どの子も一緒に遊べる?バリアフリー公園🌷

ハード面でユニバーサルデザインが進んでも

心のバリアフリーが進まないと

せっかくの合理的配慮も

絵に描いた餅

になってしまいます。

昨今、障害のある子もない子も一緒に遊べる

「インクルージブ」公園

「ユニバーサルデザイン」公園が

都内に続々と作られています。

心のバリアフリーを実践するためにも

その媒体となる

物理的な改革、

公園でいえば

インクルージブな遊具への更新は必須ですから

この取り組みは画期的と言えます。

車椅子でも遊べる遊具

安全ベルトがついたブランコ

・・・・・

なるほど、

2006年のバリアフリー新法に基づき

園路の幅を車いすで通れるようにするなどの基準が作られたものの、

遊具自体に安全性についてのガイドラインがあるだけです。

遊具だけを配慮型に変えるだけでは

車椅子用のスロープが長すぎたり、急すぎたりして使いづらい、

駐車場から遠い、

などの課題はそのままです。

そんな中、

都は共生社会に向けて

「すべての子どもたちがともに遊び、

学ぶ機会を積極的に提供する」

という方針を打ち出し

インクルージブ&ユニバーサルな形を目指して

複数の公園で改修工事を始めたそうです。

しかし、

障害のある子もない子も一緒に楽しく生き生きと・・・

これを本気で願うのならば

公園に

ファシリテーターを配置するのはどうでしょうか。

”さあ、誰でも使えますよ”

と言われて

初めて会った子ども同士がすぐに打ち解けるはずはない。

そこに

指示したり仕切ったりするのではなく、

そう、ちょうどSHJのアーティストみたいに

程よい立ち位置で子どもたちを見守り

間に入って融合を目指す人として

UD公園ファシリテーターがいたらきっと

障害のある子もない子も一緒に楽しく生き生きと・・・

が実現できそうです。

さらに

子どもたちが遊具を使っているところを観察し

子どもや親の意見を聞きながら

さらに工夫が必要なところを見つけ

改善を提言する役目としてもその存在には意義があるのでは?

みんなで一緒により良い公園を作る実践者としても活躍できそう。

誰もが遊べる公園づくりに取り組む

http://www.minnanokoen.net 

「みーんなの公園プロジェクト」(岡山市)は

「当事者と対話しながらより良いものを目指して欲しい」

と。

もう一歩工夫して

公園での遊びのファシリテーター

いかがですか。

「Tokyo 2020 アクセシビリティ・ガイドライン」の矛盾

“障がいの有無に関わらず、すべての人々にとってアクセシブルでインクルーシブな大会”

を実現するためのガイドライン。

2020年五輪・パラリンピック組織委員会が定めています。

このガイドラインの矛盾を

東京都盲人福祉協会が批判しています。

8/9投稿〜来年のことが心配でたまらない

では

激しい運動や不要の外出は避けなければならない

真夏の東京でアスリートたちは大丈夫か!

今まさに酷暑の中で工事現場の作業を強いられる人たちの人権は?

