娘に第4子が誕生した。
6月に生まれた孫には
不思議なちからがある。
医師から赤ちゃんの病気が家族に告げられたそのときも
本人は何も知らずに母親の胎内の
羊水の中で元気に泳ぎ回ってた。
それだけでもけなげで愛おしい。
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担当医師から
病気を告げらたとき
母親も父親も
我が子がどんな状態であるかにかかわらず
いのちの重みは同じだと
静かに現実を受け入れたかもしれないし
またはふたりとも医療者だからと
冷静ではいられなかったかもしれない。
生まれ来る赤ちゃんの病状がどんなで
これからの治療はどう進むのか
医師から説明を受けたあと
それを上のきょうだいたちに
いつ、どんなふうに伝えたのだろう。
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きょうだいは
上から
13歳
11歳
9歳
もうみんな大きいから
両親は迷わず全てを伝えただろう。
かと言って
みんな実感も湧かず現実がつかめたかどうかわからない。
3人とも大きくなったとはいえ
”いのち”についてとまどい
初めていのちの重さやかけがえのなさを
感じたのかもしれない。
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娘が臨月に入ったころ
2番目の6年生女子は
ちょうど修学旅行と重なった。
旅先でママにお守りを買い
渡しながら一緒に泣いたという。
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3番目の4年生は
真っ先にはなちゃん!
と名前の提案をしたし
(結局これは却下された^^;が漢字の「花」は採用へ^^)
一番上の中学2年生は・・・
心優しい彼は思春期真っ只中だけあって
言葉少なではあれど
自分にできることは何だろう
と思いやりの気持ちを温めていたことだろう。
それは今、彼が新しい妹を思いっきり可愛がっている様子でわかる。
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病院では
医療と家族が揃ってママと赤ちゃんを応援できるよう
温かな支援があって
娘は気持ちを落ち着かせることができたようだ。
日を置かず通院しなければならなくなると
自宅から病院は遠いので
病院近くの家族滞在施設に宿泊していたママ。
家族は心細くて
ママと赤ちゃんが心配で・・・
不安なきもちの折り合いをどのようにつけていただろう。
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赤ちゃんは産まれるとすぐに
NICU新生児集中治療室に入院し
3日目に1回目の手術を受けることになった。
NICUは両親と祖父母までしか入棟できないが
特別に、きょうだいも術前のエールを
妹に送るために入ることを許された。
医療機器に囲まれて
鼻には酸素を送る管が
身体のあちこちにはモニターへ繋がる管がとりつけられ
ベッドボックスと呼ばれる酸素を送る透明のカバーを
頭から胸まですっぽりかぶせられた小さな妹を
どんな気持ちで見つめていただろうと思うとせつなくなる。
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まもなく2回目の手術。
予後は2週間ほどHCUハイケアユニットに入院し
ママは毎日搾乳して面会に行っていた。
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そして退院。
今はみんなのアイドルだ。
学校から帰るとまず
「ただいま!⚪︎⚪︎ちゃ〜ん!」
と飛んでいく。
そしてほっぺにちゅーを浴びせる。
「先に手を洗って!」
と何度注意されても
ちっちゃな愛しの妹に
何はさておき引き寄せられるお兄ちゃんお姉ちゃんだ。
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当の本人、退院していきなりの
にぎやかさと刺激のせいか表情も豊かでよく笑う。
おばあちゃんの私はもちろん
きょうだいたちは何時間見ていても
どんなに長く抱っこしていても
もっともっとこうしていたいと思う。
赤ちゃんのもぞもぞと動く様子や
寝返りに挑戦する姿、
自分の手を発見して
珍しそうに眺めるキラキラの瞳、
音の出るおもちゃで遊ぶぷくぷくのおててと
真剣な顔、
おっぱいが欲しくなってぐずるのも
可愛いくてしょうがなくて
飽きることなくずっとそばにいる。
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おばあちゃんの私は
新しいいのちがみんなを巻き込み
家族が1つになる様子を見るにつけ、
小さな小さな身体で
病気と闘っているこの子の偉大さ!すら覚え
可愛いくて愛おしくてたまらない。
そして
命と向き合う我が子を思う母親の
家族の、きょうだいの気持ちが
わかる、というのとは違う、
肌で感じる、という感じ。
そばにいられない時も、頭の中は
赤ちゃんと彼女を囲むきょうだいたちのことばっかり。
家族の様相が
子どもたちが大きくなって
なんとなくそれぞれに忙しく生活するフェーズに入っていた。
そんなタイミングで彼女が生まれ、
けなげに闘病する姿がみんなを魅了し
再び家族をひとつにし
たくさんの笑顔を運んできた。
”生”の偉大さと感動を
赤ちゃんが身を以て
まわりに振り撒いてくれている気がしてならない。
