病と向き合いながら幸せを振り撒く孫の誕生をきっかけに・・・
やっとブログを再開しようという気になった。
そもそも1年ほど前から「書く」、
という作業がだんだんとおっくうになり
毎日から週に2〜3回
そして1週間に一度から10日に一度に
そしてついに筆を置いた。
本を出す
というもともとの目的を達成して燃え尽きた、とは違う。
書くことが好きだったから。
しかし歳を重ねるうちに
いろんなことに
手が回らなくなったのは事実で
ブログもその
”いろんなこと”
の上位に位置するようになったのだ。
*****
ひとつ言い訳がある。
いったんおやすみしようと思った言い訳が。
それは思いもよらなかった出来事。
思いもよらないことは誰にでも起こるもの。
一分一秒さきのことなど誰もしらないし、
予測もできない。
だからこそ、
どんな状況にあるひとにとっても
時間は平等に与えられている
という持論を繰り広げてきた⁈つもりなのに。
🌱 🌱 🌱 🌱 🌱
5人目の孫が6月に生まれた。
目のまんまるい美人さん。
出産を3ヶ月ほどさきに控えた3月ごろ、
いや、娘は心配をかけないよう
話すのを先延ばしにしていたとしたらもっと前、
胎児に先天性の疾患が見つかった。
娘は医療者、しかも大学病院の
周産期医療センターで助産師をしていること、
もともとどっしりした性格であることが理由だろう、
赤ちゃんが病気を持ちながら生まれることは
それほどショックではなかったようだ。
しかし身重ななか、治療に関して
これまた医療者である夫と
意見が分かれるという事態に見舞われた。
そんな中で予定日よりずっと早くに管理入院。
あんなに気丈な娘が涙を流した。
どちらの選択も命に関わる。
娘の気持ちを思えば思うほどやるせなく、
独立した家族のなかにいる娘を
距離を置いてしか支えられないことが
どうにも落ち着かず
身の置き場がみつからなかった。
できることは何でもしたい
でもかえって余計なことになり負担を
増やすことになるのは本望ではない。
どうどう巡りのなか
辛い状況の娘の母親として
不甲斐なさを痛感して悶々とする日が続いた。
幸い、医療スタッフのサポートを受けて
夫婦はこれからにむけた思いをひとつにすることができた。
そしてきょうだい3人も
ママと赤ちゃんを応援し
ばらばらになりかけた家族がひとつになった。
そして誕生し
生後3日目に手術
ひとりぼっちでNICU(新生児集中治療室)にひと月半の入院。
退院してひと月経って再入院、手術、
娘は搾乳して毎日病院に届けていた。
今は退院してお家で過ごしているが
これからも段階的に大きな手術を受けることになっている。
🌿 🌿 🌿 🌿 🌿
小さな身体で頑張る様子を見るにつけ、
会えないときは娘が送ってくる動画をみながら、
また今この時も彼女は頑張っていることを思うにつけ、
そのけなげさが
涙が出るほどいじらしくて
可愛いくてせつなくて・・・
いっぱいいっぱいになってしまい
最小限のやるべきこと以外のためのエネルギーは尽きてしまった。
気弱な使えないおばあちゃん誕生。
というのが
これまでのブログ空白の間に起こったこと。
そしてブログをサボった言い訳。
思うことはあふれるほどあるのに文字にしたくなかった。
🍀 🍀 🍀 🍀 🍀
それにしても子どもとは
どれほど周りに生きる力や喜びを与えてくれる存在なのか。
頑張る孫を思いながらそのうち
この子は命がけで
勇気と幸せを振り撒くために
生まれてきた!
と断言するようになった。
娘とこの子のためなら何でもできる、
必要なら真夜中でもとんでゆく!という覚悟が私を強くしてくれた。
さあてそのためなら
ばあばは元気で長生きしなくちゃ、と
すっかり前向きな気持ちになり
なぜか幸福感に満たされたのだ。
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思えばこれほど誰かを愛おしいと思ったのは初めてだ。
教員時代から団体を設立運営する今まで
入院する我が子を思う家族の気持ちを
100%わかることはできないことに
実は耐えられなかったけれど
娘と孫が身をもって実感を与えてくれたのだ。
気弱な私の背中を
強く強く押してくれた、
と言っていい。
というわけで
週に一度または数回、
日々自分のこころのなかで起こることを
等身大で(今までもそうだったけど)
さらにカジュアルに
さらっと書けたらと思う。
家族に降りかかった試練に
一丸となって立ち向かう娘家族の姿をみて
ほんらいの家族のありかたを
見せてもらった。
そして願うことは絶対にそうなる、と言い切って
ネガティブな言葉は傍に捨てることにした。
家族とは、生きるとは・・・。
私も思うことを再びしたためてみよう
と前をむく元気をもらった。
またお付き合い
よろしくお願い申し上げます。
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