3/5づけ東京新聞朝刊のコラムを読んで大きくうなづいてしまった。
→編集局 南端日誌 「一斉休校要請で国の対応『完全自習の無責任』」(特防部デスク)
休校に伴う家庭学習課題をめぐる記者と小学4年生のため息交じりの会話が紹介されている。
息子:
「これを自分でやっといてね、っていうならそもそも学校いらなくない?」
記者:
「先生にどう指示されたの?」
息子:
「教科書を見ながら問題を解いて、わからなかったらインターネットでも見て補足してね、と言われた」
記者は非常に無責任な子どもへの丸投げだと。
そこで文科省の方針をHPで調べると
「学習に遅れが生じることが予想されることについては、可能な限り家庭学習を適切に課すなど配慮いただきたい」
とした上で工夫の例として
・教科書を再読して感想文を書く
・教科書の反復問題を解いたりする
が挙げられていたという。
未学習の内容を自分でというわけにはいかないから当然復習ばかり。
3週間の未修分どうする?
もしかして今年は夏休み返上か?
悲観的観測もちらほら・・らしい。
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とにかく今はプリントやっとけ!
とプリントの山を家庭に、子どもに丸投げの状態。
現場としては
授業をやっちゃダメ、と言われれば仕方ないのかもしれない。
しかし、ここで思うのです。
そもそも、学ぶということってどういうことだろう、と。
学校教育が
~年生はここまでやらないと
と知識を身につけることに追われ
「知識を覚えること」
「~年生でやるべき計算ができるようになること」
を学ぶことの価値や本質としているから
今回のような場合、
家庭学習をプリントにして丸投げせざるを得なくなるのではと。
家庭も否応なしに一つの価値観に追い立てられてしまう。
少なくとも
それらが今の学校教育だとして
環境が全く違うのに学校でやることをそのまま家庭で・・
というのは無理な押し付けに思えるのです。
そもそも突然の一斉休校という
備えのない要請に多くの自治体が従ったことを残念に思います。
が、それを選んだならば
大変だ!
プリント作らなければ!
と近視眼的になるのではなく
もっとおおらかに
こんな事態だからできること
例えば
ちょっと気になってことをとことん考えたり
興味関心から自分のテーマを決めて
じっくり調べたり
実験してみたり
そんな時間にしてください、
となればいいなあ
と思うのです。
”放っておけばゲームばかりしている”
と子どもを頭っから信用しない大人の態度が
子どもの創造性を否定し
心の世界を潰してしまうのではないかな。
目下の我が家、
2年生の孫とのんびり過ごしています。
なんとプリントは1枚も出さないという学校の方針に
拍子抜けするやら感心するやら。
1年生からの復習をしながら
どんな風に答えを出してるの?
へ~、そんな考え方があるんだね~。
と孫の考えを聞くのが楽しい
非日常になっています。