~Smiling With Music~

昨日の福岡立ち上げと明日の九大病院初日のために連泊したなか日の今日、「ライブやるよ」というSHJ福岡のメンバーの誘いに、Gallery & Live Spaceもも庵♪へ。

ライブのタイトルは”Smiling With Music”。SHJ立ち上げの記念祝賀イベントを企画してくれたという嬉しいサプライズです。大好きなスタンダードナンバー”On The Sunny Side of The Street” “ When You’re Smiling”を、ドラム=地区コーディネータ藤原隆幸、ヴォーカル=SHJアーティストますみん、ピアノ=SHJこれから登録アーティスト深町善久、サックス、ギター、ベースのセッションでオープニング演奏。この2曲は、SHJのために選曲した、というMCますみん。嬉しくて嬉しくて感激冷めやまぬうちに、代表挨拶をと促され、SHJの紹介をさせていただきました。

会場にはアーティストとして興味を持ってくれた方もいて、早くも次の病院は・・、などと発展的な話に広がりました。おいおい、まだ九大だって明日がやっと初回だぞ!と思いかけたのもつかの間、福岡の人たちの超前向き姿勢にどんどん背中を押されていい気分、というのが正直なところでした。

しばらく演奏が続くと今度は5本のロウソクが立てられた大きなケーキが運ばれてきました。”Happy Birthday”を演奏、会場皆で歌ってくれるという演出に、涙せずにはいられませんでした。まさか57本のロウソクを立てるわけにはいかないからSHJ誕生5周年にちなんで5本というのも泣かせます。なんと素敵なはからいでしょうか。アートの街福岡にはお洒落な感性が溢れていること、今回の福岡滞在でも浴びるように感じました。

ヴォーカルの智美さん。ハスキーボイスで”It Don’t Mean Nothing”
ヴォーカル古川ゆかりさんのパンチある声は”It’s Ony a Paper Moon”
津軽三味線の飛び入り参加 ドラムとのセッションも

 

 

 

 

アート三昧の一日!

福岡地区開始につき、昨日より滞福中。きのうは福岡市久山にある久山療育園重症児者医療療育センターでスタート。大勢の方たちが広いプレイルームで待っていてくれました。シンガーのますみんこと平川真澄さん&創作フラダンサーの北﨑美和さんのコラボに地区コーディネーター/ドラマーの藤原隆幸さんのカホンが加わり、それはそれは盛大に!ますみんさんの透き通る声に合わせて美和さんのゆったりしたフラの踊り。職員の方も一緒にフラの振り付けの基本を練習したりして楽しい時間もあっという間に過ぎました。たくさんの明るい笑顔が、これからの福岡地区の発展を予感させました。

夜はSHJアーティスト&登録を検討中のミュージシャンたちによるライブへ。スタンダードジャズやボサノバを堪能しました。

このライブハウスがおしゃれ! アーティストの後方にはたくさんの絵画やポスターが施され、よりアーティスティックな雰囲気に。そして天井のさりげないアートがステージに広がる視界を演出しています。入口付近の壁は地中海を思わせる塗り壁の飾り窓が並び・・。音楽とワインが一層美味しく感じられました。

さて明日は九大病院でスタート。またたくさんの子どもたちの笑顔に出会えそう。贅沢な福岡出張です。

〜みんなが幸せになるNPO〜

たった5年でどうしてここまで成長したの?とよく聞かれます。

NPO団体の共通の悩みはボランティアスタッフの定着がなかなか図れないところにあるようですが、SHJの強みはwin win winの運営スタイルにあると思っています。

社会のために活動したい、という気持ちに「自分しかできない技を活かして人に喜びを!」というパッションが現場で活動するアーティストにあります。子どもたちの笑顔を見たらもう止められないといいます。そんな経験を、まわりのアーティストに伝えることによってアーティストボランティアの輪がどんどん広がり、団体の成長に繋がっています。