と、疑問をぶちまけましたが、

今回の報道に、

ますます心配な五輪と

委員会の

決定的ななんちゃって人権意識が見えました。

このガイドラインに基づき、

大会関係者向け携帯用アクセシビリティサポート・ハンドブック」

が作成され、

1 接遇の基本

2 スムーズな移動がしにくい方へのサポート

3 視覚による情報が得にくい方へのサポート

4 音声による情報が得にくい方へのサポート

5 伝えること・理解することが難しい方へのサポート

6 補助券を連れている方へのサポート

について場合に応じた対応方法を説明しています。

さらに、ガイドラインの中に情報発信用の刊行物についての方針が書かれた箇所がありますが、問題はここ。

・組織委員会が作成する刊行物は、紙面のコントラスト・光沢、文字の色・大きさ、フォントの種類・太さ、行間、文字間隔等において読みやすい配慮が必要。 

・視覚に障がいのある人が情報にアクセスできるよう、点字、テキストデータ、拡大文字または音声形式、触知可能な地図等で提供できることが望ましい。 

Tokyo 2020 アクセシビリティ・ガイドライン

ところが、

大会のチケット購入方法について説明する点字資料や、

必要な情報を音声で案内するCDを作成していないということを

東京都盲人福祉協会が批判していると

新聞記事で知ったのです。

「ホームページを音声読み上げ対応にしている」

「配慮が必要な人の専用ダイアルを設置した」

「点字印刷物はあとで修正できなくなるため作成すべきでない」

「ガイドラインには情報提供する手段の例示に過ぎない」

と言って対応をしていないといいます。

これでは公平な情報発信ができていないことになります。

さらに

「今後も流動的な情報を点字で案内する可能性は低い」

と。

情報とはそもそも流動的なものではないかと考えると

詭弁を言い放って論破しようという人権意識のなさが透けて見えます。

組織委員会の言っていることと

やっていることには大きな矛盾があり

自らが作ったバリアフリー化の指針に反していると言わざるを得ません。

・組織委員会のHPには膨大な情報があるため音声読み上げには時間がかかる

・専用ダイヤルの案内に行き着くのも困難

と協会は指摘しています。

これでは共生社会とは絵に描いた餅です。

「障がいの有無に関わらず、すべての人々にとってアクセシブルでインクルーシブな大会となるよう様々な取組みを推進しています」

とガイドラインのトップに書かれたその趣旨

が字ズラだけ優しい言葉を並べただけの

薄っぺらなものだということがわかります。

「心のバリアフリー」

「最高のおもてなしで」

という美しい表現も添えられています。

言葉で飾ることは簡単です。

障がいの有無にかかわらず全ての人にと。

しかし、

今後も流動的な情報を点字で案内する可能性は低い

と宣言しているのです。

百歩譲って

間違いは誰にでもある

でも明らかな矛盾を指摘されたら

「今後対応を考える」

ぐらい言えないだろうか。

〜多様性とインクルージブ〜

インクルージブとは?

・・・inclusive「包括的な」「包み込む」・・・

そして国が掲げる「インクルーシブ教育システム」は、

「障害のある者と障害のない者が可能な限り共に学ぶ仕組み 」

~文部科学省 初等中等教育局 特別支援教育課 発行(2015/6月)「インクルーシブ教育システム構築事業」より~

と定義されています。

根拠は、

障害のある子供への教育的支援の必要性として、

✔︎全ての国民に、その能力に応じた教育を受ける機会が与えられなければならない。 【日本国憲法、教育基本法】 

✔︎特に、障害のある子供には、自立や社会参加に 向け、一人一人の障害の状態や教育的ニーズに 応じた指導や支援(特別支援教育)が必要。 【教育基本法、学校教育法】 

結果、

現在の重要課題「共生社会の実現との関係」の中で、

「障害のある者と障害のない者が可能な限り共に学ぶ仕組み 」

が必要になっということだそうで、

これが「インクルーシブ教育システム」by 文科省。

しかし、そもそものところ、多様性をおおらかに認めあう社会の雰囲気が欠如しているところで、このインクルージブという概念が成立するのだろうかと首をかしげてします。

子どもたち一人ひとりが多様であることが大前提であり、

さらに誰もがその多様性が当たり前だという認識を持っていることが基本。

それがなければ絵に描いた餅に終わるように感じます。

障害の有無にかかわりなく、一人一人の困難が考慮され、地域の通常学級で学べることを目指す教育理念と実践プロセスのこと、のようですが、

実際のところを見てみたい衝動に駆られます。

平成28年4月1日「障害者差別解消法」が施行されました。

さらに東京都では、

東京オリンピック2020を見据え、社会全体で障害者への理解を深め、差別を無くす取組を一層推進するため、

「東京都障害者への理解促進及び差別解消の推進に関する条例」が先日10月1日に、施行されたことで、さらに教育現場における合理的配慮が実行され浸透していくことを期待します。

10/3投稿「学校に多様性はあるか」で引用した東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍氏の言葉、 

「多様性と言いながら、学校の方針そのものが、人間の個性を無視している」

「特別支援学校だって小さな集団指導に過ぎず、結局一斉」

「無理やり一つの箱に入れて効率化」

は、インクルージブがあるべき姿から外れてしまった結果、ある意味弊害ではないかと思います。

・・不登校の子はまさにインクルージブ教育から逃げ出した子・・

という同氏の分析に深く頷いてしまいます。

そんな子たちは物事をちゃんと深く考え、本質に気付く賢い子たちなんだろうなあと。

思考停止、前例踏襲に喝を入れ、本当に幸せになるための生き方を身を以て示していく輝くべき子どもたちだと私は思っています。

多様性とインクルージブ、共存するためには人々の人権意識がそもそもの課題でしょう。