💖つむちゃんはモテモテ

小さい子どもが言葉の意味を獲得する過程で、間違った使い方や珍問答で周りを爆笑させることがよくある。我が家にはダジャレを生きがいとするじいじがいるからさらに混乱を招く。

それでも来年小学生の孫はじいじのダジャレが大好き。言葉遊びができるようになってきた孫は、目下じいじのダジャレ一番の理解者。

さて、ある日の会話。

つむちゃんね男の子にモテるんだよ。

お兄ちゃんがそう言って妹の人気ぶりを教えてくれました。

妹のつむちゃん、3歳。

肌が浅黒く、目が大きくて運動神経がやたらに良い、登れるところがあったら何処へでも登っていく、捕まるところがあればどこでも捕まって体をひょい!と回転させる。

自分の小さい頃を見ているよう。

でも3歳にしてモテはしなかったから、時代が変わると昔スルーされていたものも、そのうち日の目を見ることもあることが証明された。

へえ~つむちゃん、モテるんだ。

そう言われてくねくね照れながら、まんざらでもないそぶり。

媚びているわけでもないはずなのに、3歳にして女子!

つむちゃんの一挙手一投足、話し方にじいじもイチコロ。

なるほど、この子は今で言う「女子力が高い」。

ピンク好き、フリル好き、おしゃまな仕草を見ているとなるほどな、と思う。

母親は媚びる女は大嫌い!というタイプだから、つむがくねくねしていると、また始まった、と呆れ顔。

それでいてつむちゃん、きっぱりとした意志の強さを兼ね備えた、芯の強いしっかり者でもある。

そんなわけで、どれくらいモテるのか、つむちゃんに聞いてみる。

私に聞かないでよ~という感じでくねくね。

じゃあ、お兄ちゃんに聞こう。

お兄ちゃんと同じ保育園だからお兄ちゃんのお友達がつむちゃんのこと取り合ってるのかな。

お兄ちゃんはすました顔で、

そう、つむ男の子持てるんだよ。

・・・・・・・

なんと、全くの誤解であった。

つむちゃんは男の子を抱っこできるそうだ。

もっとも最近では男勝りな女子もモテるみたいだよ、つむちゃん。

〜SHJヒストリー14〜My Favorite Sensei

サイパン島から治療のために入院、院内学級に転校してきたOくんは中学2年生。

当然、日本語が全くわからないため、英語教員の私が半ば自動的に担任に。

教科学習と言っても教科書は何を使えばいい?検定教科書の英語版があるわけでもない。

しばらく日本で生活するのだからまずは教科より日本語を勉強しよう、ということになりました。

ちょうど親しい友人が日本語教師をしていたので教材をコピーしてもらい、日本語教授法の基本を教えてもらいました。ゲームや遊びの要素を取り入れて楽しくやろうと意気込んではみたものの、改めて日本語の難しさを思い知らされる羽目に。

普段日本語から英語、という思考回路で授業をしていたものを、逆の回路でわかってもらおうとしたときの戸惑い。まずは、日常よく使う単語や挨拶をテーマにしつつ、教材研究の時間に米日日常会話集を作成。

病棟で必要な会話・・体調の伝え方や欲しいものを頼むときの表現を思いつくまま表にして、とにかく覚えてもらうことにしました。そしていよいよ文章作りの段になると、日本語の文法は避けられず、苦労したものです。

単語の並びが、主語以外真逆なために、英語はyesなのかnoなのか、尋ねるのか、否定するのか、肯定するのか、自分のスタンスをまず相手に伝えるけど、日本語は曖昧表現。最後まで聞かないと相手がするのかしないのか、質問しているのかさえ、わからないというのが決定的に違う。

そんな言語の特性と、その土地の文化やものの考え方には深い関係があるよ、なんていつも英語授業で話していること、そのまま話すけど相手は逆の立場。

思いがけない日本語指導に悪戦苦闘が続きました。日本語教師の友人にアドバイスをもらいながらの毎日は、本当に勉強になりました。普段当たり前に使っている母国語、教えようと思ったらいかに難しいか、頭を抱える私、私の拙い教え方に戸惑うOくん、二人して困りながら、笑いながら、心通じ合って仲良くなったなぁ。

