〜奇跡が奇跡でなくなるとき2〜

前回は椅子という、普段何気なく使っているものが、

個別に適切な形で存在することで

思いもよらない奇跡と思えるようなことが

起こることを綴りました。

世の中には「もの」が溢れているのにもかかわらず、

全てと言っていいほど、思うがままに動ける人が基準に作られています。

実存する「もの」に「人間が」合わせて生活しているという感じ。

だから生活に特段不自由を感じない人は大量生産された既製品を使い、

時には自分なりに工夫を加えてより便利な方法を考えたりします。

しかし、脳性麻痺など自分の思うように身体が動かせない方にとって

世の中に存在するものがいかに尊大であるかを

昨日のドキュメンタリー

一滴の向こう側ー人生を変える魔法のイスー」を通して実感しました。

一人一人に寄り添うことで

今まで諦めていたようなことが実現できる・・

「奇跡」と言ってしまうと

あまりにも実現不可能なこと、

夢のようなことが叶った

といった感じで。

まるで実現するのは現実離れしているみたいに聞こえます。

以前、

「奇跡が奇跡でなくなる時」

というテーマで綴ったことがあります。

5/11投稿→「~奇跡が奇跡でなくなる時~

この時に奇跡を生んだのは、

友達の温かな友情や

学校でよく聞いた大好きな曲。

意識を失っていたはずのMさんが涙を流したのです。

それからは一気に回復へと向かい、自発呼吸も可能になりました。

「奇跡ですね」

とは医師の言葉。

   奇跡が起きた

といえば美しい響きですが、

やはり現実離れしたこと、

専門家でもお手上げのこと、

専門家でさえ実現できなかったことが

たまたま実現した。

そんなニュアンス。

だからもう「奇跡」で片付けない、

「奇跡」とは呼ばせない。

当事者や家族の心からの願いに変わったと確信します。

・・・友達さえできないと思っていた自分が恥ずかしいと言ったお母さん・・・

・・・不随意運動が極端に激しい脳性麻痺でありながら、無理だと思っていたパラグライダーの夢を叶えた少年・・・

「奇跡」と呼んでしまったらそこで止まってしまう。

奇跡が奇跡でなくなる時は必ずやってくる。

それは、

一人一人が自分ごととして

他人の苦しみや不自由さに寄り添い

行動することで・・・。

気づいていながら何もしないのは気づかないことよりも悪い・・・

とにかく、

  「まず動く」

明日から始まる一年も、心がけていきたいと思います。