-蝉しぐれ 2-

2年前のちょうど今頃書いたエッセー

ホームに暮らす母を思い

感傷に浸りながら綴ったのを覚えています。

2017/8/21投稿~蝉しぐれ

今年も蝉しぐれの季節が終わってしまう前に

綴りたくなりました。

-蝉しぐれ2-

鬱蒼とした木々から降り注ぐ

蝉しぐれは

なぜかものがなしく

その喧噪が続けば続くほど

いっそう切なくさせるのです。

盛夏の季語

しかし

私は夏の中でも

残りの命を精一杯輝かせようと

夢中で鳴く蝉の潔さに

夏の終わりの切なさを感じます。

9月に入ってひぐらしの

かなかなかなかな・・

という鳴き声に虫たちの喧噪が取って代わると

切なさが寂しさに変わる。

そんな感傷に左右されながら思うのは

なぜか母の生きてきた人生。

命からがら妹弟6人と

ひ弱な母親を連れて満州から引き揚げてきた

その時の壮絶な体験。

そしてやっと戻った祖国の地で

待っていた苦難。

「語り継がなくちゃ。

書いて残してね」

となんども懇願したけれど

叶わぬうちに母は我が子さえ

わからなくなってしまった。

母が大切にしていたものや

こだわって頑固なまでに守ろうとしていたもの・・・

思い浮かべると

切なさを超え悲しみが溢れる。

今それを話題にしても

見せたとしても

心が動く様子は見られない。

母の顔。

今年85歳になるというのに

顔のシワは私より少ないかと思うほど

綺麗な肌をしている。

苦労の多かったこれまでなど

全く知らない、

というふうだ。

時折見せるいたずらっぽい微笑み

ちょっとお茶目なその愛らしい顔

母みたいに可愛いおばあちゃんになれるかな

などと思う。

言葉もほとんど出てこない。

会話など成り立たない。

小さな体にはたくさんの苦労が

年輪のように染み込んでいるはずなのに

もう語ってくれない。

そんな母から教えられるのは

老いへの心構え。

母にバイバイ、またね

をした帰り道、

ホームの庭の大きな老木が

時間は否応なしに過ぎていくということ、

歳をとるということを

覚悟しろとばかりに見下ろしてくる。

蝉たちはといえば

切なさに浸る私をよそに

忙しく絞り出すように鳴いている。

「若い人はいいね」

などと言われていた自分が

いつの間にか

若い人たちに頑張ってほしい、

と思うようになった。

母が体験した戦争を繰り返さないように

子どもが輝く平和な世の中に

していってほしいと。

時は過ぎて時は変わって

私がおばあちゃんになっても

変わることなく季節は巡る。

蝉しぐれ。

平和の中で

変わらず毎年繰り返されることを願う。