余暇にと、ミサンガ作りを提案。せっかく先生が材料を持ってきてくれたのだからと、優しいOくんにかえって気を遣わせてしまった気がします。体調が許さない時は、続きをいつも付き添っていたお兄ちゃんが、「結構面白い!」と言いながら夢中になって作っていました。

治療が進むと髪が抜けてしまい、照れ笑いしながら、

「帽子があるといいんだけど・・。」

気づかずにごめん!ニット帽作るね。

その日は手芸屋に寄ってOくん指定のチャコールグレーの毛糸を買い、次の日は喜ぶOくんの顔を浮かべながらいそいそと病室へ。

嬉しそうな満面の笑顔が今でも忘れられない。

お正月に、

“My favorite Sensei”

と書いてくれた年賀状は、今も大切にしまっている宝物です。

Oくんは母国を再び見ることなく家族と一緒に帰って行きました。

日焼けした褐色の肌にキラキラ光る瞳。その笑顔、今も感じます。

「Sensei、頑張れよ!」

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〜SHJヒストリー12 入院期間が短いと院内学級に入れない!?〜

〜入院期間が短いと院内学級に入れない⁉︎〜

院内学級に入るためにはもといた学校から転校、学籍を異動する必要があります。私が2012年3月末までいた院内学級では、医師の治療計画の入院期間がひと月以上であることが、転入の条件でした。

仮に入院が10日間と予定されていても長引く可能性は十分あります。じっさいに2週間の予定だからと学籍は異動できずその間ベッド上で自習、さらに退院が延びて2ヶ月近く入院していた中学生、Mさんがいました。結果、2ヶ月間学校教育が受けられませんでした。この生徒は入退院を繰り返していて、同じようなことが以前にもあったことから、

それじゃ結果的に入院期間がズルズル長引いたら院内学級には入れずじまいで学習の保障がないってことですか!しかも前例がある。予定は未定だってこと分かってるじゃないですか! 

などと朝会で吠え、いや~な雰囲気を作ってしまったことがありました。

学校での学習を強く望んでいたMさん。

決まりだから?教育を受ける権利を保障するのが、学校では?

しかもここは特別支援学校だよね?

教育を受けさせる義務を学校自体が怠っているじゃないか、と憤りを隠せなかった。籍は今まで通っていた学校にあるんだから課題をもらえばいいではないか、という論理です。愛もなければ人権意識など1ミリもない。

そんな声が多かったのか、現在では予定入院期間が基本1ヶ月としながらも応相談だったり、医師の許可次第だったり、もともと学籍異動が必要ないところもあったりで、手続きの短縮化含め、入院児が学習空白がないように配慮されるようになったようで、あの闘いも無駄ではなく、少しは貢献できたかな、と自画自賛。

とにかく、あの頃は、放課後や教材研究の時間、密かにMさんの部屋に通ったものです。

そのMさんは現在病室でSHJスタッフとして、奮闘中!

SHJ活動の一番の理解者のひとりです。

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〜ジャングルジムはどこへ行った?〜

週末、孫3人を預かって近くの公園へ。

この辺りは都内でも緑豊かで児童遊園や公園が点在していますが、私が小さい頃によく遊んだジャングルジムを見かけなくなりました。落下事故の多発を受けて安全策のために撤去され始め、今では10年前の半数しかないといいます。

ジャングルジムとは名前の通り、ジャングルをイメージ、都会にいながら自然の中で体得するバランス感覚などを培うために考案された画期的な遊具ではなかったでしょうか。

立方体がいくつも積み重なっていて、ふと所々、パイプが渡されていない部分があって、ドキッとするスリルも味わいながらいろんな遊びに発展したものです。

絶対に地面に足をついではいけない空中鬼ごっこ、秘密基地遊び、一番高いところを誰が占領するかの競争・・・。この三次元の立体空間は、まるでサル類が開拓した森林そっくり。

心理学者の河合隼雄氏(1928~2007)は、著書『子供と自然』の中で、こう言っています。

サルの祖型は、樹上生活に対する様々な適応形態を発達させた。第一に枝をつかむことから、親指と他の指が向かい合い - 拇指対向性という – 物を自由につかむ指の能力が発達した。五本の指がバラバラに動き、手を自由に使う、道具使用と製作にかかわる基本体制ができあがった。

