SHJヒストリー34〜そして沖縄へ!〜

2012年5月に神奈川ではじまり、その後、東京、宮城、京都、大阪で。

さらに北海道、静岡、愛知、広島、兵庫、福岡へと広がったSHJ。

今年は茨城、そしてついに国内最南端の沖縄地区が宮古島で設立となりました。

宮古新報による沖縄地区設立紹介の記事 アーティストのコメントが最高です。中央は地区コーディネータの神原夫妻。

活動する病院、施設の数は現在合わせて44。登録方法、活動の形態や報告の仕方はそれぞれがちがっていて、各地区のコーディネータが工夫して運営しています。雰囲気や患者さんたちへの向き合い方もそれぞれで、戸惑いながらも勉強になります。

病棟に入ることができるのは基本保護者のみだから、病院と団体がいかに信頼関係を築くかというのも大きな鍵。

個人でボランティアをさせてください、と言ってもなかなか入れないのはそのためで、「まずはスマイリングホスピタルジャパンに登録してください」と案内してくれる病院もあったり。

そんなこんなで、現在活動しているアーティストは130を超えました。

たった6年弱でどうやってここまで広げたの?

とよく聞かれるけれど、はじめた張本人としても、

自然と・・。

としか言いようがないくらい、無理してアーティストを誘ったわけでも病院に営業したわけでもない。

この団体を設立に駆り立てた何かが、いざ活動が始まると勢いを増した、という感じ。それもやっぱりごく自然と。

趣旨に賛同する人が後を絶たない草の根の支えが基本にあります。

そして支援してくれる団体や企業も。

そんな方達に見守られ続けることで継続発展がある。

実際の活動は、地区をまとめるコーディネータのちから、そしてアシスタントの存在がなくては全く無理。

その上で、アーティストがアーティストを呼び、アーティスト一人ひとりの素晴らしいプログラムが実績となり活動場所が増えました。

もちろん紆余曲折はありました。

残念ながら撤退した病院や地区もあり、わずかながらアーティストやコーディネータを辞めた人も。苦い思い出も悔しい無理解も屈辱も、そして理不尽な思いもすべて糧にできたかな、と今だから言える。

困難と向き合う子どもたちに教えてもらったたくさんのことは、かけがえのない宝もの。

それさえあれば、転んでも転んでも前を向いていけそうな気がします。

これから出会う子どもたちやお母さんたちからも、心ふるえるような感動や気づきをいただきながら、今後スマイリングホスピタルジャパンがどんな風に成長していくのか、ワクワクします。

さらに高め合える人がもっと増えたら未来はさらに輝くにちがいない。

スマイリングをもっと盛り上げながら自らも成長したいと思う人、こんなやり方どう?とアドバイスしてくれる人をどんどん巻き込みたい。

全国に広がった今、改めて関わってくださる方達へ感謝し、草の根の活動を大切に、そして開かれたNPOでありたいと思います。

Smiling Hospital Japan Official Website

〜宮古島ランディング〜

宮古の青い空と海。

降り立つなり迎えてくれたのはムッとする湿気と島ならではの強い風、そしてSatokoさんの笑顔。

南国に来たんだな、いよいよ沖縄でスタートできる期待を胸に、まずは伊良部島の海岸へ。

関西出身のSatokoさんが宮古にたどり着き愛し、第二の故郷と呼んでいるわけに耳を傾けながら、私もこれから出会う土地の人たちからその魅力をうんと教えてもらうことになりそうな予感。

チャリティコンサート会場は何度か寄付をいただいている

「ボランティアサークル結」で。

Satokoさんのコンサートは全てオリジナルのボサノバ。

「宮古の風」はいつ聴いても心を動かされます。

続くは子どもたちによる沖縄民謡。

子どもたちの習い事としてとても人気がある三線。

沖縄は伝統芸能がしっかりと受け継がれる土壌があること、ここにも琉球の底力を感じました。

生き生きとした彼女たちの笑顔に、土地の伝統、習慣を大切にする心意気を感じ、合理化、画一化された社会の中で、とても貴重な生き方を見せつけられた気がしました。

沖縄地区のコーディネータとこの会場で会うことができました。

初めて会ったとは思えずはやくも意気投合、新しい地でのこれからがますます楽しみになりました。

最後はもちろん、全員カチャーシーで決まり!