
誰かの役にたつためとは限らない。自然界の物事があなたによって「知られること」、そしてそれらをあなたによって他の人に「知られるように」してくれるのを待っているのです。
「共感 育ち合う保育の中でー」
青山学院大学社会情報学部教授佐伯胖氏著
の中でまたまたストン!と腑に落ちるくだりがありました。
抜粋します。
あなたが勉強するのは、あなたが少しぐらい裕福になって、ラクな暮らしができるようになるためなんかじゃない。
世の中にはあなたの助けを待っている人たちがたくさんいるのです。
あなたが何かしてあげることで喜んでくれる人がいるのです。
そういう人たちに目を向けてください。そういう人たちに「何か」をしてあげてください。
そういう人たちはあなたの周囲にいます。
それはあなたに「勉強しろ」とせまる人とは違い、ただあなたが目を向けてくれるのを待っている人たちです。
それは、実は、世界中にいるのです。
私たちはそういう人たちに囲まれ、期待を寄せられ、じっと待たれているのです。
そういう人たちに「共感」することで、私たちは、「学び」に駆り立てられるのです。
これは、あなたが誰かの「役に立つ」ということを意味するとは限りません。
自然界の物事が、あなたによって「知られること」を待っているのです。
そういう世界は、あなたが心を寄せて、「いまだ知られていないこと」を「知られるように」してくれるのを待っているのです。
そういう「知られることを待っている」世界と、親密に対話することで、科学の探究がはじまり、文芸の世界が創出され、「美」が紡ぎ出されるのです。
そういう世界に、「共感」することから、私たちは「学ばないではいられない」衝動に駆り立てられるのです。
はしがき「今こそ、『共感』に目を向けよう」より
「知られることを待っている何か」と共感する・・
教科書に書かれた膨大な情報も、自然界の事象も・・私たちが目を向けるのを待っている・・。
学校でもこんな風に言われていたなら、もっともっと意欲が持てたかもしれない。
学習とは一方的なことではなく、知らないことと仲良くし、共同作業することで、文化や芸術を生み出すことにつながるのですね。
周りのすべてのものが語りかけてくるようです。
愛おしさに心が満たされたような気持ちになりました。