~痛みが教えてくれるもの2~

今週から週2回の通院リハビリ&毎日の自主リハが始まりました。

術後1年間毎日頑張ったリハビリの成果は大きくて、多少のしびれと可動域が左腕よりは狭い、という程度までに回復しました。

最初は指先がやっと動かせるほどの深刻な麻痺だったことを考えると、改めて人間の自己回復力に身を持って感嘆します。

今になって痛みと痺れ、思うように動かせない、という症状が再発したのには、17年間の筋肉の使い方にも問題があったようです。

ずっとかばうようにして使っていた右腕が悲鳴を上げている状態。

これから数十年?子どもたちのために活動を続けていくには、もう一度リハビリを頑張る!と決心。今日もこれから荻窪の整形外科へ。

たかが片腕の軽い麻痺くらいでうろたえていてはいられません。

肢体不自由の子どもたちの中には、絶え間ない痛みの緩和のために神経ブロック(麻酔注射)を常につけていたり、筋肉の緊張をほぐすための大量の薬を投与されていたり。

意識が回復し気づくと背中に神経ブロックの針が常に刺さった状態であったことを考えると、事故の衝撃で上半身の骨がバラバラになってしまった時の痛みに匹敵する痛みが彼らには常にあるのだ、ということ。

自由に動けることをあたり前に生活していると、困難とともに生活する方たちの存在はまるで他人事。

ただ気の毒だ、と。そして次の瞬間、忘れてしまいます。

自分で選んだのではない試練を与えられ、そうでない人と同じ社会の中で生きていくために、どれほどの苦しみや理不尽さと闘いながら過ごしているのだろう。

私たちは自由に動けること、障がいのないことを当たり前と思ってはいけない、たまたまそうなんだ、と思わなくては。

そして試練を背負う方たちやご家族への尊敬の念を持ち、教えを請うくらいの敬いの気持ちを持つ関係を築いていけたら・・・

・・・どんなに優しくて愛に満ちた世の中になるでしょう。

SHJヒストリー20 〜いよいよ設立⁉︎💦〜

設立のちょうど1年前の2011年秋、かつて勤めていた銀行の当時の人事部長T氏から連絡が入りました。

温和で懐の深い、尊敬している元上司です。

東大病院のすぐ近くでコンサルティング会社を経営していて、仕事が引けると本郷三丁目の美味しいおでんやさんに何度か連れて行ってくれました。

今回もおでんで仕事の疲れを吹っ飛ばそうなどとお気楽な私。ところが事務所に行ってみると、おでんよりももっと奥深い私の野望!を知っていたかのような提案が。

当時チェースマンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース銀行)のOBOG会日本支部会長だったT氏は世界各地にいる銀行の退職者と繋がっていて、今回はハンガリーのOBからの連絡を受けて、私に連絡をしてきたとのこと。

私なんぞは、そうそうたる優秀な同期の行員たちの中で、デキの悪さでひときわ浮いていた。公私共に心配かけさせられた私を気に留めてくれるT氏には常に頭がさがる思い。

ハンガリーで退職後弁護士をしているAlbert Royaards氏が始めたSmiling Hospital Foundation in Hungary。病院の子どもたちにアートを届ける活動を周辺国やアジアですでに8カ国に広げている、ぜひ日本でも!と。

誰か適任はいないかとの連絡を受け、趣旨に賛同したT氏は有能な元部下たちに提案するも、なかなか病院と縁がある人が見つからない。多分、苦肉の策で、院内学級で英語教員をしている、おでんをパクパクと食べる元気な元部下に話だけでも、と思ってくれたのだろう。病院に勤務し、英語教員とくればAlbert氏と英語で打ち合わせもできるだろう、と考えたとT氏。

これはまさに私がやりたかったこと!アイデアを形にしなければ始まらない、と思っていた矢先。

今回はその提案を聞いて頭がさがるどころか、思わず抱きついてしまった記憶があります。

お調子ものの私は二つ返事で、

「やります!!!」

だけど、その後地球の裏側から届いたのは、私の熱意に圧倒された、という励まし?の言葉とアイデアだけ。

Albert氏曰く、

「まず一つの病院で隔週で活動するとして、アーティストへの謝金を2回分、ポケットマネーで始められるでしょ。。寄付集めは同時進行で」

無謀なようだが、子育てもほぼ終わった独身貴族の私は教員としての月給が少しずつ貯蓄できるようになってきたタイミング。

すべて見透かされている!!

