「国をつくるという仕事」著者西水美恵子さんの想いに触れて📗

前回、英治出版イベントにて

世界銀行副総裁として途上国のために現場主義を貫き

貧困削減や開発支援を目ざし

本質を見抜き人々を救うために必要と思ったことに向き合い

権威に立ち向かった西水美恵子さんの生き方に触れ

大きく心を動かされたこと

勇気をたくさんいただいたことを綴りました。

そして

西水さんの

「いつの時代も変革は行政でなく草の根から起こる。

ほんの一か所を輝かせることで道はおのずと拓ける」

という言葉に

自分が信念を持って

しかし地味に地道に取り組むそのありように

太鼓判を押してもらったような

大きな励みをいただいたことを綴りました。

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そんな西水さんの著書

「国をつくるという仕事」を読む時間は

こんな風に生きられたら、

という思いの連続です。

そんななか

まず

「はじめに」

に書かれていることが

しょっぱなから自分の体験に重なり

胸が高鳴りました。

西水さんがアメリカの大学で教鞭を取っていた頃

その年の夏から始まる1年間の研究休暇を

世界銀行の研究員として過ごさないか

と誘いを受け

カイロで現場を体験した時のこと。

路地で看護に疲れていた母親から抱きとった幼女が

極悪な衛生環境のため下痢を起こし脱水症状が進み

医療が間に合わず

そのまま息を引き取った・・・。

西水さんは

カイロという大都会を重ねました。

最先端をいく技術と優秀な才能と

膨大な富が溢れる都会。

しかし西水さんの腕の中には命尽きた幼女がいる・・・。

悪統治に”脊髄に火がついたような”怒りを感じ

そのまま世銀に残る決意をしたそうです。

幼女の死を無駄にしたくないと。

その後世銀での仕事は

このナディアという幼女が尺度になった

と書かれていました。

何をしてもナディアに問うのが習慣になったと。

「生きていたら喜んでくれるかしら。

あなたを幸せにできるかしら・・・」

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現在執筆中の原稿に、

院内学級で初めて担任した少年に

何もできないまま

悲し別れが訪れ

自分の無力さに腹が立った。

その後

病と闘う生徒たちのためにすべきこと

闘病中に楽しい時間を作るにはどんなことがしたいか

「キミだったら」

といつも少年に問い、

彼はいつも耳元で囁いて教えてくれた

というくだりがあります。

もちろん、最先端の医療現場ですから

すべき医療はすべて行い

医師たちは可能な限りの努力をしたけれど

残念ながら治療の甲斐がなかったのです。

私の怒りは自分に向けて、

そして幼い子どもが重い病気に罹り

命を失うという不条理に向けたものでした。

その後、私も西水さんがナディアにそうしたように

少年に

「キミなら何がしたい?」

と自然に問う日々でした。

まさに少年との出会いと

関わった数週間が

その後入院する子どもたちとの生活の指針になったのです。

教員になってわずか1ヶ月後にもたらされたショックは

今後この現場で

少年からもらった課題に向き合っていくのだという使命に変わり

熟成され

結果が今の活動に繋がっています。

西水さんとの対話の中で得た勇気が

著書を読み進めるほどに

りんりんとその熱量を増しています。

「国をつくるという仕事」英治出版