〜本物のアートを届ける!〜

「患者さんたちに喜んでもらおうとして、子ども向けの音楽を選んで演奏する、というのはどうなのかな?」

とNさん、再び単刀直入に質問をします。

ハープならハープの名曲を聴いてほしい、と。

本物のアートを届けたいSHJの理念にまたピタリ。

「大人ならわかる」という理屈は、少なくとも芸術の感性に関しては当てはまらない、むしろ子どもだから感じることができる、と言えると思います。

よく、子どもにジャズ? ボサノバ?

わかるの~?

という声を聞きます。

これはとんだ先入観。

子どもの心はスポンジのようでそしてとても純粋。

音楽に合わせて自然に体を動かして全身で感じています。

だから素直にいいものはいい。好きなものは好き。

本物がわかるのです。審美眼は大人よりすごい。

だからアーティストたちはいつも容赦ない子どもたちの審査を受けているよう。

子どもたちから学ぶ、成長させてもらうという感覚はここでも納得です。

そんな風に答えると、またまた、

「全く同感。子どもたちに媚びるの、好きじゃないの」と。

せっかくの技があるのに、子どもの好きそうな曲を無理に奏でる必要はない。時に変化を持たせる意味で取り入れるのは面白いかもしれない。

でもそればかりだと、知ってる曲しか興味がない、となってしまいそうで、豊かな感性の持ち主たちには本当にもったいない。広い世界を知る意味でも、素晴らしい音楽をたくさん聴いてほしな。

という私の意見にも、大きく頷いてくれました。

Nさんははっきりとした演奏家としての、パーフォーマーとしての理念を持っている。

聴いてもらう側の心意気を感じます。

〜日本財団 難病の子どもと家族を支えるプログラム〜

医療の進歩により救える命、日々改善される治療。難病に向き合う子どもと家族。

世界に誇れる日本の周産期・新生児医療体制によって救える命が増えると同時に、医療的ケアを日常的に必要とする子どもが増えています。

治療方法が日々改善される一方、病気と向き合いながら生活する子ども、限られた時間を病気と闘いながら過ごす子どももいます。

どのような状況にあっても、子どもは学び、遊び、刺激を受けながら日々成長します。

そして、子どもの家族、兄弟姉妹は、難病の子どもが成長する期待、喜びを感じるとともに、生活環境の変化、不安に向き合いながら生活しています。

私たちは、「難病の子どもと家族を支えるプログラム」を通じて、難病の子どもと家族の社会的孤立を防ぎ、みんながみんなを支える社会を目指します。

日本財団 難病の子どもと家族を支えるプログラム サイトより

日本財団と日本歯科医師会によるTooth Fairy プロジェクトにより、2015年から病棟、施設での芸術活動を助成いただいています。こちらのサイトでスマイリングホスピタルジャパンの活動が紹介されています。

難病の子どもと家族が孤立しない、みんながみんなを支える地域づくりを目指して、在宅生活、入院生活、キャンプ・旅行を支える施設整備・人材育成・調査・啓発事業を行う33の団体、37の事業に助成するプログラムです。これからも全国へネットワークを構築し続けるこの取り組みは、時代の流れ、ニーズに即した画期的なものです。詳しくは、下のサイトで!

日本財団 難病の子どもと家族を支えるプログラム サイト

 

〜褒めること 共感すること〜

 赤ちゃんはウンチしただけで褒められます。

自然現象なのに褒める?

でもこれは周囲の大人の愛情表現。微笑ましい光景です。

トイレトレーニング中に自分でおしっこができた子にも、

「一人でおしっこできて偉いね!」

とつい言いたくなるのが親心。

私もつい嬉しくて褒めたものです。

でも「トイレでおしっこができたこと」

は「えらい」と上から目線で評価されることではないような気がします。

子どもにとっては、

「洋服が濡れなくて気持ちいい」

「お兄さんお姉さんの仲間入り!」

と得意になれる。

親の立場としては、

「子どもの成長がうれしい」

ということでしょう。

トイレに行くまで我慢できて服を汚さずに済んだこと、そして今までできなかったことができるようになって嬉しい気持ちに、「良かったね。嬉しいね」と共感してあげることで十分な気がします。

褒められること、評価されることに価値を置くことに小さい時から慣れてしまうと危険な気がします。

知った人に会って挨拶した後、ぱっと親の顔を見る子どもをたまに見かけます。挨拶できて偉いね、という何気ない言葉が嬉しかった記憶からでしょうか、これは褒められ依存?そんな違和感があります。偉いねと言われたいから挨拶する、無意識のうちに、いいことは褒められるためにする、というような。

モチベーションを人の評価に置くのではなく、自分の行動が、相手を気持ち良くさせるということが分かったら、人にほめられてもほめられなくても、自分で考えて行う姿勢が身につくはずです。

モンテッソーリ女史は、自発性を損ねるからという理由で、本来子どもに賞罰は必要ないという考え方です。

ここにも私がモンテッソーリ女史を尊敬する所以があります。

しかしそうはいっても、褒められるのは誰だった嬉しいものです。それが頑張ってできたことに対する賞賛であれば問題ないですが、やって当たり前のこと〜挨拶など〜に対するものであれば避けるべきでしょう。このくらいのことで親は自分を評価するのかと、かえって期待されていない感を植えつけ、幼心に傷つくかもしれません。

褒めること・・何気ないことですが、なかなか奥深いです。