Albert氏とは、メールでのやり取りのみ。しかも段々と「この人、かなり”いけいけ”の人。3月まではフルタイムで働く私の多忙さにはお構い無しだ」

と半ば呆れてしまった。

しかし快諾したのは私。

T氏も引き気味だったところへ私の返事、さぞ安堵したことだろう。

確かに200%やりたかったことだけど、もうちょっとマイペースでやらせてもらえないかなぁ・・。

しかし、彼からの弾丸のようなメールは英語の勉強にもなったし、同じパッションを感じて、会ったこともないのにいつの日かとても親しい間柄になっていきました。

背中をぐいぐい押してくれるAlbert氏。2年後に来日した時の印象。

やっぱり思った通りの”いけいけ”の、そしてパッションの塊。

意気投合したのは言うまでもありません。

続く・・・。

〜入院しながらNPO活動〜

Facebookで最近出した広告は、10/11ブログ投稿「病室で社会貢献」で紹介した事務局の白髭萌が、入院しながらSHJの仕事をすることにやりがいを感じたことから、このスタイルを広げたい、そして入院生活を充実させてほしい、という願いがはじまりです。

経験者はこの活動を広めることに大きな意義を感じてくれるはず。支援される側、とひとくくりにされるより、闘病しながらできることを一緒にやりませんか。という呼びかけです。

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【事務局ボランティア募集】
病院にいると単調な毎日になりがち。その時間、社会貢献にあてませんか?

病院にいるからこそ、できること。闘病しているからこそ、分かる気持ち。

自分と同じように病と闘うこどもたちの力に!

業務内容
✔︎ブログ更新
✔︎ニュースレター作成 など
入院中でも、お家からでも、社会貢献したい!という方、大歓迎です。
お問い合わせは こちら→info@smilinghpj.org

スマイリングホスピタルジャパンのアーテイストや事務局ボランティアの中にはたくさんの当事者がいます。
 全盲のアーティスト。
 お子さんに心身障がいがある事務局スタッフ。
 肢体不自由のある事務局ボランティア。
 聴覚に困難のある事務局スタッフ。
 難病の治療をしているアーティスト。
 お子さんを難病で亡くしたアシスタント。
 リハビリ入院先から活動に通うアーティスト。
 長期入院をしながら事務局業務に当たるスタッフ。

経験者は、自分の体験から寄り添う気持ちが生まれる。
難病や障がいによる困難を持たない人は、健康に感謝して貢献したい。

社会が悪い、政治が悪い・・ではなく、課題は一人ひとりの生き方の中にこそあります。
健康で自由に動ける人は「たまたま」そうであるだけ。困難とともに日常生活を送る人への敬いの気持ちを忘れず、区別することなく、ともに幸せを求めてより良く生きようとする姿勢がみんなの心の中にあれば・・・。
あとは行動するのみ。

スマイリングホスピタルジャパン、現在、病院で、ご自宅で、事務所にて活動してくださるボランティア募集中!

お問い合わせは こちら→info@smilinghpj.org

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〜子どもがひとりでいる時間〜

1987年に第一子をニューヨーク州の田舎町で出産した次の年、1988年に日本語訳が発行された『子どもが孤独(ひとり)でいる時間』(Children and Solitude 1962 社会学者エリーズ・ホールディング著)との出会いは衝撃的なものでした。

その頃、不慣れな海外勤務のもと緊張の連続に押しつぶされそうな娘の父親に、心の中をさらけ出す勇気はなく、妊娠から出産、生後11ヶ月までの滞米中、心細さをごまかしながら折り合いをつける毎日でした。妊娠中は月に一度の受診以外は母親学級などもなく、出産が近づいた頃にラマーズ法の講習会があるくらい。すべて小さなクリニックで予約制だったから待合室での母親同士の交流もありませんでした。入院は産気づいた12月31日10:10、出産は1月1日12:43、退院は1月3日午前中。このスピードに、なんとかついていくようにして昼間一人の子育てが始まりました。3ヶ月を過ぎた頃から手のかからない娘を車に乗せて、ショッピングモールへ行ってベビー服作りの材料を買い、帰宅すると娘を寝かしつけ、作業に取り掛かる、そんな毎日が、愛する娘と二人きりで楽しかったものです。乳母車を押して散歩すれば、木々に遊ぶリスたちや排水溝の穴から覗いているアライグマの親子に出会ったり。娘とのそんな時間が懐かしい。

