病気があっても障がいがあっても子供の可能性を信じる

管理され、いつも受け身の存在として主体となることが少ない教育現場。

「子どもの主体性を大切に」

といった理念を掲げても

細かく系統的に配列された教育課程をこなすのに精一杯、

という先生も多いのではないかと思います。

トータルな成長を目指して子どもの自発性を重んじようとすれば

大変苦しい授業づくりになりそう。

特に病弱や肢体不自由児に対しては

・制限のある入院生活や痛みを伴う処置

・予測しにくい状況

・「どうせ無理」「できないだろう」という周囲の目

・「守られるべき存在」という概念

などのために、子ども自身が主役と感じにくい状況となります。

そうなるとますます「 子どもの主体性」が発揮されにくい状況を作ります。

教育とは施すものではなく

「自分を知り主体的に生きるための手伝い」と私は捉えます。

大人からの押し付けでは自立した人間にはならないと。

教育課程が単にめやすという立場をとり、

そに縛られることなく教師の自由な裁量が生かされる現場であったらなあと思います。

何をどれだけ学習(受身的に?)できたか

に価値をおかず、

どのように学習するか、

つまり学習活動を通して自己肯定感を培い

前向きに生活する自立心を身に着ける方が

「今日は~~の勉強をしました」という事実よりも

何倍も意味のあることのように思うのです。

生きる力になるでしょう。

教師は子どもが主体的に学習する環境を作り、

主体性への手伝いをするというイメージです。

子どもは、

「自発的にできた」

「自分で課題を選ぶことで目標を自ら設定することができた」

「自分で決めたから最後まで頑張れた」

という実感を持ち

尊重された

できた

自分が主役だ

頑張れたことを周囲も喜んでいる

といった達成感や自尊心を持つことができます。

子どもへの向き合い方として、

子どもたちがいったい

授業の内容を楽しんでいるのか

自発的活動という実感を持てているのか

学びが喜びに繋がっているのか

を常に意識に留めることにより

学び学び合うといった

対等で活発な空気が教室に、

学習現場に流れるように思います。

子どもが病気や治療などの苦痛を体験し、

障がいとともに生きようとし

子どもなりにそれを乗り越えていくことは、

子どもにとってこれからの力になるばかりでなく

周囲の大人や子どもに学びや成長をもたらしてくれます。

健常と呼ばれる人たちはこのことにまず気づき、

敬意を払なくてはなりません。

それぞれ一人の人間として尊重し合うために。