ジャングルジムで遊ぶことは、しっかり掴む握力に加え、高いところまで登っていく脚力と腕力、四肢を使った空間でのバランス、位置関係の学習、姿勢の発達など、様々な運動能力を伸ばすことにつながります。

  • のぼる、降りる・・普段の生活の中では使わない筋肉をたくさん使う。
  • 狭く入り組んだスペースに体をくねらせながら一生懸命入っていく・・上下だけでなく、斜め移動という三次元的な体の動かし方を学ぶことで体幹を強くし、姿勢を安定させる。視覚に頼らないボディイメージもできる。
  • それぞれの手足を独立させて動かす・・複雑な体の動きを学ぶ。

 

鉄で出来ている、ということにも意味があります。

ぶつけたら危ないじゃないか、と転ばぬ先の杖を出したくなりますが、可愛い子には旅をさせよ。何度か頭をぶつけて、「痛い」経験をする。それによって、硬い鉄枠に当たらないようにくぐり抜けるには、体をどう動かせばいいか、ということを学習するチャンスと捉えます。

ジャングルジムという危険な?!遊具を、なんとか頭を打たずに足を滑らせずに、そして落ちずに!好きなところへ登っていく、そして足を踏み外さずに降りていく、そして誰よりも高いところを目指して360度のパノラマを楽しむ・・スリル満点!なんと楽しかった思い出。

体幹を鍛えることで姿勢が良くなるだけでなく、怪我をしなくなる、そして集中力もアップするとも言われます。実はジャングルジムよりはるかに事故が多いのは滑り台、というデータも東京消防庁のサイトで見つけました。

危険、危険と排除してぬるま湯になった環境で育つ子どもが、たくましく自立していけるのか・・。

昔取った杵柄。そろそろ孫たちに木登りを教えようか・・。

参考文献

  • 河合雅雄 1990『子どもと自然』岩波新書.

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〜SHJヒストリー11 ヒントをくれた自立活動の時間〜

特別支援学校は、視覚障害者、 聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む)に部門が分かれています。様々な教育課程があり、どの教育課程にも「自立活動」という時間が設けられています。「自立活動」とは、

「個々の児童又は生徒が自立を目指し,障害による学習上又は生活上の困難を主体的に改善・克服するために必要な知識,技能,態度及び習慣を養い,もって心身の調和的発達の基盤を培う(学習指導要領より)」

内容は、健康の保持、心理的な安定、環境の把握、身体の動き、コミュニケーションとなっています。

この「自立活動の時間」が普通校にないユニークなひと時となります。

本来、障害による困難を克服して自立的な生活を目指すというのが目的ですが、院内学級の場合、病気による困難を克服するのは医療。もっぱらその目的は入院生活を送る上での課題解決ということになり、内容は各学級の裁量に任されています。

東大病院では、週に一回の自立活動の時間が基本的に全学年合同で行われていました。企画運営する学年が輪番となっていて、担当になった学年がリーダーとなって仕切ります。教科授業は前籍校の教科書を使って学習するために個別的になりがちです。そのため集団の活動を確保し、社会性やコミュニケーション力を身につけるためばかりでなく、学年を超えた関わりが持てる画期的な授業でした。季節に合わせたイベント的なものが多く、リーダー学年は、放課後も病棟でミーティングする場面が見られ、頼もしく感じ、微笑ましかったものです。

東大病院に4年いたのち、世田谷区にある国立成育医療研究センターの院内学級に異動しました。

こちらの自立活動の時間は、東大病院のそれとは全く違う観点で行われていました。入院生活におけるストレスに課題を置き、心の安定をその目的とし、一人一人が興味のあることで気分転換する時間となっていました。子どもたちが一番生き生きするお気に入りの時間です。

ゲームが好きな生徒は盤ゲームやUNOなどのカードゲーム。時には集まって映画鑑賞をすることもありました。

そして、やはり女子たちは手芸やクラフトが何より好きで、おしゃべりも一緒に盛り上がるとびきりの時間となっていました。作ったり描いたり、バレンタインの頃にはチョコレートを作ったり・・そんなクリエイティブな活動は、心からの笑顔が全員に見られ、そんな子どもたちの中にいることが最高に楽しかったものです。授業時間では足りず、病室で引き続き盛り上がる、という流れはしょっちゅうでした。

この時の感覚がSHJの原点とも言えます。

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