〜モンテッソーリ教育と子どもの情景 〜

モンテッソーリ教育といえば「モンテの教具を使う」ことが第一に浮かぶ人が多いと思います。教具を使うということは個人活動ばかりなのかな、という疑問もわいてきます。一人一人が自分のやりたいものを選んで、別々のことを行っている、そんなイメージです。

教具棚から「自分で選ぶ」ところから始まり、

「開始から完成までの試行錯誤と集中」

「もう一度やるか次に移るかを選ぶ」

「もと通りに整え、あった場所に戻す」

この一連の作業を繰り返す時間が確保されます。

自立心、自律心、先を見通す力、目標を決めて頑張る力などが養われます。

確かにここまでだと、ただただ一人の世界に留まっているように見えます。

しかし、子どもは自分ができるようになったことは独占するだけではなく、お友達に教えたいと思います。分かち合おうとします。他の子とのふれあいにつながり、社会性が育っていくでしょう。

達成感をたくさん経験して自己が確立され始めた子は、自然に目が周囲に向き、他の子へ興味が湧き、一緒に行動したいと思うようになります。

まずは選んだり失敗したりもう一度挑戦したり、できたことに喜んだり・・自分と向き合う時間をたっぷり持つ。すべて自発的な活動です。

そんな個人活動を柱として自己を確立していき、次にグループ、そして集団での一斉活動への準備ができるというステップ。

子育て中のある情景を思い出します。

息子が小学生の時、たくさんのお友達を家に呼んでひとしきりワイワイおしゃべり。数時間の騒ぎを覚悟しおやつを盆に載せて部屋に行くと、シ~ン・・・。

それぞれがゲーム片手に奮闘しています。せっかく集まったのに~とつい野暮な口出しをします。

見ると通信をしたり、自分の画面を友達に見せたりとそこに共有の場面がありました。

外遊びは校庭で十分してからの集まりです。

ギャングエイジの頃・・大人が口出しをしなくても社会を作っていたんだな、と改めて感じます。百歩譲ってですけど。

「出生前診断」と「旧優生保護法への批判」の矛盾

1月29日、日本産婦人科学会が出生前診断実施施設を拡大する方針を固めた、という報道があった。妊婦の年齢制限や対象疾患の要件緩和についても検討するという。認定施設が少ないことから、無認定のクリニックで年齢を問わず検査を実施していることを問題視、この拡大を検討することにしたそうだ。

受診者は毎年増え続け、染色体異常の疑いがある「陽性」と判定荒れた妊婦の9割が人工妊娠中絶を選択したという。

一方、時を置かずして1月31日の記事。旧優生保護法のもと、障害などを理由に9歳、10歳児に不妊手術が施されたと新聞に載っていた。宮城県に残る「優性手術台帳」に旧法に従って手術を受けた人の氏名や疾患名などが記載されているという。15歳で強制手術をされたとして60歳代の女性が損害賠償を求める訴訟を起こしたことで浮き彫りになり、謝罪や補償を求める動きが広がりそうだとある。

後者は非人道的措置として批判の的となっていることは当然な話で、怒りがこみ上げる。しかし、出生前検診についての問題提起はといえば、「陽性と判定されながら確定診断で異常がないケースもあり、安易な命の選別につながる」という指摘だ。

そもそも、検査が存在すること自体、差別意識が根底にある安易な命の選別につながると思う。実施施設を拡大すれば、さらに「安易な命の選別」が助長されはしないか。

染色体異常の方の存在そのものを否定することになり、旧優生保護法の考え方と重なりはしないか。

医療的ケア児の増加はかけがえのない命を守れたゆえの現象。救命のその先の社会体制が追いついていないからと、その前の段階で数を減らそうというのであれば、あまりにも乱暴で傲慢な考え方だ。

ここの部分に意識が届かないのはなぜだろう。かけがえのない命。その先の支援にこそ、手を当てていかなくてはならない。

資料:

◇旧優生保護法

「不良な子孫の出生防止」を掲げて1948年施行。知的障害や精神疾患、遺伝性疾患などを理由に本人の同意がなくても不妊手術を認めた。ハンセン病患者も同意に基づき手術された。53年の国の通知はやむをえない場合、身体拘束や麻酔薬の使用、騙した上での手術も容認。日弁連によると、96年の「母体保護法」への改定までに障害者らへの不妊手術は2万5000人に行われた。同様の法律により不妊手術が行われたスウェーデンやドイツでは、国が被害者に正式に謝罪・補償している。[東京新聞記事より抜粋]

◇母体保護法

旧「優生保護法」に 代るものとして,1996年に制定,公布された法律。母性の生命と健康を保護することを 目的とし,そのために一定の条件をそなえた場合には不妊手術または人工妊娠中絶を 認めたものである。[ブリタニカ国際大百科事典より抜粋]

 

