〜SHJヒストリー14〜My Favorite Sensei

サイパン島から治療のために入院、院内学級に転校してきたOくんは中学2年生。

当然、日本語が全くわからないため、英語教員の私が半ば自動的に担任に。

教科学習と言っても教科書は何を使えばいい?検定教科書の英語版があるわけでもない。

しばらく日本で生活するのだからまずは教科より日本語を勉強しよう、ということになりました。

ちょうど親しい友人が日本語教師をしていたので教材をコピーしてもらい、日本語教授法の基本を教えてもらいました。ゲームや遊びの要素を取り入れて楽しくやろうと意気込んではみたものの、改めて日本語の難しさを思い知らされる羽目に。

普段日本語から英語、という思考回路で授業をしていたものを、逆の回路でわかってもらおうとしたときの戸惑い。まずは、日常よく使う単語や挨拶をテーマにしつつ、教材研究の時間に米日日常会話集を作成。

病棟で必要な会話・・体調の伝え方や欲しいものを頼むときの表現を思いつくまま表にして、とにかく覚えてもらうことにしました。そしていよいよ文章作りの段になると、日本語の文法は避けられず、苦労したものです。

単語の並びが、主語以外真逆なために、英語はyesなのかnoなのか、尋ねるのか、否定するのか、肯定するのか、自分のスタンスをまず相手に伝えるけど、日本語は曖昧表現。最後まで聞かないと相手がするのかしないのか、質問しているのかさえ、わからないというのが決定的に違う。

そんな言語の特性と、その土地の文化やものの考え方には深い関係があるよ、なんていつも英語授業で話していること、そのまま話すけど相手は逆の立場。

思いがけない日本語指導に悪戦苦闘が続きました。日本語教師の友人にアドバイスをもらいながらの毎日は、本当に勉強になりました。普段当たり前に使っている母国語、教えようと思ったらいかに難しいか、頭を抱える私、私の拙い教え方に戸惑うOくん、二人して困りながら、笑いながら、心通じ合って仲良くなったなぁ。

余暇にと、ミサンガ作りを提案。せっかく先生が材料を持ってきてくれたのだからと、優しいOくんにかえって気を遣わせてしまった気がします。体調が許さない時は、続きをいつも付き添っていたお兄ちゃんが、「結構面白い!」と言いながら夢中になって作っていました。

治療が進むと髪が抜けてしまい、照れ笑いしながら、

「帽子があるといいんだけど・・。」

気づかずにごめん!ニット帽作るね。

その日は手芸屋に寄ってOくん指定のチャコールグレーの毛糸を買い、次の日は喜ぶOくんの顔を浮かべながらいそいそと病室へ。

嬉しそうな満面の笑顔が今でも忘れられない。

お正月に、

“My favorite Sensei”

と書いてくれた年賀状は、今も大切にしまっている宝物です。

Oくんは母国を再び見ることなく家族と一緒に帰って行きました。

日焼けした褐色の肌にキラキラ光る瞳。その笑顔、今も感じます。

「Sensei、頑張れよ!」

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