子どもに寄り添う、とは、慰めることや悩みに答えることではない、向き合うことでもない。
そっとそばにいて心がほんの少しでも動くのを待つことです。
ただ近くで、持ってきた手仕事やアートに夢中になっていればいい。
私は教員免許を取る時に心理学やカウンセリング理論について表面をかすめる程度に勉強しただけで、心理士やカウンセラー、精神科医のような知識はありません。
だから「心に寄り添うこと」についても、体験から確信に至った持論を述べるしかありません。
だから、そんな考えもあるのか、といった程度に読んでいただけたらと思います。
話そうよ、と面と向かうと子どもは威圧感を感じます。
まして、単刀直入に質問したり、テーマを押し付けたりするようなことは絶対に避けなくてはなりません。
大人でも、自信を持てずにいる人なら多少は同じように感じるかもしれません。
子どもは、親を含め、大人がそこにいるだけで脅威を感じるものです。
残念ながら大人は子どもにとって安心できる存在ではない、ということを肝に銘じてください。
幼い頃を思い出してみれば、なんとなくそうだったな、と気づくかもしれません。
それだけ大人は自分も子どもだったことを忘れ、子どものうちなる世界に心を寄せることができなくなっているのです。
助けてあげます、というオーラを相手に感じた瞬間、子どもは遠ざかります。
自分のことをそれほど良く知らないのに何がわかる?とかえって反発します。
こちらから、ではなく子どもから近づきたくなるような自然なたたずまいが良いのです。
何気なさ・・・と言いましょうか。
・・・・・
・・そこにいる人、気になるけど、話しかけるのは少し様子を見てからにしよう・・。
・・・・・
少しすれば子どもから心を開きます。
「誰?」
「何やってんの?」
最初はつっけんどんかもしれません。
しかし、こちらが魅力的に見えることに夢中になっていると、興味を示してきます。
子どもにとって興味を持てる「綺麗なもの」「面白そうなこと」「初めて見るもの」・・・。
直球ではなく変化球でもなく、「ブルペンで投げ合う球」の力を借りる、という感じです。
「わあ、綺麗」
「なにやってるの?」
「僕にもできるかな」
「あ、それやってみたかったの」
「その曲、弾いてみたい」
「面白い楽器だね」
ひと言で寄り添う、と言っても場面や立場によって違うでしょう。もちろん状況によっては、そんな悠長なやり方では話にならない、ということになるかもしれません。
しかし私たちは、アートを通して心の交流が生まれ、心を開く様子をこれまで幾度と見てきました。
何かおしゃべりのきっかけや話題が、本題とは必ずしも関係ないところで発生し、それがヒントや発想の転換になったりもします。楽しいことをしているうち、塞いでいた気分が軽くなったり、新しい何かを発見したりできるかもしれません。
それは子どもたちだけではありません。
お母さんは、子どもが入院する前はよくやっていたという編み物の活動の時に、アーティストとの会話の中で表情や声がどんどん明るくなったということがありました。
お父さんは、得意なギターを子どもたちに披露したこともありました。
アートがいろいろな可能性を持ち、希望や自信を持つツールとなれば、と思っています。
「間接的なふわっとした自然な寄り添い」
そんな存在でいたいと思います。