性教育って何?-2-

学校での性教育の不十分さを

2018/11/1投稿「~性教育って何?~

で綴りました。

いきなり生理や体の仕組みやその違い、機能、性交や妊娠の仕組みから入るのではなく、

愛、思いやり、自分を大切にすること、相手を敬うこと

人権意識を培うことを根底に、

という意見を書きました。

厚生労働省によると、昨年度に20歳未満の人口妊娠中絶件数は14128件。昨年1年間に20歳未満の「母親から生まれた子供の数が9896人。

生理周期や排卵の時期に妊娠することを知らない大学生がいるとか。

現行の中学校の学習指導要領では

生殖機能が備わる思春期の子供に

排卵や受精の意味を教えるいっぽう、

「妊娠の経過は取り扱わない」

「『性交』は教えない」

ため、子ども達は「性成熟に伴う適切な行動とは何かを具体的に考えられない。

先日、足立区の中学教諭が

人権教育の一環として

性教育を熱心に続けている

という記事を新聞で見つけた。

1年生で科学的に生命の誕生を通して自分と他人のかけがえのなさを感じさせる。

その後、性の多様性を通し、人権問題として学ぶ。

3年生になると性行動や恋愛について考えさせるのだという。

保護者アンケートでは

「家庭で教えられないからありがたい」

という声が圧倒的。

誤った知識のまま、望まぬ妊娠など

性交や妊娠の仕組みはもちろん、お互いの同意、思いやり、など

人権教育としての性教育が必要なのは実際子どもたちと向き合う親たちだ。

それに対し、

「学習指導要領を超え、不適切」

と問題視する都議。

世論を無視した

「教えると返って性交を助長する」??

などという幼稚な考え方こそに人権意識の低さを感じる。

大人が未熟だと、幸せな国の実現はおろか、

国力までにも影響する気がする。

愛や性と向き合ってこそ、社会の繁栄がある。

大人自身が

性のあり方やセクシュアリティを遠ざけ、

忌まわしいとあえて素通りするから

学んでいない。

そうなると当然子供達への教え方や伝え方がわからない。

もはや性教育が必要なのは大人かもしれない。

「性教育」って何?

