つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

~せっかくこの体で生まれてきたから~

ある脳性まひを持つ中学2年生女子の作文~障がい者の人権について~を読む機会がありました。

歩くことは生涯無理と診断されつつも、本人の努力と両親の支えにより、4歳で歩けるようになり、幼稚園、小学校へと進み、今は地域の中学校に通っています。

その中に、

「私は障害者と健常者の境目の立場。

だから様々な人に障がいの事を伝えていかなくてはならないし広めてこそ私なんじゃないのかな。

せっかくこの体で生まれてきたから、少しでも自分に自信を持ちたい」

といった表現があります。

ふと浮かんだのは、

12/28投稿のブログ ~重複障害教育のこれから~で紹介した盲ろう者でありバリアフリー研究者、東京大学教授 福島智さんの高校生の時のスピーチです。

福島さんは、4歳の時に病気のために片目を摘出し、9歳で失明、14歳で片耳が失聴、17歳でもう片方の耳も聞こえなくなり、直後に完全に盲ろうになりました。

スピーチで、

「盲ろうになって失ったものは数知れずあるが、得たものも少なくない」

「これから大学に行くことの本質的な動機は、健常者の中で自分を見つめ直すことにある」

「障がい者でもできる、ではなくて障がい者だからできる、という存在であることを、自分自身に、社会に問いかけ続けたい」

と話しました。

障害者は障害者らしく・・などというとんでもない価値観に出会うことがあります。たまたま障がいなく生まれた健常(と呼ばれる)者のちっぽけな驕りしか感じません。

教育現場であっても、健常者を基準に、健常者に近づこう、障がいを克服しようとすることばかりに重点が置かれているような気がします。

そんな空虚な価値基準を、どこ吹く風とばかりに受け流す毅然とした姿。堂々とした若い二人の懐の深さと洞察力に清々しい思いがします。

思考と想像力を欠いた先入観で行動基準を決める未熟な社会、健常者と呼ばれる者たちが主導権を握る傲慢な世の中に、キラッと光る成熟さを感じさせてくれる彼らこそが、私たちの先生のような気がします。

「せっかくこの体で生まれてきたのだから」

この言葉には、周りへの感謝の気持ちとそれに応えて精一杯自分らしく命を輝かそう、使命を果たそうという思いが込められているように思います。

「だから私はこれからも、笑顔で前向きに、一歩一歩進んでいきたい」

と結んでいます。

なんと爽やかで潔くて気高いのでしょう。

この女の子が、これからも障がい者と呼ばれる人たちの奥深い人間性をどんどん広めていってくれることが楽しみです。