つれづれにっき〜スマイリングな日々〜

〜 パラリンピック〜

開幕まで1年と迫ったパラリンピックは、

パラレル(=もう一つの)五輪という意味。

従来のパラリンピックという言葉は、

プレジア(下半身まひ者)とオリンピックからの造語だったが

身体障がい者の国際大会になじまなかったため、

ギリシア語の接頭語である

パラ=Para(沿う、並行)+Olympic(オリンピックス)

と解釈することになった

とも日本パラリンピック協会のホームページで読んだ。

パラリンピックは1948年に

ロンドンでオリンピックの開会式が行われたのと同じ日に、

イギリスのストーク・マンデビル病院にて、

第二次世界大戦で負傷した兵士たちのリハビリとして

開催された競技大会が起源だとされている。

ドイツ出身の医師が提唱したもので、

入院患者向けの競技大会として毎年開催されていた。

やがて1952年に国際大会となり、

1960年に

「国際委員会」が結成された。

1988年のソウル大会から、

「パラリンピック」が正式名称となり、

1989年にはIPC(国際パラリンピック委員会)が設立されて、

オリンピックと同一の都市で開催することになった。

参考:日本パラリンピック協会

改めてパラリンピックについて調べてみたくなったのは

障害者スポーツを通して

共生社会を作る

個人や多様性の尊重

コミュニケーションを図って統合を!

というその趣旨に、

なんとなく違うな~

という違和感を感じ

気持ちが悪かったから。

そもそも・・・

パラリンピック。

健常者と障害者の融合とか

統合とか

ノーマライゼーションの理念を高々と掲げ

いかにも弱者に寄り添うかの体が

鼻につくのは私だけか。

パラ(=もう一つの)としているところは

明らかに垣根を作っているとしか見えないが。

障害と言ってもひとくくりにできない。

仮に同じ障害であっても

百人百様だ。

障がいがとても重くて

パラリンピックも蚊帳の外

と感じる人も多いのではないか。

そうだとすれば

理念自体が字面だけになる。

もっと言えば

健常者と言われる人にも

スポーツの得意不得意

好き嫌い

がある。

私なぞは運動神経だけは良かったので

小学生時代は毎年

運動会が近づくと

自分の舞台が待っているような

ワクワクした気持ちで

得意になっていた。

とにかく身体を動かすのが好きだった。

そこにたまたま

うまく動かせる身体があっただけ。

正直、あの頃は

運動の苦手な子の気持ちになったこともなかっただろうと記憶する。

中学に入って見事に運動に興味を無くしたのは、

体育祭の華やかさに面食らってしまったから。

怒涛のような学校行事の準備に

嫌気がさし、ついでに

体育祭のクライマックス

「選抜リレー」への全校あげての期待と

盛り上がりに怖気づき

いきおい

派手なことがだんだんと怖くなってしまった。

高校に至っては全く距離を置いていた。

それを思い出したら

今のアスリート事情となんとなく重なる点がある(もちろんレベルの全く違う話だが)。

せっかく運動が好きでアスリートになった方たちが

あまりの競争主義や周りの期待に潰されてしまうことのないように願う。

オリンピック・パラリンピックが

「スポーツを楽しみたい人が楽しむ」

という意味合いに近づくといい。

アスリートにとっても

観戦を心待ちにする人にとっても。

*****

ところで

普段芸術を病院や施設に届ける活動をしている身にとっては

スポーツばかりでなく

アートにも国際イベントがあったとしたらどうだろう、と思う。

アートのオリンピック、とか名前がつきそうで

それはそれでNG.

国際音楽コンクールなるものなら

ジャンル別にあるだろう。

しかし

オリンピック、パラリンピックのように

「勝敗」

「速さ、重さ、点数など数値の競争」

とは違う。

アートは数値でその価値を決める次元のものではないからだ。

そう考えれば

じゃあ、芸術だって・・

という考えは陳腐だ。

それは芸術が、

競争や政治などとは無縁の

最高に崇高な人間の営みだからだろう。

そう信じる。

そんな風に思うのも私だけか・・・。