、とか字は学校に入ってから覚えるんだよ、

なんて言っても不安は全く消えない。かえって、

「なぐさめないでよ」

といった調子。

本当に早熟です。

こんな孫もかつての私のようなボーッとした規格外の子も同じように受け入れてくれる寛容な社会だったら・・。

教育が合理化に走ってしまえば、個性も面白みも、知性も?そだたない。

子どもたちにとって、のびのびと想像力や創造性を発揮し、互いを認め合い、自分を自由に表現出来るような寛容さのある未来が来ますように。

*****

=おまけ=

とりあえず目下の願いは、孫が、なあんだ、案ずるより産むがやすし、ってことに気づいて思いっきり楽しい生活を送って欲しい。

孫たちが可愛くて仕方ないおばあちゃんの切実な思いです。

〜専門家ってなんだ?〜

~闘病中の子どもたちに本物のアートを!~

=スマイリングホスピタルジャパンはプロのアーティストによる本格的なアートを病院、施設の子どもたちに届けます=

とキャッチフレーズを掲げながらも、駆け出しの頃は登録アーティストが足りなくて松本が趣味の手芸やクラフトを持って行き、

「今日はなんちゃってアーティストマツモトです。ごめんね~」

などと言いながらプレイルームの椅子にドカンと座って子どもたちとワイワイがやがややっていたものです。

じきにアーティストがたくさん応募、登録してくれて今では全国で150名超え!

なんちゃってアーティストマツモトは全くの出番なし。

本物のアートを届ける団体なのであなたは引っ込んでいて・・

と自分に言い聞かせる。

「そもそもプロって、専門家って?」

と、問い合わせも何度かありました。

「ある特定の学問・事柄を専門に研究して、それに精通している人」

辞書を引くとそんな定義が出てきます。

類義語としては、玄人・技術者・スペシャリスト・名人・達人・エキスパート・テクニシャン・など。

「有資格者=プロ」と言い張る人もいる。

しかし資格のない分野だってある。

「専門で生計を立てている」のが本当のところのプロの定義という見方もあるけど、ちょっと無機質な感じがする。

そこへもってくると、「マニア」や「オタク」などもその道のプロの別名?!こっちは人間ぽくていいなあ。

いずれにしても、どこからが専門家なのか、明確な定義がないのが確か。

問い合わせには必ず、

それを自分のライフワークにしている人。

それによって生計を立てているかいないかは関係なく、自分にはこれがある!と胸を張って言える人。

と答えます。

希望を言えば、あらゆる人が私にはこれがある!という「何か」を持ち、それを活かせる世の中になるといいなと思います。

専門性を磨き続けながら自分を高め、喜びを感じ、そして人を幸せにする人。

それって、

まさにスマイリングホスピタルジャパンのアーティストたちのこと。

Smiling Hospital Japan Artists Profile