〜強制的ボランティア❓〜

12/11に オリ・パラ児童生徒観戦招待の怪(~_~;)

と題して久々の”怪”を書きました。

オリパラ教育の集大成として

学校の生徒が

オリ・パラに招待されるという内容。

「マラソン会場が変更になったほどの酷暑の中、

熱中症は?食中毒は?

ただでさえ交通機関の大混雑が予想され

企業によっては期間中は在宅勤務が検討される中、

大勢の移動は安全?引率は目が届く?」

と疑問を並べたものです。

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オリパラ教育の目的は、

 ・ボランティアマインド

 ・障害者理解

 ・スポーツ志向

 ・日本人としての誇り

 ・豊かな国際感覚

の5つの資質を育むとともに

共生・共助社会の実現を目指し、

「平和でより良い世界の構築に貢献する」

東京都教育委員会サイトより)

というものですが、そのうちの一つ

「ボランティアマインド」の資質を育む

については

え?逆のことしてるじゃん!

と思った次第。

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少し前に

都内公立中学校と高校に

ボランティアが定数割り当てられ

実質半強制的なボランティア参加が求められていることを

新聞で知ったからです。

ボランティアとは自らの意志で行うもの・・・・

ですよね。

この手法で「ボランティアマインドの資質」が

育まれると考えるところ、

言葉の意味そっちのけでキーワードを並べているだけなのかな?

とオリパラ教育理念に「知」

が感じられずにため息。

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ここをさらに深く掘り下げようと見つけたのが

11/14付ビジネスジャーナル

東京都が、都内公立中学校と高校から6000人のボランティアを募集する計画を立てていると報じた。

NHKの報道によると、都の教育委員会は任意の参加と説明しているにもかかわらず、実際は中学校の場合で1校当たり5人の生徒と引率教員1人などと割り振られており、半強制的に参加を求められているという。

ちなみに、厚労省のボランティアの定義は

厚生労働省社会・援護局 地域福祉課 サイトによると

一般的には

「自発的な意志に基づき他人や 社会に貢献する行為」を指してボランティア活動と言われており、

活動の性格として「自主性(主体性)」「社会性(連帯性)」「無償性(無給性)」等があげられる。 

としながらも、

厚労省の立場としては

ボランティアについて明確な定義を行うことは難しい、

と明言することを忘れていない。

ここに強制的ボランティアのつじつま合わせがあるのか?

しかし、

活動の自主性、自発性及び創造性が最大限に尊重されなければならない・・・
とも添えられていて、

ほら、やっぱり言ってることとやってること違うじゃん!

ということになります。

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“怪”はさらなる”怪”を呼んでいます。

「平和の祭典」のはずのオリ・パラは

ボランティアを強制?(意味がわからないけど)したり

特別支援学校の生徒を競技に招待(動員とも呼ばれる)し

競技会場に車椅子やストレッチャーで向かう子どもの身にならず

引率教員の不安や苦労にはまったく目を向けない。

当事者意識も主体性もあったもんじゃない。

都教委、ボランティアマインドをなんと心得る⁉️

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ボランティアって?~東京五輪に寄せて~

2020年の東京五輪・パラリンピックのボランティアの募集が9月末から始まることを受け、ボランティアってなんだろうと、改めて考えます。

学生の参加を期待する文科省とスポーツ庁は、全国の大学などに大会期間中の授業や試験日程について「適切に対応」することを求めていると知り、違和感を感じたから。

権威からの期待、これはある種の強制力を感じさせます。

ボランティア(volunteer) とは、

自由意志を表すラテン語「voluntas」が語源。

ボランタリー(voluntary) とは、

名詞で自発的行為、形容詞で  自由意思による、自発的な、という意味。

ボランティアとはそれを行う人や活動のことで、

「無償で自発的に社会活動に参加したり,技術や知識を提供したりする人、またはその活動。社会福祉、教育、環境保全、保健など、社会全般を対象とする。一般的にボランティアの理念として、自分から行動すること、ともに支え合い協力し合うこと、見返りを求めないこと、よりよい社会の実現を目指すこと,があげられる」(ブリタニカ国際大百科事典より)というのが一般的な定義です。

日本では、1995年の阪神大震災で全国から多くのボランティアが支援に駆けつけたことから,この年をボランティア元年とし、震災が発生した 1月17日を「防災とボランティアの日」としています。

これをきっかけに、市民が主体となって社会問題を解決しようというボランティア活動は、社会的な認知も高まり、個人で、また非営利活動法人(NPO法人)など団体として社会福祉などの分野で、日本でも活発になってきました。

行政の及ばない部分を補う、または充実させるというのが非営利組織の役割。

しかし、行政が公共サービスを行う上で市民の善意に甘えて丸投げしたり予算を削減したりするならば本末転倒です。

今回の五輪に向けたボランティア募集。ボランタリーな精神に委ねるというより、大学のノルマのようにならないことを願います。

自主性、主体性は課せられるものではない。

役に立ちたい、という自由意志から自発的に盛り上がるボランティア活動でなければならないと思います。

行政とボランティアの適切でバランスのとれた連携が必要で、コーディネートを専門とする役も必要かもしれません。

社会の役に立つことが幸せであり、生きる意味であること。欧米では多くの人が持つ一般的な価値観です。

ボランティア文化、寄付文化は、そんな人々の精神から発生するもの。

自分も大切だが他人も等しく大切な存在という人権意識にかかってくるのでしょう。

ここでも、そもそもの本質的なことに思いは向かいます。

生きる意味は?幸せとは?隣人愛とは?

人々の心に自然に芽生える”力になりたい”、そんな純粋な思いがボランティア活動につながっていく。

それは誰に強制されることではないはずです。