東京都教育委員会が性教育の実施状況をまとめたという記事を読んだ。

学習指導要領では中学で、

「妊娠の経過(!?)は取り扱わない」=性交については触れない

とある。

「要領にない指導も必要」との回答が半数近くに上り、専門家からは

「避妊や性犯罪などの知識も教えるべきだ」

云々・・・。

さらにアンケート結果が続く。

「生徒は正しい性知識を身につけていると思う」校長のうち52%

「思わない」同47%

「教員は自信を持って性教育をしていると思う」校長のうち51%

「思わない」同49%

「医師ら外部講師の活用が効果的だと思う」同89%

なんだか、新聞を読むのもバカバカしくなった。

生徒の前に、校長や教員がまず性について正しい知識を身につけているのかが甚だ疑問。

アンケートを作る前にそこのところ、まず確認だろう(できないだろうけど)。

事実、外部講師に頼んじゃおうと思っている教員が9割近くもいる。

そもそも、「正しい性知識」って何をもって言っているのか。

年長者だというだけで君たちより知識も経験もある。教えてやろう、という麻痺した奢りをここでも感じてしまう。

性教育・・・行為についてとその行為が悪いことのようなスタンスから出発していることにいつも違和感を感じる。

そもそも、性行為というのは人を好きになり、互いに愛し合った結果あるもの。

子どもたち一人ひとりの存在がかけがえのないもの。

父親と母親が愛し合ったから自分がいる。

ここからをまず伝えるべきではないか。

人を好きになること、そしてそれはとてもいいことで人間として成長するために欠かせないこと。

だけど、経済的にも精神的にも自立する前に妊娠してしまうと様々な不幸が起こる。そんな伝えかたをしてほしいもの。

避妊の意味や必要性が学校できちんと伝えられているのか疑問である。

「こころ」を出発点とする考え方が欠けている限り、学校で取り上げること自体無駄、または有害だと思うのは私だけか。

愛情と無関係なところで話が進むのは避けるべきだと思う。

「科学」として堂々と教えるならばやっぱり「からだ科」が必要。

からだ・・命の誕生から始まるのだから、なぜ自分は存在しているのかということに話題が移るだろう。

その段階で愛や相手を大切に思うことが根底にあり、自分が生まれた。

いやらしさや恥ずかしいことの対極にあることがはっきりする。

両親の愛の賜物としての自分の存在は、大切にされている、愛されているという実感も生み、自尊心を高める効果も抜群。

他人を思いやる教育(学校で行う道徳)にもつながり、教育的効果は果てしない。

知識先行ではなく、こころからスタートすること。

教える側にとっても教えられる側にとっても、それが成熟を意味すると思う。

〜北風と太陽の理論〜

「世界侵略のススメ」

「侵略=国民が幸せになるため、必要なものをゲットしてアメリカに帰る」ムーア氏の侵略先2つ目はフランス。

美食の国のグルメ番組さながらに場面が移ったのは一流レストランの厨房・・と思いきや・・

それは学校のカフェテリアの調理室。

フレンチジャズをバックに色とりどりの食材が映し出される映像からは、美味しそうなフレンチメニューの香りが今にも漂いそう。

給食当番制や、アメリカのスクールカフェテリアのように自分で好きなものを取るのとは違い、シェフが一人ずつに配ります。

アピタイザーから始まったその日のメニューはメインディシュのラム肉のソテーはじめ、チーズとデザートを含め8種類のフルコース。

さすがグルメの国、

フランス食育の文化はさすがです。

職員室で週に一度給食について会議をするほど食の大切さを重んじています。日本でも「食育」が叫ばれて久しいですが、ここフランスでは食事マナーもその中に当たり前に取り入れています。

ムーア氏は給食の時間にコーラを持ち込みます。

コーラ飲む?

「飲まない」と全員。

飲んだことないの?

「な~い」

じゃ試してみて。美味しいよ。

「・・・・」

全員が困った顔。

空気を読んだ女の子、しぶしぶ飲んでみる。

「お い し い・・・」

と明らかに仕方なさそうな返事。

その代わりにフランスの小学校で飲むものは

水 水 水。

もちろんハンバーガーのメニューは皆無。

一番感動したのは、プラステックの皿ではなく陶磁器で料理が配膳されること。

フランス料理をアルマイトやポリプロピレン(古い!?)のさらに盛り付けるという発想はもともとないのだろう。

え?プラスティックじゃないの?

とまたムーア氏。これじゃ割れちゃうよ、とばかりにテーブルにガチャガチャさせてみせる。

「割れますよ。陶磁器です」

今度はガラスのコップをガチャガチャ。

「ガラスです。気をつけて!」

とシェフに怒られる。

子どもたちはやれやれといった面々。

食器やコップは割れるものとして大切に扱うのが当たり前。安全(アルマイトは別の意味で危ないけど)第一で子どもの感性を鈍らせてしまう文化とは違う。ここに、モンテッソーリの考え方「本物を使う」が根付いていること、我が意を得たり!

そして高校生への徹底した性教育。

性の違いや行為についてのうんちくより前に「愛すること」について考えさせながら具体的な教育に入っていくのがフランス流。相手を大切にすることから始まります。

さすが愛と情熱の国です。

人を好きになることは自然な感情。

愛する人には相手の求めるものを与え、してほしいことを伝えるのよ。

と、教員は文字通り愛を持って子どもたちに性について教えています。

ティーンエイジャーの妊娠率は教育の効果により、アメリカの1/2という数字も。

北風と太陽の理論。

イタリアに加え、成熟した社会のあり方に深く感動しました。