〜「みんな同じ」の苦痛〜

食の細かった小学校低学年時代。

給食の時間が嫌いでした。

特に嫌だったのは、時代を思いっきり反映する

脱脂粉乳。

小学2年生ぐらいまで飲まされていた!!覚えがあります。

いや1年生の時だけだったかな、あまりの苦痛にその期間が長く感じられます。

アルミの丸いやかんにたっぷり入っていて、給食当番がアルマイトのカップに均等に!注ぎます。

少しにして・・・

と懇願するも、「みんな同じ」量じゃなキャダメだよ。

とあしらわれ・・。

確か、クラスに1人はいる健康優良児然とした体格のいい子は、

何食わぬ感じでごくごく飲んでいました。

お代わりまでして眩しすぎる!

味覚を疑う余地なしのたくましさ!

しかし尊敬の眼差しというには程遠く、

ショッキングな光景に、幼心にあっけにとられた💧。

その時の気持ちはっきりと覚えています。

ネットサーフの結果、

牛乳給食に移行し始めたのは1958年、完全牛乳給食になったのは1963年

とありますが、杉並区は遅れていたのでしょうか。

私が在学したT小学校は、少なくとも1960年代後半までは脱脂粉乳のミルクだったこと間違いありません。

これほどの負の思い出、忘れたくても忘れられませんから。

これを飲まずに済むにはどうしたらいいか、そればかり。

勉強どころではありません。

だから週末はのびのびしたものでした。

さて、給食は健康優良児だろうが、小柄な子だろうが、

基本は「みんな同じ」量。

基本の量が足りない子はお代わりできます。

それなら基本の量が多すぎる子だっているはず。

そんな子は脱脂粉乳を減らしてと懇願した私の心境と同じで、

少なく盛り付けて欲しいと頼んだところで、

「みんな同じ」と一蹴されるかまたは先生に言いつけられ、食べ終わるまでマークされるか。ここでも平等の名の下に同じを強制されるんですね。

最近では完食を指導されたことがきっかけで不登校や体調不良になった、

というケースがすごい勢いで増えていると新聞で読みました。

担任にわかってもらえない不信感や強要される恐怖などからでしょうか、対人恐怖症になる場合もあるとか。

牛乳を無理やり(怖い!)飲まされたことでPTSDになったり。

転校せざるを得なかったケースも。

さらに完食指導が訴訟に発展した例もあるそうです。

背景には食品ロス削減の考え方が。

しかし、身体や心に傷を負うほどまでにここにこだわる?

何が大切かに思いを巡らす余裕なく、近視眼的になり血眼で「食べろ!」と迫る怖い先生の顔。

不登校にならないほうがおかしいでしょう。

新聞の記事では、

「給食は本来、楽しく食べて、食事の大切さを学ぶ場。強制は絶対にやめて」

との支援団体の訴えを紹介しています。

食べることは生きることの基本。

健康のために偏食をなるべく治す必要はありますが、

それは楽しく美味しく食べながらしか実現しません。

国が進める食育とは・・・

食育は、生きる上での基本であって、知育・徳育・体育の基礎となるものであり、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実現することができる人間を育てることです。食育基本法:農林水産省

この基本法の中に「完食」の言葉は1つも見つかりませんでした。

「健全な食生活」を実現するために、無理やり完食を迫り、身も心も傷を負わせてはシャレですみませんよ!

食育の推進=完食

との勘違い多発!

「みんな同じ」量を食べることに何の意味もありません。

食べることを楽しむこと。

心豊かに暮らす本当の幸せにつがなる気がします。

〜北風と太陽の理論〜

「世界侵略のススメ」

「侵略=国民が幸せになるため、必要なものをゲットしてアメリカに帰る」ムーア氏の侵略先2つ目はフランス。

美食の国のグルメ番組さながらに場面が移ったのは一流レストランの厨房・・と思いきや・・

それは学校のカフェテリアの調理室。

フレンチジャズをバックに色とりどりの食材が映し出される映像からは、美味しそうなフレンチメニューの香りが今にも漂いそう。

給食当番制や、アメリカのスクールカフェテリアのように自分で好きなものを取るのとは違い、シェフが一人ずつに配ります。

アピタイザーから始まったその日のメニューはメインディシュのラム肉のソテーはじめ、チーズとデザートを含め8種類のフルコース。

さすがグルメの国、

フランス食育の文化はさすがです。

職員室で週に一度給食について会議をするほど食の大切さを重んじています。日本でも「食育」が叫ばれて久しいですが、ここフランスでは食事マナーもその中に当たり前に取り入れています。

ムーア氏は給食の時間にコーラを持ち込みます。

コーラ飲む?

「飲まない」と全員。

飲んだことないの?

「な~い」

じゃ試してみて。美味しいよ。

「・・・・」

全員が困った顔。

空気を読んだ女の子、しぶしぶ飲んでみる。

「お い し い・・・」

と明らかに仕方なさそうな返事。

その代わりにフランスの小学校で飲むものは

水 水 水。

もちろんハンバーガーのメニューは皆無。

一番感動したのは、プラステックの皿ではなく陶磁器で料理が配膳されること。

フランス料理をアルマイトやポリプロピレン(古い!?)のさらに盛り付けるという発想はもともとないのだろう。

え?プラスティックじゃないの?

とまたムーア氏。これじゃ割れちゃうよ、とばかりにテーブルにガチャガチャさせてみせる。

「割れますよ。陶磁器です」

今度はガラスのコップをガチャガチャ。

「ガラスです。気をつけて!」

とシェフに怒られる。

子どもたちはやれやれといった面々。

食器やコップは割れるものとして大切に扱うのが当たり前。安全(アルマイトは別の意味で危ないけど)第一で子どもの感性を鈍らせてしまう文化とは違う。ここに、モンテッソーリの考え方「本物を使う」が根付いていること、我が意を得たり!

そして高校生への徹底した性教育。

性の違いや行為についてのうんちくより前に「愛すること」について考えさせながら具体的な教育に入っていくのがフランス流。相手を大切にすることから始まります。

さすが愛と情熱の国です。

人を好きになることは自然な感情。

愛する人には相手の求めるものを与え、してほしいことを伝えるのよ。

と、教員は文字通り愛を持って子どもたちに性について教えています。

ティーンエイジャーの妊娠率は教育の効果により、アメリカの1/2という数字も。

北風と太陽の理論。

イタリアに加え、成熟した社会のあり方に深く感動しました。