つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

石牟礼道子さん・・慈愛の人

私が書店で石牟礼道子氏著 「苦海浄土」を手に取ったのは昨年のこと。

テレビ番組で石牟礼さんの特集をしていて、なんてすごい人なんだろう、と水俣病の重苦しさと相反する氏の清らかな愛の心に感動し、どうしてもこの本を読みたかった。

水俣病患者の声なき声、心の叫びを引き受けた人、石牟礼道子さんが今年2月に亡くなった。

自らパーキンソン病を患いながら、代弁すること、表現することで患者救済に取り組んできた。

4月17日付の東京新聞が、石牟礼さんを送る会についての記事を掲載していた。その中に、

「病に勝ちも負けもせず、そこに立ち続けることで、絶望的な状況でも道が見えることを示した」

という記者の言葉があり、胸を打った。

「苦海浄土 わが水俣病」

なぜ「わが」なのだろう。憎むべき病なのに。

患者の苦しみを自分のものとして語り、患者救済に取り組もうとした時点で、わが取り組むべき水俣病、と呼ぶほどにしっかりと引き受けたのだろう。

今一度手に取ってみる文庫本(第一部から第四部までのうち一部)。

5分の3ほど読み進めたところにブックマークが挟まっている。熊本弁を読むのが辛くなって脱落してしまった自分を、石牟礼さんの生き方を思い、恥じる。

「深い慈愛の念で、制度社会からこぼれるものをすくい取ろうとした」

とは、ともに患者救済に取り組んできた漁師の言葉。

経済優先の豊かさを追求し、生命をないがしろにした末の水俣病。

「苦海浄土 第一部」には昭和28年に最初の患者が出てから庶民が不知火海の産物を口にしたところから奇病が次々に発生し、その苦しみの情景から遺族の闘い、水俣病対策市民会議、チッソ社長の遺族慰問に立ち会う場面に至るまで綴られている。

環境汚染によって真っ先に被害を受けるのは自然の中で自然とともに生きる人、そして胎児、幼児、老人、病人。戦後の復興や経済発展のために、人権や弱者の命は軽視されてきた。

このような不条理を、石牟礼さんは深い慈愛を込めて綴った。

遺された者が読み継いでいくべく、著書として残してくれた石牟礼さん。深い愛情と優しさの上にある正義感を感じ、改めて深く尊敬する。