〜褒めること 共感すること〜

 赤ちゃんはウンチしただけで褒められます。

自然現象なのに褒める?

でもこれは周囲の大人の愛情表現。微笑ましい光景です。

トイレトレーニング中に自分でおしっこができた子にも、

「一人でおしっこできて偉いね!」

とつい言いたくなるのが親心。

私もつい嬉しくて褒めたものです。

でも「トイレでおしっこができたこと」

は「えらい」と上から目線で評価されることではないような気がします。

子どもにとっては、

「洋服が濡れなくて気持ちいい」

「お兄さんお姉さんの仲間入り!」

と得意になれる。

親の立場としては、

「子どもの成長がうれしい」

ということでしょう。

トイレに行くまで我慢できて服を汚さずに済んだこと、そして今までできなかったことができるようになって嬉しい気持ちに、「良かったね。嬉しいね」と共感してあげることで十分な気がします。

褒められること、評価されることに価値を置くことに小さい時から慣れてしまうと危険な気がします。

知った人に会って挨拶した後、ぱっと親の顔を見る子どもをたまに見かけます。挨拶できて偉いね、という何気ない言葉が嬉しかった記憶からでしょうか、これは褒められ依存?そんな違和感があります。偉いねと言われたいから挨拶する、無意識のうちに、いいことは褒められるためにする、というような。

モチベーションを人の評価に置くのではなく、自分の行動が、相手を気持ち良くさせるということが分かったら、人にほめられてもほめられなくても、自分で考えて行う姿勢が身につくはずです。

モンテッソーリ女史は、自発性を損ねるからという理由で、本来子どもに賞罰は必要ないという考え方です。

ここにも私がモンテッソーリ女史を尊敬する所以があります。

しかしそうはいっても、褒められるのは誰だった嬉しいものです。それが頑張ってできたことに対する賞賛であれば問題ないですが、やって当たり前のこと〜挨拶など〜に対するものであれば避けるべきでしょう。このくらいのことで親は自分を評価するのかと、かえって期待されていない感を植えつけ、幼心に傷つくかもしれません。

褒めること・・何気ないことですが、なかなか奥深いです。