バタバタと帰国、知り合いのいない新しい街での子育てが始まり、しばらくして公園デビューするも、すでに出来上がったグループに入れてもらうより、娘は砂場で一人で遊ぶのを好み、室内での一人遊びも大好きでした。

私自身、小さい頃から一人でいるのが好きだったこと・・ちょうどホールディング氏がこの本を著したのがその頃と重なります・・、娘が一人で何かに夢中になっている時の目の輝きに心動かされたこと・・

これらが気づかせたのが、もしかしたら人は一人でいる時に「わたし」を発見して作り上げていくのかも、ということ。

そんな時に見つけたこの本。

「私たちはとにかく集団でいようとする強迫観念に取りつかれています。誰もがみんなから離れていると利己的であるかの如く感じるが故にお互いを集団に引き入れ、一人でいることを恐れるあまり、集団の中に自らを埋没させるのです」

「もし人間が孤独の中に身を置いて、自分の内側で何かが起こることを許さなければ、人間は必ずや精神的に行き詰まってしまうだろう。子どもでも、おとなでも、絶え間なく刺激に身をさらし、外側の世界に反応することに多大のエネルギーを費やしていると、人間は刺激に溺れ、内面生活や、そこから生じる想像力、あるいは創造性の成長を阻止し、萎縮させることになるだろう」

『子どもが孤独(ひとり)でいる時間』(エリーズ・ホールディング著)より抜粋

同じ目的で集まることはとても楽しいけど、一人でいることが続いても特に苦痛でないという自分は、寂しさという感情が乏しい性格なのか、というくらいに捉えていた自分のスタイル。

娘からの気づきとともに、ホールディング氏の意見に大きく頷く自分がいました。

そして今、娘の第一子が私にさらに子どもの素晴らしさを伝えてくれています。

子どもは一人でいる時に「わたし」を発見して作り上げていくとしたら、この感覚が、病室で病と闘っている一人ひとりの子どもたちを愛おしく感じさせる所以かもしれません。

〜SHJヒストリー19 エリーは心配症〜

「エリーは心配症だからメールしたよ」

一度も担任しなかった中学生Kさん。

だけどものづくりが大好きだったから放課後や自立活動の時間に、よくにわか手芸部を作って盛り上がった仲だ。

きっかけは英語の個別授業で意気投合したこと。

小学校高学年から学校へ行ける状態ではなかったから、学習が大幅に遅れてしまって英語もアルファベットからの練習。地道に頑張って単語から、そして基本文の暗記・・・。

そんな二人のペースの授業だったから、ついつい横道それて授業の半分が雑談で終わってしまったり。あんまり勉強が好きでなかったから、「ここまで終わったら早めに切り上げてさっきの話の続きをしよう・・」なんてしょっちゅう。

身の上話やら好きな芸能人の話に持って行くタイミングを見計らいながら単語練習する、気もそぞろの彼女に「集中!集中!」なんて注意しても迫力なし。

それでもそんな企みに、その手には乗らない!

と踏ん張ってみたものの、すっかりその術中にはまってしまったこと数え切れず。

高校受験を意識する頃、志望高校に制服がないことを知った彼女は、女子中学生の憧れ「なんちゃって制服」を着たい、と言い出した。

そういえば娘が着ていたなんちゃって~がクローゼットのどこかに残っていることを思い出し、Kさんのサイズに裾詰めをし、紺のVネックのカーディガンはユニクロのセールで調達。

一教員がこんなことをしてはいけないことを知りつつ、家庭で準備できないことにいつものお節介が顔を出し、秘密裏のうちに彼女の高校デビューの衣装が着々と揃っていった。

ベッドサイドのカーテンレールに吊るして入学式を楽しみにしていたKさん。

彼女の卒業と同時に教員を辞め、気になる生徒たちを一人ひとり思い浮かべる日が続いたが、やはりKさんは一番心配な生徒のひとりだった。

入院中、手を動かして何かを作っている時間はいつも笑顔で饒舌だった、そんなKさんとの時間もSHJへ駆り立てた大切な思い出。

転院などのタイミングのせいで1年間高校へは行けなかった彼女だが、そのあとさらに1年ほど経った頃、

エリーは心配症だから・・と2年ぶりの連絡が来た。

今ね、◯◯高校へ行ってるよ。すっごく楽しい。看護師になる夢、続いてるよ。

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