子どもが大切にされる平和な社会へ

!人口知能について考えた!

人工知能(AI)の進化に伴い、これからの子どもの教育現場はどう変わっていくのでしょうか。

私が子どもの頃・・・やっと家庭に白黒テレビが普及され始めた頃・・・は漫画の世界に入ってうっとり憧れ、ありえないこととしてどこか安心して空想を楽しんでいた、平和な古き良き昭和。実はじわりじわりと開発が進んでいて気づいたらものすごいスピードで科学が進化している! VRの出現に驚いたのはつい最近で、時を置かず今では多くの企業で顧客への商品イメージ作りなどに使われ、アトラクションとしてもそこここにあります。スマホどころかロボットまでが当たり前の社会になりつつあります。このままだと人間が創ったはずの文明に、人間が支配されてしまう!? SF映画を想像してしまいます。

知識を詰め込むだけの教育ならAIの存在は教育者にとっても脅威となります。しかし、数値や分析、知的情報処理システムの先にある、コンピュータが判定した結果をどう判断し、どう活用するのか、それはAIには決してできない役割であり、これまで以上に人間力を試されることになるのではないでしょうか。「知識」の価値自体が下がってくる、という意見ももっともで、人間性の向上や社会貢献・・逆説的かもしれませんが愛とか真心とか生きる意味なんかがこれからの教育の柱になるのでは?

ということはITこそ、新しい価値を生む存在とも言えます。

また、

ITこそ、日常生活になんらかの困難を抱える人の力になるべきである

と常日頃思っています。

私事ですが、交通事故の後遺症で右手で細かな作業ができず書字作業に苦労しました。17年も前になりますが、教員免許をとるためにレポートを作成したときの事。あのころPCを使うことが一般的であったなら、と。左手でなんとか仕上げたレポートがあまりにも乱筆だったため、大学の先生に真面目にやりなさい、などと叱られたとき、訳を伝えると最後の一枚まで大変だろうけど、頑張れ!と激励の言葉をもらいました。ワープロでいいよ、と言っていただけたらなお嬉しかったけど。

来年からはじめる在宅学びサポート事業はまさに重度の障がいを持ち自由に動けない方たちの学習をITや様々な支援機器を使って支えようというもの。

技術の進歩が、とにかく先へ先へ、新しいものへと駆り立てるのではなく、困難を減らしてよりよく生きるためのツールとなること、人間には危険とされる作業への活用〜現在なら原子炉の水中ロボットなどがこれにあたるでしょうか〜も含め、平和利用にのみ発達していくことを願って止みません。