活動場所の病院・施設職員にとっても緊張の連続のなか、気分転換になるし、痛いことばかりして泣かせている子どもたちが心の底から笑っている様子にホッとするといいます。

Win1  子ども・家族・・・子どもの笑いが家族の笑顔や安堵を誘う→家族の笑顔が子どもを安心させる

Win2  アーティスト・・・独自の技術、アートが人に勇気をもたらす喜び、子どもたちからの学びがある

Win3  医療者・・・その様子に医療スタッフもホッとする、気分転換できる

さらに、

受け入れる病院にとっては、患者のアメニティー向上に金銭的負担がかからないのは大きなメリットです。また、会員、寄付者、スポンサーが季刊のニュースレターによるマメな報告を受けることで支援の行方が見えると大変喜ばれています。(2017年7月現在 個人会員183名、退会率:数パーセント)余談ですが、小児病棟へ入ることは基本的に両親、検査等経て登録した人以外できず、支援者の現場見学が困難なため、ニュースレターでできるだけ頻回に報告をしています。

これら全てが事務局のやりがいにつながっていることは言うまでもありません。関わるスタッフ全てが嬉しい、楽しい、気持ちいい、さらにやりがいがあって学びがある。

SHJに関わることで大きな喜びと学びがあるからみんなが幸せ

 誰も辞めない 周りを巻き込む 仲間がどんどん増える

具体的な日々の運営やアシストは、病院窓口となりアーティストをまとめる核となるコーディネータがそれぞれの地区に配置され、クリエイティブなマネジメントを行っています。全国11カ所に個性的で情熱的なコーディネータが、アーティストと共に活躍しています。病院・施設数の多い地域ではアシスタント制をとっており、各アシスタントが担当の病院での活動をアシストし、付き添いから活動報告書の最終作成提出までを行っています。やっと形になってきたスタイルですが、子どもたちのワクワクがもっともっと増えるように、スタッフがよりハッピーに活動しやすいように柔軟に取り組んでいきます。

〜久米島離島留学制度〜

 

沖縄県久米島町が島ぐるみで行っている「久米島高校魅力化」事業。高校3年間を久米島高校で過ごしながら、将来の夢を見つけ、その実現に向かって挑戦したい生徒を全国から募集しています。町営の教育寮や営塾もあり、生活面でのサポートや補習と受験指導も充実しています。

我が息子も今年4月に入学、都会を離れ多様な価値観の中で将来の進路を模索中。大自然に抱かれ、その雄大さとたくさんの人に支えられていることを体感することで、自ずと自分と向き合う余裕が持てているようです。尊敬する母校中学バスケ部顧問の先生との遠隔相談も忘れず、いろんな人からアドバイスを受けながらいかに自分を高め、将来どう社会に貢献していくのかを考えながら勉学中。悩み多き青春を送っています。ただただぼんやり毎日を生きていた自分の高校時代を思い浮かべると、我が子ながら意識の高さを感じ、誇りに思います。

留学生を支えているのは、行政、学校、寮に加え現地での親代わりとなる身元引受人です。保護者会や学校行事に保護者として参加、週末には家族として一緒に過ごしたり、本人が参考にできそうな地元の情報を提供してくれたりします。初めての土地でも全く不安がないようにサポートしてくれています。島をあげて子どもの育成、教育に熱心に取り組む久米島の温かさを感じます。沖縄の精神、「ゆいまーる」がここにも!ゆいまーるの「ゆい(結い)」は協働のこと、「まーる」は順番に回っていくこと。一人で行うには多大な費用と労力を要する作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の考え方です。この姿勢が生活のあらゆる場面で垣間見ることができ、沖縄の人々の懐の深さを尊敬します。

部活の帰り、毎日癒される夕日(息子がスマホで撮影)。明日もまた頑張ろう!と思うそうです。

来年度生徒募集のため、以下の日程で説明会を開催。

  • 7月22日 15:00~16:30 東京国際フォーラム ガラス棟会議室G402
  • 7月23日 13:00~14:30 TKPガーデンシティ仙台 カンファレンスルーム13C

問い合わせ先:

