〜特別支援という名の画一教育〜

日本には普通教育と特別支援教育があります。

先日、特別支援学校でも普通学校と同じような体験を、という理由で、各学校に様々な行事があったり一斉の時間があったりというカリキュラムについて触れました(→7/27投稿 教科書が絵本!?)。

この取り組みを、ノーマライゼーションと履き違えていると思う時があります。

特別支援教育とは、特に配慮の必要な児童・生徒に対して その子 の状態に合わせた特別な支援方法を用いて教育すること。

「その子の状態に合わせた」というところが特別支援の本当の意味です。

また、特別な支援を必要とする子どもにとって、毎日の決まったリズムやいつもの場所、というのが心の安定と安心につながります。

ふんだんに個別の時間が確保されて初めて、一人ひとり「その子の状態に合わせた」特別な支援を行うことができます。

行事というのは普段の継続的な学習と安心の空間を一時中断させます。

本当は教員たちは落ち着いて一人ひとりに向き合い、支援方法を模索し、目の前の子どもと過ごす時間がもっと欲しい、と思っています。

だって、特別支援は個別でしかできませんから。

しかし、現場の熱意よりも、普通学校に近いことをするべきという学校としてのピント外れの方針が、子どもたちの心の安定を邪魔していないか、本来必要なことを行う時間を奪っていないか。

と思えてなりません。

もちろん、仲間と一緒に行動すること、様々な体験をすることはとても大切なことで、特に障がいのある子どもにとっては、学校という集団活動の中でしかなかなか味わえないことです。

仲間と外に出て季節を感じる、劇場へ行って芸術を鑑賞するなど、とても良いアクティビティだと思います。

ですから行事も全てなくす、というのではなく、必要最小限に減らす必要があるのでは、ということです。

また、学習発表会はどこの学校でも行われていますが、普段の学習の成果を発表する場であるはずの行事が、行事のために普段の学習を一時中断してテーマを別に設定し準備する、などという「特別な日」にすることは避けるべきと考えます。

まさに「安定したリズムと空間」を阻むからです。

特別支援教育・・・どの子も特別な存在 どの子も違う支援が必要

だから一人ひとりが特別であることを前提に、「その子の状態に合わせた」特別な支援を行うこと。

行事に限ったことではありません。普段の授業も極力「個別」にすることで、一人ひとりがその子らしさを輝かせます。

この基本姿勢に立った上でインクルーシブな取り組みを工夫し、ノーマライゼーションを目指していくことが筋道ではないでしょうか。

今の特別支援の現場で行われているのは、

「特別支援」という名前の、

普通学校のカリキュラムとは違った、

特別な支援が必要な子どものための、

「もう一つのカリキュラム」。

もう一つのカリキュラムの中に「その子の状態に合わせた」多様な実態がいかにつくれるかが、これからの特別支援学校に求められていることではないでしょうか。