〜参加者がたった一人でもおなじこと〜

病院というのは同じ病棟でもその時その時で状況が違います。

体調の変化はもちろんのこと、院内学級の時間割が変わった、急な検査が入った、体調がいいので一時退院することになった、など。

また、入院生活は単調なようで、処置や入浴、診察、院内学級へ登校、ベッドサイド授業、宿題・・と、結構忙しいもの。

しかし、いったん安静が必要になると途端に退屈な時間となります。

そんな時は痛みや不安ばかりと付き合うことになりますから、そんな子にとってはSHJの訪問が何よりの楽しみになります。

早く来ないかな、と楽しみにしてくれ、活動が始まると体調の悪さも忘れて夢中になれるから、本人はもちろん、まわりの大人もホッとします。

活動の導入説明の時には、

「当日にならないと状況がつかめませんので準備くださった活動が全くできない、ということもありますがいいですか」

「参加できる子どもが極端に少なくなり、一人になることもあるかもしれません。それでもいいですか?」

「感染症流行期には突然のキャンセルもあります」

と言われることが多いもの。

訪問が開始されても、

「せっかく来ていただいたのに、一人しかプレイルームに来られません。すみません!」

とも。

参加人数は一応数えているけど、ある程度の人数が確保されないとがっかり、ということは全くありません。イベントではないのですから。

多いときはワイワイ賑やかなのがメリット、多いからできる活動を、そして少ないときは個別にうんと関われるメリットがあります。

さすがに一人では申し訳ない、と現場は思ってくださるけど、とんでもない。

その子は同じように待っていてくれ、それが一人だろうが、50人だろうが、本人には何の違いもありません。

参加人数が多かった、というのは入院児が多いということ、病気の子が多いということ。参加が多くて嬉しいとしたら矛盾しています。

現場の方はもちろん、同じ考えなのだけど、せっかく来てくださってるから、と気を遣ってくれます。たくさんの子どもに参加させようと声をかけてくれますが、たった一人でも私たちはおなじ思いで活動させていただいています。

ボランティアって、自発的な行為だけど、だからと言ってせっかくしてあげてるのに・・という気持ちを少しでも持ってしまったらおしまいです。

させていただいている、ありがとうございます、という気持ちを忘れずにいたいものです。

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 〜著名人の使命〜

小室哲也さんの報道は、介護する人の孤独さ痛切に感じさせるものだった。

奥さんの介護があるのになんてことを・・。

という社会の第一反応の後には、赤裸々に語る小室さん自身の病や音楽活動への陰りなどの苦労の上に介護の厳しさが加わることの過酷さ、孤独さに同情する声がわき上がった。

ただ芸能人として記者会見で質問に答えることに終始し、いったんはマスコミの餌食になったとしても、芸能界を去ることになったとしても、苦労を無駄にしない道がある。

自分のプライベートをさらけ出さなくてはならない立場を利用して、同じ境遇の人の代弁者となり、社会に問題提起してこそ、著名人としての使命が果たせると思うがどうだろうか。

今はそこまでの余裕がない状態かもしれない。しかし社会に衝撃を与え、たくさんの励ましや同情を受けている今こそ、人知れず苦労している多くの人のメッセンジャーとなれる。本来の職を去ることを決意したその先には、社会的なインパクト、そして辞めないで、というファンの声に新たな方法で応えることができよう。

介護生活を送る中、肉体的、精神的、経済的ストレス、そして孤独な状態へと追いやられてしまう自身の実体験をもとに、介護する人の立場に立って孤立させないような仕組み作りをしていくことの重要性を社会に訴えていくという選択もあることに気づいて欲しい。

SHJヒストリー33~どうやって広がったの?~

HPができてしばらくしすると、「お問い合わせ」フォームを使ってコンタクトをくれる人が少しずつ増えてきました。

「HPを見て、何か協力できないかと思いました。」

と連絡をくれたドラムサークルファシリテータの三原典子さんドラムサークル研究所

ドラムサークルとはその名の通り、参加者が輪になって打楽器を即興で演奏するというもの。楽譜はなく、各自が好きなリズムで自由に音を出していく中でつくられる、一期一会のセッション。そのサポートをするのがドラムサークルファシリテーター。

 SHJの活動はとてもいいからどんどん広げなきゃ・・。全国の支部のうちSHJの趣旨に賛同してくれる仲間がきっといると、数人のファシリテーターに声をかけてくれました。

ドラムサークルファシリテータ三原典子さん   いつもたくさんの打楽器と移動
神奈川県立こども医療センターでドラムサークル!

その結果、4名のドラムサークルファシリテータが名乗りを上げ、SHJ地区コーディネータ、そしてSHJアーティストとして活躍しています。

アーティストのようにテーマを持って生活をしている人のネットワークに驚くとともに、彼らのパッションがどんどん背中を押してくれました。

そのほか、HPを見て、FBを見て、友人に聞いて、新聞記事を見て・・

それからラジオで知って、テレビで見ました・・。

こうやってSHJを好きになって自分も関わりたいと思う人があちこちで生まれる。

そんな人が仲間に声をかける。アーティストがアーティストを呼び、

そしてその中にはコーディネータとして地区をまとめたいという人も現れて・・。

こんな循環がゆっくりと確実に出来上がっていきました。

いろんな人が1つのミッションのために繋がって集まって、それぞれが知恵をしぼる。

1年に1度開催する全国研修交流会では、各地区がどんな風に活動してるかを確かめ合い、うんと盛り上がります。

それぞれの持ち場へ新しいアイデアを持って帰って、どんどんバージョンアップする。

このパターンが繰り返されることによって、活動の質がぐんぐん上がって発展していく。

専門のアートについてはプロだけど、医療に関しては素人。わからないことはわからないといい、知恵をもらう、みんな謙虚で柔軟だ。

アーティストもアシスタントも事務局ボランティアもみんなSHJにかかわっていることに幸せを感じてくれている実感が持てるようになりました。

代表として、○○地区は~のことで悩んでたけどどうなったかな、とか新しい病院の話があったけど・・、とか、アーティストの♡♡さんが体調を崩していたけど回復したかな、など。

全国のみんなに思いを巡らせながら全体像を確かめる。コーディネータにメールしたり、電話したり・・。

子どもたちや家族からのアンケートや感想を読んではニンマリ。

時々入れる病院への電話はちょっと緊張するけどこれも楽しい仕事。

よし、みんながHappyなことを確かめたら、さらに前進。

子どもも家族も病院も、アーティストもアシスタントも、

事務局ボランティアも誰もがhappy。

だからこれからももっと広がります!

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