久米島町企画財政課 電話: 098-985-7122 メール: y-saito@town.kumejima.okinawa.jp

我が家は長女も長男も早くから親の元を離れました。次男、お前もか!と、ちょっと寂しい気もしましたが、あえて自ら大海原へ飛び込む決意をした息子にエールを送る毎日です。子どもの精神的な早期自立は親子いずれの立場にとっても心地よいもの。そばにいたら親は要らないことまで口を挟み、子どもはうるせーな、となりますが、距離を置いて互いを支え合う、そんな関係が上の二人の立派に自立した姿(ここでも親バカ披露、すみません!)に結びつきました。次男もさらにスケール大きく、沖縄と日本の架け橋として将来活躍してくれるような気がしています。

琉球新報発行雑誌「うない」に掲載された久米島高校紹介の記事。息子がインタビューされた時のものです。この制度に興味のある方には参考になると思います。

SHJヒストリー1〜小さな勇士たちとの出会いを生んだ「やっぱり学校で英語を教えたい!」〜

SHJを始めた経緯について個人的なストーリーを綴ってみます。

英語教師になりたい!

子育てが落ち着いた頃、幼児や中高生を対象に家庭教師をしていました。いつの日か、学校で教えたいと思うようになり、教室で大好きな子どもたちに囲まれていたいという下こごろを胸に、大学に入り直し、教員免許取得を目指しました。レポートを書くなどは何年ぶりでしょうか。キラキラ輝く子どもたちの瞳を浮かべては、ウキウキ教科書を読んではペンを握る毎日でした。

挫折の日々・・

しかし、単位があと半分というところで大きな交通事故に遭遇。衝突の瞬間から意識を失い、気付いたのは救命センターで数日過ごしたあとでした。白衣の姿が忙しそうに動き回る中、家族が心配そうに私の名前を呼びながら覗き込んでいるのを見て事の重大さをぼんやりと察知しました。数日生死の境をさまよっていた私の姿はひと回りもふた回りも小さく見えたと聞きました。奇跡的に、そして医師の懸命の治療の甲斐があって回復。その後は数回にわたる手術を伴う長期入院と1年間のリハビリという生活を強いられました。肩の複雑骨折後、ペンを握ることもできなくなりレポート提出もままならず(17年前の当時はまだ手書きのレポートでした)、一度は退学を考えましたが、子どもたちとの学校生活への夢をどうしても諦めきれませんでした。

転んでも夢はあきらめず・・・

なんとか左手でレポートを作成し、ホッとしたのもつかの間。教育実習では、キラキラ輝くはずだった子どもたちの瞳が、40歳過ぎたオバさんがピチピチの大学生と一緒に実習する私への好奇?の目に差し替えられていて、自分の迂闊さを恨む羽目に。針のむしろ?いえいえ、やっぱりこどもは優しいもの。私を気遣ってあれこれ助けてくれたものです。事故の後遺症で右腕が上がらず板書もおぼつかないことを子どもたちは理解してくれ、見にくい文字に、文句一つ言いませんでした。

子どもってなんて素晴らしいんだろう!。教壇に立って教えるつもりが、最初から子ども達の方が私にとって教師となりました。

病院の子どもたちとの出会い

配属された学校は、難病や障がいで長期入院をしている子供達のための病院内学級。この時ほど「運命」を感じたことはありません。この数年間の苦しみを生徒たちに重ね、まるで同志に会いに行くような気持ちで迎えた初日。

しかし、目の前にいたのはただ痛い痛いと横になっていた自分とは正反対の、勇気を持って病気に立ち向かう小さな勇士たち。甘い甘い、あなたがこどもたちから学びなさい、そして自分の経験を生かすように、との使命を突きつけられた気持ちでした。

目の前の子どもたちの打たれ強さや他人に対する深い思いやり、不条理を受け入れる潔さ、そのすべてに魅了され引き込まれていきました。いかに生きるべきか試され、命の尊さを教えられ、彼らから学び続けたい、一緒にいたいと心から願うようになりました。

続く・・